水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

幸せの三段重ね(2)

2022年01月20日 | 学年だよりなど
1学年だより「幸せの三段重ね(2)」


 3年生の現代文で、「『である』ことと『する』こと」という評論を勉強する。
 「である」価値に支えられていた江戸時代から、明治維新で「する」価値が認められる時代になり、それが日本の近代化だった、でも未だに近代化は完成してないよね、という名文だ。
 幸せのありかたにも、「である」幸せと「する」幸せが存在する。
 精神科医の樺山紫苑氏は、「BE」の幸福と「DO」の幸福と、それらを呼ぶ。
 「BE」はbe動詞のbe、そこに「ある」幸せだ。
 朝さわやかに目が覚めて青空を見上げるとき、セレトニンが出ている。着替えて台所にいくと、テーブルの上には朝ごはんが用意されている。みなさんにとって何の疑問もない光景かもしれないが、当たり前ではなくありがたいことだ。家族のあたたかさに気づいたとき、人はオキシトシン的幸福を感じている。これらがBEの幸福だ。
 それに対して、何かを「する」ことによって得られるのが、「DO」の幸福だ。
 やった受かった! 勝った! と盛り上がったときの、ドーパミンが大量に分泌している状態。
 ただし、この「DO」の幸福は長続きしない。


~ 何か大きな目標を達成したとき、大金を手に入れたとき、スポーツの大会で優勝したとき、その瞬間はドーパミンが大量に分泌します。そのため「大きな幸福」は得られますが、それは永続的なものではありません。すぐに色あせてしまいます。
 「幸せ」とは今、この一瞬の「状態」であり、「プロセス(過程)」なのです。「ゴール」でも「結果」でもない。ですから、「今」幸せであることが重要です。
 「小さな達成」、つまり「階段を一段昇る」だけで、ドーパミンは分泌されるし、そこに「小さな幸福感」が間違いなく存在します。階段を100段昇れば、「小さな幸福感」を100回得られます。
 あるいは「今、健康である」というセロトニン的幸福。「あなたを支えてくれている人がいる」というオキシトシン的幸福。それらの「BEの幸福」は、あなたが気付いていないだけで、すでにそこにある幸福です。
     (樺山紫苑『精神科医が見つけて三つの幸福』飛鳥新社) ~


 結果そのものの喜びは、一瞬のドーパミン分泌によって、興奮となってあらわれるが、その興奮自体はすぐにおさまってしまう。
 しかし、その結果を得るために頑張ってきた自分をふりかえったとき、しみじみとした喜びがこみあげる。俺もよくがんばったなという自信。これは「BE」の幸福に変わっている。
 がんばれた自分、それを支えてくれた周囲への感謝、それらを意識できるほど幸福感はあがる。
 思い出をつくること、経験を蓄積することは、知識の暗記以上に大事だと言える。
 それは「DO」の幸福を「BE」にかえていくからだ。
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