2学年だより「習慣化(2)」
「何か」を達成するためには、入れ物を育てなければならない。
「身体」という入れ物を。それはたぶん土のようなもので、土を育てる働きをするのが「別の何か」なのではないだろうか。
何事かを成し遂げる「人」がいて、成し遂げられた結果としての「事」がある。
人と事との関係は、土と実の関係に似ている。
立派な実、味のよい実、ずっしりとした重みのある実をつくるのに必要なのは、肥えた土地だ。
土がよければ自ずから実る。つまり、事を実らせるには、人を肥えさせなければならない。
○○君という土壌を肥えさせるにはどうしたらいいか。
たぶん特効薬はない。人という土を育てるのが習慣だ。
~「走ること自体が善である」と考えているわけではありません。走ることはただの走ることです。善も不善もありません。もしあなたが「走るなんていやだ」と思うのなら、無理して走る必要はありません。走るも走らないも、そんなのは個人の自由です。
ただ僕個人に関して言えば、走るという行為は、それなりに大きな意味を持っていたということです。というか、それが僕にとって、あるいは僕がやろうとしていることにとって、何らかのかたちで必要とされる行為なんだというナチュラルな認識が、ずっと変わることなく僕の内にありました。そういう思いが、いつも僕の背中を後ろから押してくれていたわけです。酷寒の朝に、酷暑の昼に、身体がだるくて気持ちが乗らないようなときに、「さあ、がんばって今日も走ろうぜ」と温かく励ましてくれました。
(村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫)
書くために必要な習慣だと自覚し、しかも30年以上ランニングを続けてきた村上氏でも、「身体がだるくて気持ちが乗らない」日はある。
歯磨きレベルに習慣化された行為でも、それは本能にもとづく行動ではない。
意図的に、かつ少しの努力を伴って実行しつづけ積み上げるものを習慣とよぶべきなのだろう。
決まった時間に机に向かい、決めただけの勉強をすること。
気持ちが乗らない日も、部活で疲れ切った日も、ほんの少し机に向かうこと。
朝決まった時間に目覚めること、いただきますと言ってごはんを食べ、自転車を漕いで駅に向かい、決まった電車に乗って英単語を覚え、登校して、あいさつして、授業を受けて、掃除をして、部活に向かう……という日常を淡々とこなしてゆくこと。
そんな地道な毎日のくりかえしが、土壌をじっくり育てていく。
ちょっと時間があいたときに、英単語を覚えるのか、ゲームをするのか。
自分の未来の方向性は、このどちらかの延長上にあるというだけのことだ。
「何か」を達成するためには、入れ物を育てなければならない。
「身体」という入れ物を。それはたぶん土のようなもので、土を育てる働きをするのが「別の何か」なのではないだろうか。
何事かを成し遂げる「人」がいて、成し遂げられた結果としての「事」がある。
人と事との関係は、土と実の関係に似ている。
立派な実、味のよい実、ずっしりとした重みのある実をつくるのに必要なのは、肥えた土地だ。
土がよければ自ずから実る。つまり、事を実らせるには、人を肥えさせなければならない。
○○君という土壌を肥えさせるにはどうしたらいいか。
たぶん特効薬はない。人という土を育てるのが習慣だ。
~「走ること自体が善である」と考えているわけではありません。走ることはただの走ることです。善も不善もありません。もしあなたが「走るなんていやだ」と思うのなら、無理して走る必要はありません。走るも走らないも、そんなのは個人の自由です。
ただ僕個人に関して言えば、走るという行為は、それなりに大きな意味を持っていたということです。というか、それが僕にとって、あるいは僕がやろうとしていることにとって、何らかのかたちで必要とされる行為なんだというナチュラルな認識が、ずっと変わることなく僕の内にありました。そういう思いが、いつも僕の背中を後ろから押してくれていたわけです。酷寒の朝に、酷暑の昼に、身体がだるくて気持ちが乗らないようなときに、「さあ、がんばって今日も走ろうぜ」と温かく励ましてくれました。
(村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫)
書くために必要な習慣だと自覚し、しかも30年以上ランニングを続けてきた村上氏でも、「身体がだるくて気持ちが乗らない」日はある。
歯磨きレベルに習慣化された行為でも、それは本能にもとづく行動ではない。
意図的に、かつ少しの努力を伴って実行しつづけ積み上げるものを習慣とよぶべきなのだろう。
決まった時間に机に向かい、決めただけの勉強をすること。
気持ちが乗らない日も、部活で疲れ切った日も、ほんの少し机に向かうこと。
朝決まった時間に目覚めること、いただきますと言ってごはんを食べ、自転車を漕いで駅に向かい、決まった電車に乗って英単語を覚え、登校して、あいさつして、授業を受けて、掃除をして、部活に向かう……という日常を淡々とこなしてゆくこと。
そんな地道な毎日のくりかえしが、土壌をじっくり育てていく。
ちょっと時間があいたときに、英単語を覚えるのか、ゲームをするのか。
自分の未来の方向性は、このどちらかの延長上にあるというだけのことだ。