水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

大学入試は「凡人」を選別するシステムである

2016年03月02日 | 教育に関すること

 

 金融工学・恋愛工学研究家の藤沢数希氏が、東大の現代文一番(内田樹氏の文章)の「模範解答」をつくってTwitterで発表されていた。
 本文は載せないが、ちなみに設問は以下の通り。

一「そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人」(傍線部ア)とはどういう人のことか、説明せよ。

二「この人はあらゆることについて正解をすでに知っている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

三「『あなたには生きている理由がない』と言われているに等しい」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

四「その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力」(傍線部エ)とはどういう力のことか、説明せよ。

五「この基準を適用して人物鑑定を過ったことはない」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえた上で100字以上120字以内で説明せよ(句読点も一字と数える)。


 藤沢氏の模範解答が次のもの。

一 著者自身のこと。俺スゲーの湾曲(ママ)表現。

二 著者が作った架空の藁人形。

三 自分よりスゲー人には論点ずらして、嫌味で反撃。

四 再び、俺カッケー。

五 俺は常に正しい。反論する奴バカ。


 なんと本質をつかんだ解答だろう。
 実際に受験生が上記の答案を書いて提出したら、一点ももらえないけど。字数も足りないし。
 なので、模範解答としての役目は果たさない。
 しかし、評論文の(文章のと置き換えてもいいかもしれない)の本質を見事に読み取っている点において、自分のテストだったら少し点をあげちゃいたい。
 基本、評論は「俺スゲー」との思いで書かれている。
 藤沢氏のそれも例外ではない。このブログだって、根底にそれがなかったら、わざわざ世界中に発信したりはしない。
 ただし、現代文のテストは、それを前提にした上で、筆者が「何」を言うことによって「俺スゲー」と言っているのかを問う。「何」を聞いているのだ。
 試験の役割を理解せずに、文章の本質を瞬時に理解して上記の答案を書く受験生がいたら、合格しない。
 それは大学で学ぶための能力が不足しているのではなく、大学に入っても学ぶことがない、つまり教える側にその用意がないということだ。
 晴れて不合格となり、自分のやりたいことをどんどんやればいい。
 大学で学ばなくても、十分やっていけるだろう。
 事実、現段階の藤沢氏は、何冊もの本を上梓し、最近は小説も書かれている。
 東大の先生で、藤沢氏の本より売れる著書をお持ちの方はいるだろうか。またはメルマガを書かれている方は。

 「天分」とよんでいい才能に持ち主にとって、大学は必要ない。
 ただし、ほんとうに限られた方々だが。
 天分側にいる人が、「大学なんて意味がない」とか「大学など行かなくても自分の才能は発揮できる」というのは、当然だ。
 もともと大学は天才を育てるシステムではないのだから。
 大学入試の時点で天才の自覚がないなら、普通の答案を書いて合格して学べばいい。
 その後に、才能に気づく方だってたくさんいる。
 入試を経ることで、才能がつぶされたりはしない。
 高校入試や大学入試のためのガリ勉で才能がつぶされてしまうという意見もあるが、本当にそうなら、元々たいした才能ではなかったというだけのことだ。
 東大に入るための勉強でも、範囲は決まっているし、傾向もあきらかだ。小さな頃から塾通いを続けなければ到達しないレベルの人は、ほんとうは無理しない(させない)方がいいと思う。
 小さいうちは、のびのびと体を動かしたり、友だちとバカなあそびをしたり、海や山にいったり、踊ったり歌ったりして、そこそこおっきくなってから必死扱いて勉強してみればいいんじゃないだろうか。それでも十分入れる。 そういう経験をもったお子さんなら、あとは1点刻みのペーパーテスト一発で大学を決めてあげればいい。
 そんな経験をせず、人としてどうかと思えるお子さんがいるように見えるがために、大学入試でも人物を測った方がいいのではないかなどという、歪んだ意見が生まれてしまうように思う。

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