前から五列目であり、かつそこから一段高くなり、しかも前が通路のため足がのばせるという、本多劇場のベスト席と自分では思っているE列席がたまたまとれて喜んででかけたのは、「鎌塚氏、すくいあげる」というコメディー作品。
ナイロン100℃の三宅弘城さんのお芝居ははじめてだが、でも三宅さんをみたいのではなく(あれ? すごい失礼な言い方になってしまった)、なんといっても生の満島ひかりさんがお目当てだ。
ほかにも田中圭さん、市川実和子さん、六角精児さん、顔と名前の一致する方々ばかりの舞台を見ることはめったにない。客席も満席。なぜか自分のとなりだけあいていた。
レッドジンジャー号という豪華客船で行われる、財閥のお嬢さん、お坊ちゃんのお見合いの成功を、三宅氏演じるキングオブ執事の鎌塚氏が託されているというお話。
政略結婚なんてヤだとすねるお嬢さんの満島ひかりちゃんが、自分に仕える女中の市川実和子さんと入れ替わってしまうところからドタバタは始まる。
設定は基本的だけど、鎌塚氏頼りのお坊ちゃん役田中圭くんも、いろんな設定のポイントとなる六角氏もキャラがこくて、高品質のエンターテインメントになっていた。
それにしてもひかりちゃんは顔が小さい。
少し声がかすれてたけど、楽日までもつかな。ちょっと心配。
劇中、中森明菜「十戒」を熱唱するシーンがあったが、ここはちょっとハスキーになった声がはまっていた。動きもステップも軽快で、そうだったフォルダー5だった、いつのまにこんな女優さんになったのかと感慨深い。
終わったあと小劇場の劇団さんのように見送りしてほしかった。そしたら、「ご主人の石井監督元気? おれ高校時代に教えたんだよ」と許される範囲内の嘘をついて声をかけるのに。「ほんとですか? 川越のほうの? そうですか。」「『河の底からこんにちは』よかったよ」「ありがとうございます! よかったら先生、打ち上げに来ませんか」なんて会話になったかもしれない。そんな日も来るかもね(ないでしょ)。
第3期講習のシフトの関係で、三年現代文を一日だけ担当した。
与えられたのは早稲田・教育の過去問。問題自体はこれといって難しくはなく、とくに早稲田らしい問題というわけでもないので、がちがちの評論ではなく随筆はどう解けばよいか、という観点で話をした。
こんな一節があった。
~ 今日もし円朝のような人物が現存していたならば、寄席はどうなるかということである。一般聴衆は名人円朝のために征服せられて、寄席は依然として旧時の状態を継続しているであろうか。さすがの円朝も時勢には対抗し得ずして、寄席はやはり漫談や漫才の舞台となるであろうか。私は恐らく後者であろうかと推察する。円朝は円朝の出ずべき時に出たのであって、円朝の出ずべからざる時に円朝は出ない。たとい円朝が出ても、円朝としての技量を発揮することを許されないで終わるであろう。(岡本綺堂『岡本綺堂随筆集』による) ~
「円朝は円朝の出ずべき時に出たのであって、円朝の出ずべからざる時に円朝は出ない」に線がひいてあり、どういうことかと問う。
「円朝のようなとびぬけた才能をもつ落語家は、時代が生んだものだ」という趣旨の選択肢が正解となり、これもとくに難しくはない。
参加者の多くも解けていたようだった。
それほど時間をかけるべき文章ではないが、「天才は時代がつくる」というテーゼは、頭にいれておくといいんじゃないかと思う。
天才の定義とは何か、そんなことをふと思う。
たぐいまれな話術と創作力で、いまも盛んに行われる「落語」の基礎をつくった三遊亭円朝。
それは時代の求めた才能でもあった。
天才はジャンルをつくる。
ジャンルをつくりうる存在を天才という。
10日ほど前に出たCD「究極の吹奏楽 ~ジブリ編」を聴いた。
アレンジに名をつらねるのが、真島俊夫先生、天野正道先生、鈴木英史先生、星出先生 … 。このCDの発売情報が出て以来、楽しみにしてた吹奏楽関係者は多いだろう。
ちなみに真島先生が「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「ジブリ・メドレー」。
天野先生が「魔女の宅急便」「ハウルの動く城」「もののけ姫」と、それぞれ3曲のセレクションをお書きになっている。
なんと豪華なCDだろう。企画して商品化したミュージックエイトのご関係者には、ほんとによくやってくださったと労をねぎらいたい。
これで、一部吹奏楽関係の間で、いろいろと話がはずむだろう。
森田先生、後藤先生のがあるんだから、無理につくる必要はなかったんじゃないの。
たしかにアレンジわるくないけど、ブレーンのよりむしろ難しくなってんじゃん、楽譜の値段は安くてありたいけど、やっぱ前のにしようかな。
てか、ブレーンとM8って、争ってんの? こんな狭い世界なのに。
ぶっちゃけ、演奏どう?
わるくないよ。わるくないけど、まあ元々の曲がいいからさ、プロがふつうにやればあれくらいには聞こえるよ。もう一工夫したっていいんじゃね。
それってさ、アレンジにも言えるよね。普通につなげてあの先生方がアレンジすれば、そんなに苦労しなくても合格点には達するわけよ。
じゃ、演奏もアレンジも、曲にあまえてるってこと?
そこまでは言わないけどさ、でもピアノやハープをメインにするのはどうなんだろ。
なんて会話をする顧問の先生方もいるだろう。
あの曲はどっち版が好きとか、うちはFLが上手だからこっちのでやってみようとか、いろいろ選択肢をひろげて「ジブリ」作品に取り組めるようにもなるのはすばらしいことだ。
おれ的には、鈴木英史先生の「千と千尋の神隠し」がよかった。
さすがのお仕事ぶりと思えた。ここのアレンジがいいとか、曲のセレクトがいいとかではなく、「千と千尋の神隠し」セレクションとしていいと思えたから。
久石譲作品を吹奏楽にアレンジしたのではなく、久石譲作品を素材にした一つの吹奏楽作品になっているように思えたから。
思えば「なんとかセレクション」をつくったのは、鈴木英史先生である。
当初、批判的にみられている方もいたように記憶する。何の世界でも、一気にブレイクした人への風あたりは強いから、英史先生ももてはやされる一方で、本質からはずれた批判などを耳にされたこともあったのではないか。
しかし「メリーウィドウセレクション」が生まれてなかったら、「セレクション」形式の吹奏楽作品はこんなに生まれてなかった。
クラシック音楽のアレンジ作品は、一部の上手な学校は上手に演奏できて効果も高かったけど、それ以外の学校には難しくてできなかったり、やってはみてもいいサウンドにならなかったりというのが多かった。
英史先生のセレクションものは時代の要請でもあった。少人数のバンド、初心者の多いバンドにとってとくに光明だった。
うちもBからAにうつった年にいきなり県大会に進めたのは、「小鳥売りセレクション」の力によるところも大きい。古い話だけど(ええ、でますよ、来年は県にね)。
いろんな「セレクション」が出版されているが、じゃほんとに成功しているのはどれだけあるかと言えば、どうだろう。
AとBとCという曲をアレンジしてつなげましたで終わっているのも見かける。
AとBとCを素材にして、XやYがうまれてはじめて、「オペラ○○より」ではなく「○○セレクション」になる。
だから、セレクションなんてオリジナルではない、自分では創造してないじゃないかという批判は正しくないのだ。
だいたい、自分でゼロから何かを生み出すことはない。
落語の祖円朝にしても、江戸時代に庶民が楽しんだ「落とし噺」「怪談」を素材にして、落語という形式をつくっていった。
アントニオ猪木しかり、ビートルズしかり、秋元康しかり。
例のあげかたに難があるのは承知のうえだが、天才とよばれる(ていうか自分がそう思う人たち)は、無から有を生み出したわけではない。
新しい「内容」を生み出せるのは、究極「神」のお仕事だ。
新しい「形式」を生み出す力を創造というのだ(ことにしておいて)。
お盆休みいただきました。
8月14日。全国的にはげしい雨とのニュースを見て携帯をチェックすると東海道新幹線が運転見合わせの情報が。これはこまった、急遽小松空港まで飛行機で行っちゃおうと空席を調べると全然余裕だった。池袋でJRのチケットを払い戻ししようとしたら、当日キャンセルは3割の手数料がかかると言う。だって運行してないんでしょ? と尋ねると、運行開始してます、この電車は時間に出ますというではないか。ほんとかなと思ったけど、払い戻しをやめて東京駅に向かった。予想通りダイヤは相当乱れていたが、運休はなく随時出発してるようだ。全体に1時間から1時間半の遅れといったところか。のんびりおみやげ購入することにし、地下のグランスタに行く。時間を気にせずに歩いてみると、夢のような空間だ。持てる範囲でいろんなスイーツを買って、どら焼き好きの弟のためには「空也そらいろ」のを十個買って、まだ大丈夫だろと思って待合室でBEERをいただきながら電光掲示をみると、乗ろうと思ってたひかり号が発車予定になっている。あわててホームに行って乗り込む。15分遅れぐらいの発車だった。米原では接続のしらさぎが待っててくれたので、ほぼ予定通りに帰れた。宴会後の麻雀では80歳の父がトップで、はなをもたせているわけではないので、くやしいけど、うれしい。
8月15日。お墓参りの後、幼なじみとあったり電話したりし、正月はゆっくり呑もうかと話す。
関西方面は今日も雨の影響でダイヤが少し乱れていた。しらさぎ、こだま、のぞみのパターンで東京へ。
ちょっと学校によってメールとか確認して帰省が終わってしまった。
8月16日。ミュージカルナビゲーターにお願いし「ラマンチャの男」を初めて観劇した。なんと最前列の席をゲットしてくれてて、「見にくいかもしれないですよ」と言われたけど、見にくくても芝居は近ければ近いほど役者さんの呼吸が伝わるのでうれしい。序曲がはじまる。ばらばらと役者さんが登場してくる。地下牢をイメージした空間、さらにその階下からあがってくる階段にふらっと腰掛ける女性。松たか子だ。生だ。数メートル先だ。来たかいがあった。S席12500円奮発してよかった。
「ラマンチャの男」。宗教裁判にかけられる容疑で投獄されたセルバンテスが、獄中で演じる劇中劇、その劇が「ドンキホーテ」の物語になっている趣向のお芝居だ。正直いって話はまったくわからなかった。帝劇の広い客席を埋めたお客さんたちは、場面場面で笑い、拍手を送ったりしている。二千数百人のなかでここまで話がわからない状態になっているのは自分が一番だろう。人間向き不向きはあるものだ。クラシック音楽でも、けっこうなお値段の演奏会に出かけた時にかぎって理解できないことがあるので、ひょっとしたら1万円を分水嶺にして相性がかわる、安上がりタイプなのかもしれない。
「かぞくのくに」はヤンヨンヒ監督の実体験を映画化した作品だ。
静かな作品だった。
爆撃音もなければ、切々と心に迫る音楽もない。
ヴァンパイヤも宇宙人も登場しなければ、きれいな女優さんの柔肌も見れない。
クロエモレッツもスカーレットヨハンソンも出てない。
もちろん武井咲ちゃんも出てないが、我らがガムコこと安藤サクラさんがすばらしい。
お芝居にはもともと定評がある彼女だが、この作品で今年のmy主演女優賞が確定した。
静かな映画だった。
派手なアクションもなければ、犯人に追い詰められていくドキドキもない。
絆をまもれぇ!と絶叫する人も、好きだぁ!と泣きわめく人もいない。
外に現れてないから感情の量が少ないということにはならない。
むしろ静かだからこそ、人間の感情の深い部分がより伝わってくることもある。
1997年、北朝鮮に住む兄ソンホが、病気治療の目的で許可をもらい、日本で暮らす両親と妹リエのもとに帰ってくることになった。
認められた滞在期間は三ヶ月。しかし病院での検査の結果、三ヶ月での治療は難しいとのことだった。
25年前、当時16歳の兄は帰国事業の一環で北朝鮮に渡る。
家族の中でソンホだけが海を渡った理由は明確には語られないが、叔父は反対していた、父が総連の役員であったなどの事情から、わかる人には想像がつくようになっているだろう。
計算すると、ソンホが船にのったのは1972年になる。
北朝鮮を地上の楽園と信じる人はもういなくなっていた時代ではないかと思うが、日本にもどるのがこれほど困難な情勢になるとまで、思ってなかったのではないか。
再会を喜ぶ両親や妹と、多くを語らず感情を押し殺しているかに見える兄が対照的に描かれる。
兄の動静を監視する役がいて、ソンホの妻子が北に暮らすことを考えれば、思い切り羽を伸ばす自由が兄に与えられていないことは想像がつく。
想像はつくものの、一人の帰国に一人の監視をつけるほどの労力をはらわねばならないものか、それほど心配ならなぜ日本に行かせたのかとの疑問もわくが、妹のリエ(安藤サクラ)に、「工作員のような仕事をする気はないか」と話しだすのを見て、なるほどこういう意味もあったのかと納得はする。
25年ぶりにあえた兄の口から、そんな言葉を聞かされた妹リエの悲しみはいかばかりだろう。
思わず家を飛び出したリエが、監視のヤンにつめよる。
「あんたが、言えばいいじゃない! オッパ(兄)に言わせないでよ」
「あんたも、あんたの国もだいきらい!」
監視役のヤン同士を演じるのは、「息もできない」主演監督のヤン・イクチュンだ。
切ないごんたくれを好演した方と記憶している。
しかし今回は「シバラマァ!」と叫んで殴ってきたりはしない。
「あなたの嫌いなその国で、わたしも、あなたのお兄さんも暮らしているのです」と静かに答えるだけだった。
25年のときを経て、遠く離れた北の地から、すぐそばにもどってきた兄。
からだはすぐそばにありながら、心の距離は思いのほか遠くに隔たっていた。
そして、その距離を縮める術をもたない無力さの前に、リエはやり場のない怒りをかかえるしかなかった。
別の病院で検査してもらおう、滞在期間延長を申請しようとしている矢先に、本国から突然帰国命令が下る。
監視のヤンにも理由の一切は知らされない。
「あの国ではよくあることなんだ」
兄は事実を受け入れ、帰国の準備をする。
自分の力ではどうすることもできない現実と、どうすることもできない自分への怒り、納得できない思いを、直接口には出さず、表情にさえ出さずに演じきる安藤サクラがすごい。
もし自分が役者さんだったなら、くやしくて眠れないかもしれない。
こういう状態って、どんなんだろ(あ、また意味不明な文になってしまった)。
傍目からは鬼気迫る演技に見えるとき、役者さんの精神状態はどんななんだろ。
文字通り、役がノりうつっているのだろうか。
そんな気もするし、それだけでもないような気がする。
こういう風に演じて、こういうタイミングで涙を流せばいい感じになるはずだという計算ずくのものではもちろんないだろう。
ただし、自分一人だけで演じてるわけじゃないから、どこかに客観的に自分を見る目、一段高いところから自分と周囲を見る目を、たとえ無意識であっても、その目線をゼロにしてしまってはいけないはずだ。
それでも、役になりきるという言葉があるほどに、とりつかれたように演じることができるからこそ、一般人ではなく役者なのだ。
憑依と俯瞰のほどよいバランス。
それぞれ何パーセントずつになったときに一番いい仕事ができるのかは、役者さんによって異なる。
その役やシーンによっても変わってくる。
その絶妙のバランスの上にたって、役者が見せてくれる奇跡的な一瞬に立ち会えたとき、映画であれ、舞台であれ、通常の人間ではなしえないものに接した喜びを与えられる。
「かぞくのくに」は、自分にとっては、そんな奇跡のかたまりのような映画だった。
中学校B部門県大会では恒例のステージ係を担当させていただいた。
電車の遅れもなかったし、どの学校さんもよく鍛えられてて、さらに栄高校さんが役員担当だったため、すべてにおいて順調に進行してた(と思う)。
それにしても、中学校のB部門もハイレベルになる一方ではないだろうか。とても30人とは思えない演奏がほとんどで驚いた。
朝うれしかったのは、開演の少し前にステージ袖から審査員席に向かわれる大滝理事長が足をとめ、「先生、このあいだの演奏よかったですよ」と声をかけてくださったことだ。こうして多くの先生を励ましてくださっているのだろうが、がんばろう、がんばらなきゃうそだと太宰治みたく思った。
一声かけられただけでこんなに励まされるような、そういう人物になりたいものだ。
でも、こうして今後ますます評価していただけるようになって、「次の理事長をおねがいしようかしら」とか言われたら、どうしよう。でも学年主任との両立は難しいかな。もし理事長になったなら、この間いい点をつけてくださった審査員の先生を優先的にお願いすることにしよう。あとA部門は50人以内にもどしちゃおうか。男女別開催とか、超高価な楽器の使用禁止も検討課題とはすべきだ。年次研修の方がコンクールより大事にされるという間違った扱いも是正すべき課題かもしれない。
県大会では、今年からクリアファイルとかの記念グッズが販売されている。
ロビーのそのコーナーにはお母さまがたが多数いらっしゃり、買おうかしら、あら意外といいお値段ねとか話している。本校保護者のみなさまにも、来年はぜひそういう「ためらいの意志」を味わってもらおうと心に決めた。
8月9日は、たくさんの応援ありがとうございました。
結果は残念でしたが、自分としては心をこめた演奏ができました。
3年生保護者のみなさまおつかれさまでした。いい定演ができますよう準備をすすめていきます。
1、2年生保護者のみなさま、ちょっとお休みしたら、文化祭に向けてすぐトップスピードになります。またよろしくお願いいたします。
OBのみんな、来てくれてありがとう。またがんばるよ。
3年生が模試のため、全体練習はなし。自分は代ゼミのセミナーにでかけさせてもらった。
指導していただく先生も、最近は年下の方ばかりになってきた。土屋博英先生、関谷浩先生のような重鎮の講義がなつかしい。
携帯でニュースを見てたら水泳選手陣のインタビューが目に入った。
メドレーリレーで銀メダルをとったメンバーの合い言葉が「康輔さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」。 ぐうっ。泣けるっ。ちょー泣ける。ひょっとしたら北島選手はメダルを手にする以上に幸せなオリンピックを経験できたも言えるんじゃないだろうか。4人じゃなくて選手団27人のリレーですと言う入江選手もかっこいいなあ。
今回のオリンピックはほんとにみんな活躍されてて、政治や経済をみてると日本というシステムは終わっているように見えるけど、まだまだ捨てたもんじゃないと思えてきた。
柔道男子だけはふがいないという人もいるが、客観的にみれば、われわれがイメージする柔道とは別の競技になってしまっているのだから、むしろメダルとれなくて正しいのだ。
だいたい、外人選手はなぜ帯さえちゃんとできないのか。
競技がこれだけ世界中に広まっていることを喜ぶべきであり、「JYUDOって元は日本ではじまったの?」という人がほとんどいなるのを喜ぶべきだろう。
「グローバルな人材をつくるために小学校から英語を教えよう」という、本当は誤った教育を支持する一方で、「日本のお家芸は守るべき」という人がいたら、ちょっとおつむの不自由な方と言わざるをえない。
夏期講習を終えて、久しぶりに朝から練習できるので、まず午前中に2時間合奏した。
指摘して直した直後はよくなるのだが、じゃ一回通してみようということになってスタートすると、11分半の間にいろんな事故がおこるし、メンバーによっては自由曲後半に集中がきれる。もうひとふんばりだ。
昼は純粋に昼休みになったので、前々から気になっていた「頑者」系列の「ラーメンひかり」でミソラーメンをいただいてきた。わるくはないが、昨今「みかみ」さんの辛みそラーメンに慣れ親しんでいるので、このお店でさえこくが足りない。いったん体が知ってしまったら、もうもとにもどれないのかしら。罪深き「みかみ」さまよ。
最後の合奏をわたなべ先生におねがいし、次の課題をチェックした。
録音用のマイクをケーズデンキで購入し、S氏にある資料をもらえて、いろいろ懸案事項が片付いたので帰りがけに「ヘルタースケルター」を観る。
公開になってすぐの時は、あの南古谷ウニクスでさえ満席の回があったが、さすがにもう落ち着いている。
それでもけっこうたくさんの女性のお客さんは何を観たくてくるのだろう。
やはり沢尻エリカさん目当てが一番だろうか。全身整形で創り上げられた虚飾の完璧モデルりりこが、肉体的に精神的に崩れていくさまを描いた漫画原作は、10年以上も前(もっと前かな)の作品だ。
時代の最先端を読んでる気分だったような気がするけど、いまこうやって映画になってみると、むしろ懐かしさが漂う。
それもあるのかな。どんだけエロいのだろうという期待はもちろんあったが、ま、ふつう。
エロいというより、エリカさまはもともと童顔だし、ふつうにきれかわいく見えた。
映画の役のせいもあるのかもしれないが、圧倒的にオーラを発していたのは、水原希子さんだった。これから、どんだけの女優さんになるのだろう。
映画のエンディングで、なぜか「美しく青きドナウ」が流れる。
どんな寓意があるのかちょっとわからない。
気付くと手が曲にあわせて動いている。
ワルツ打法、二段叩き、スフォルツァンド叩き、同時間にこの映画を観ていた人はたくさんいるだろうが、指揮法教程8番をこんなにきちんとふりながら観てた人はいないのではないだろうか。
昨日は、高校B部門二日目の役員に出かけた。
恒例のステージ係。本校の校務分掌と同じで、一度担当したらもう抜けられないという状態になってるのかもしれない。
西村行功氏は言う。
~ 午前中の早い時間、たとえば朝の9時から取引先で打ち合わせがあるときは、自宅ではなく現地で朝食をとるようにしている。7時半くらいには着いて、近くのファミレスや喫茶店で仕事をしながら朝食をとるのである。 … 7時半に着くように自宅を出ると、たとえ電車が遅れたとしても朝食を抜くだけで済む。そんな理由で、「朝食は現地で」というのが私の鉄則となっている。(西村行功『「十年後の自分」を考える技術』星海社新書) ~
なるほど。そんな利点があることは意識せずに、出張のときは、現地近辺か現地に着く目処が立ったところで吉野屋に寄ったり、コンビニに寄ったりしてた自分は、天性の「できるビジネスマン」かもしれない。
暑いのは覚悟で電車で行こうという気分の日だった。
まず学校に寄ると、武蔵野線が動いてないという電話が数本入る。電車が動きしだい南古谷か上福岡まで来てねと言い、事務室に連絡しておいてねと若い先生にお願いして学校を出る。
それなら大宮から京浜東北線に乗ればいい、けっこう余裕だからエキュートでモーニングセットなどいただくのもよいかなと思いながら、埼京線に乗った。
すると「大宮駅でのポイント故障で京浜東北線は運転を見合わせております」と放送が入るではないか。
どうすればいいのだ。ていうか、コンクールに出る生徒さんは南浦和に来られないではないか。
放送を聞くと、武蔵野線は南浦和から三郷とかあっち側がとまっていることがわかった。
生粋の埼玉人なので、武蔵浦和から南浦和には行けることが瞬時にわかり、埼京線で武蔵浦和までいった。
南浦和までの武蔵野線は動いてはいたが、電車の本数も減り、遅れているとのことだった。
意外とすいていた電車に乗り、南浦和におりて駅の立ち食いそばでもいただこうかと思ったが、けっこうな人がカウンターにいるので、とりあえず文化センターに行こうと歩きはじめる。
やはり、なんかコンクール当日の朝にしては人が少ないような気がした。
役員の先生方も、なかなか集まりが悪く、話をうかがうと道路はあちこち渋滞しているようだった。
1時間遅れで開始する方向性で動こうということになる。
でもほんとに1時間で始められるのかな、ステージ係の仕事開始までけっこう時間できたから、とりあえずコーヒーでも呑んで一息つこうかな …
「みずもちさん、販売の先生来てないから、そっちをやってて」
「よ、よろこんで!」
パンフやお金をとりに行って、だんどりし、ステージ係の生徒とも打ち合わせし、慶応志木のこいけ先生と男子校ならではの愚痴を言い合って少し和み、1時間遅れスタートが正式決定するころには、朝の緊迫感はちょっと落ち着いていた。
審査員の先生方も無事到着し、B部門の審査がはじまる。
え? 30人でこんないい音するんだったっけ。
うちが30人にしぼってBに出場したらどんな結果になるだろうと思ったので、うちと比較しての○×進行表につけてみたが、ちょっと明らかにはできない結果になった。
金賞で通過した団体はもちろんいい演奏だったが、個人的には白岡高校さん、三郷北高校さん、庄和高校さんの音色や曲づくりに心惹かれた。
銀賞通過とはいえ、県大会までは一週間以上ある。逆転も十分ありうるのではないだろうか。
昼休みに「ぐうちょきパン」のちくわチーズパン(美味)でつないだだけだったので、帰りはエキュートで立ち食いではないうどんをいただく。
娘たちは帰りが遅いとの報を受け、南古谷ウニクスで「ダークナイトライジング」を観ることにした。
前作の「ダークナイト」を観てないから、wikiであらすじを調べ読み込んではいた。
だいたい設定は理解でき、十分楽しめたつもりだ。前々作からちゃんと観てる人にはけっこうぐっと来るのではないだろうか。
「バットマン」はもともとがコミックで、それを大人の鑑賞にも堪えうるように実写化したものだが、さすが本気のアメリカ映画は物量がすごい。この国と戦争しても勝てなかったのは当然だと思う。
もちろんお話自体は幼稚といえないこともない。それをそう感じさせないだけ、これでもかと作り込んである(でも、正直言うと、こどもじゃないしアメリカ人でもないからなあ … )。
キャットウーマンこと女盗賊(こんな古い言い方しか思いつかない)のアンハサウェイさんが極めてキュート。このお姉さんをだけでレイトショー1200円をはるかに越える値打ちがある。
あれと思ったのが、マリオン・コティヤールさん。「プロヴァンスの贈りもの」のときのオーラが減っているような気がして、ひょっとしたらアカデミー賞とかとって大物になりすぎてしまったのだろうか。