水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

文系・理系

2018年10月08日 | 学年だよりなど

    学年だより「文系・理系」


 「理系の方が就職がいいと聞いたから」という理由を、文系・理系選択の条件にしようとする人を毎年見かける。
 現実には、「理系だから」いい就職ができるということは一切無い。
 それぐらいの理由で理系に進み、理系の学問をいかした就職をした先輩の例もない。
 どこかで聞きかじった知識を鵜呑みにし、具体的なデータを調べもせずに、そのような雑な思考をしてしまうということ自体が、将来的にかなり心配な状況だと言える。
 有名な難関大学に行けばいい就職にありつけるという時代でもないことも、卒業生たちの話を聞いてみるとわかる。
 「いい」大学・学部に入れれば将来は安定だという時代ではなくなっている。というか、もともと幻想だったのかもしれない。
 どんな仕事をしたいかという将来像を描くことにも、それほど大きな意味はない。
 まず、大学で「何を」、「どれだけ」学ぼうとしているかが大切だ。
 それは「どんな自分を作るか」ということと同義だからだ。
 一般に就職はよくないと言われている学部に行っても、そこで大きく自分を成長させる人はいる。
 就職に強い、有利だと噂の大学や学部に進めても、そこでの過ごし方の違いによって、卒業後の人生は大きく変わる。
 けっきょくは本人しだいという身もふたもない結論になってしまうのだが、それが真実なのではないだろうか。


 ~ 文系、理系も、3年のコース選択も、安易に選ばないことが大事だと思います。
 ただし、それよりもっと大事なのは、選んだ方で頑張ることです(by増田涼太先輩) ~


 1代前に東大文3に入った先輩も同様のことを話していた。


 ~ 安易な選択はいけないとよく言われる。友だちが行くからとか理系にするとか、数学がきらい、だから文系とか。でも、それはそれでいいんじゃないかな。将来こういう仕事したいとか決まってないのがふつうだよね。やりたいことって、変わるしね。理由はなんでもいいと思う。ただ、決めたらその決断については、ないがしろにしないようにしよう。どっちに進んでも、選んだ方で成功すればいいだけのことだと思う」(by高橋航喜先輩) ~


 決めることに時間を費やすより、決めたことを成功に導くことに時間をまわす方が、人生の時間は有効に使える。
 どんなことがらも、必ずどこかで決断して行動にうつさないといけない。
 人生は本質的に「見切り発車」の積み重ねだ。自分が決めたこを「ないがしろにせず」、それを成功に導くための努力に自らのリソースを費やしたときはじめて、自分の向いていることや、やるべきことが見えてくる。やりはじめていない段階で、それは見えないものだ。

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将来とは(2)

2018年10月02日 | 学年だよりなど

  学年だより「将来とは(2)」


 「努力すれば夢はかなう」という言葉が、真実を含むものであることは間違いない。
 ただし、言葉通りの結果が得られるかどうかは、「夢」の中身と「努力」の仕方による。
 かりに今みなさんが目標を立てて努力したとしても、オリンピックや、ワールドカップに出場できる可能性のある人はきわめて少ない。
 かりに毎日1時間のトレーニングを今後5年続けたところで、実現可能性はゼロに近い。
 半年後に腹筋が割れていたいという願いなら、毎日1時間のトレーニングでも可能だ。
 「中間試験の成績でクラス10番以内に入る」が目標であるなら、多くの人が今から間に合わせることができるだろう。それが漠然としたものであれ、目標が設定されれば、やるべきことは形を帯びてくる。土曜日の合格体験談で曽我部先輩がこう述べた。


 ~ 今の時点での成績とかは関係ない。志望校を決めることこそが大事だ。
 そして今必要なのは、勉強しようとしたときに、それにたえられる体を作ることだ。 ~


 一年次のスタディサポが学年で300番台であっても、迷うことなく進んでいけば、現役一橋大合格という目標は達成される。


 ~ 自分の人生目標を目指すことが行動原理になっている人は、人生のプライオリティがはっきりしています。すべての行動が目標に合致し、ゴールに向かって最短距離を歩こうとするからです。このような人は、いろいろな分岐点にさしかかっても迷うことはありません。どちらに進んだらよりゴールに近づけるか、その視点で物事を考えるからです。
 目指すべきゴールがない人は右に進むか左に進むかでさんざん迷います。その日その日をなんとなく過ごすことになります。 (藤沢晃治『頭の悪い人』三笠書房) ~


 行動に迷いが生じるのは、目標が決まっていないからだ。
 もしくは決まっているはずの目標の中身が、不確かなものであった場合だ。


 ~ 多くの人が10年前に思い切ってあれしとけば良かったとか、もっとがんばってこれしとけば
 よかったとか後悔していますね。でも、10年後の自分から見たら、いまがその時なんですよね。
 だから、いまから毎日がんばればいいですよ。 (藤沢数希「週刊金融日記」) ~


 10年後の自分を想像するのは難しい。想像できないからこそ、楽しいのだとも言える。
 今のありよう次第で、可能性はどんどん広がるのだから。
 みなさんの年齢だとさすがに10年前を後悔するようなことはないだろうが、1年前、2年前ならどうだろう。「あの時、もう少しあれをやっておけば」と思えることもあるかもしれない。
 3年後の自分から見れば、今が「その時」なのだ。

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将来とは

2018年10月01日 | 学年だよりなど

  学年だより「将来とは」


 今学期の終わりには、文系・理系の決定という大切な選択をする時期を迎える。
 漠然と目の前の勉強をするだけでなく、将来を見据えて何をするべきかを考える気持ちもこれからは必要だ。
 10年後、20年後の自分の姿を想像するのは難しい。10年後、20年後の世の中をイメージするのは、もっと難しい。
 10年前に、知識人とよばれる人たちが何を述べていたかを検証すれば、なるほど「頭がいい」はずの人たちでさえ、10年後を予想できないのかとわかる。
 将来像とは、あくまでも現時点の自分たちの能力の枠組みのなかでしか想像できないもので、しかもそうなるかどうかの確信をもつことが誰にもできない、不確かなものだ。
 だからといって、個人が将来像を思い描く必要はないということにはならない。
 明日のこと、一週間後のこと、一年後のこと、つまり、強い確かさをもって想像できる身近な未来の積み重ねのうえに、将来は成立するものだからだ。
 たとえば明日の自分がどう生きているかは、かなり正確に想像できるのではないだろうか。
 一週間後なら、どうか。一ヶ月後、一年後は。
 今の自分と一ヶ月の自分、半年後の自分と3年後の自分とは、かなり似ているにちがいない。
 今の自分のまま高校2年、3年になったことを想定したとき、今の過ごし方が正しいのかどうか、見えてくる。


 ~ 頭のいい人とは、自分の人生に向かって最短距離を歩んでいる人。
  頭の悪い人とは、自分の人生目標に対して遠まわりしている人。
「頭の悪い人々」も大きな二種類のタイプに分けられるような気がします。それは、
  人生目標そのものを持っていない人。
  人生目標を持ってはいても、遠まわりしている人。
 いずれにしろ、人間がバカか利口かを判断する基準は、その人の人生目標に照らしてあわせて考えなければならない相対的なものであり、絶対的なものではありません。 (藤沢晃治『頭の悪い人』三笠書房) ~


 「ジュースを飲もう」と言った人が、パンの自動販売機前に立っている。
 大宮に出かけようとしている人が、南古谷の1番線で電車を待っている。
 次の試合までに減量しなければならない人が、ミスドでどか食いしている … 。
 こんな友人を見かけると、「あいつ、頭ヤバくないか … 」という感想を抱く。
 パンが食べたいならパンの自販機に向かうべきだし、川越へ行こうとして下り電車を待つのは正しいことは誰でもわかるのだが、こと人生のスパンになると、人はおバカになりがちだ。

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