折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

☆ 明けの明星 ☆

2006年02月09日 21時45分03秒 | 立春
 
けさ、リビングの南側のシャッターを上げましたら、薄明かりの中にひときわ輝く星。
あっ、金星だっ!
デジカメを手にして、もう一度空を見上げたら、
ちょうど「むらさきだちたるくものほそくたなびきたる」で
一度隠れてしまいました。

    ※ ここまでの動きは文章にすると、清少納言にもご登場いただいたくらい、
      非常にスムーズなんですが、あわてん坊なものですから、
      部屋でつまづき、棚からモノは落とし、角にぶつかり、
      スリッパ履いては、つんのめり、
      デジカメだけは離しませんでした、とさ ⇒ 「デジカメを手にして」の部分。
      (でも、結局ピンボケ、あ~ぁ)

日の出前のピンクにそまった雲がすぐに離れていって、
やや水色がかった南東の空にもう一度見えてきました。
あの高度だったら、これからしばらく明け方の東の空に、
早春の冷たい空気を突っ切って、冴え冴えと輝きわたってくれそうです。

7時のバス停、すっかり明るくなった青空に、
まだまだよ、とばかりに輝いていました。



そして、私んちの青紫色の花。
ローズマリーがありました。

よくもまあ、暑くても寒くても、ほんとうにたくましく咲きつづける花です。
これまでじっと見つめたことなんてなかったのですが、
この花弁の形が小さくとも特徴があります。

よく神様に創ってもらったもんだねと、感心します。

しかし、ローズマリーに言わせたら、
神が創りたもうたのは宇宙の始まり、地球の始まりの部分で、
今を遡って何百万年もかけて、ワタシのご先祖様が
自分の意志でここまで変えて来たのよ、となるのかもしれません。

生物の進化には、どう考えても意志があるように思えるのですが、
生物学的・遺伝学的にはどうなんでしょうね。

あまり理屈を言ってないで、
ローズマリーの花に見入って、現実の美しさにうなづいている方が、
あの花たちの望みのようです。
コメント (8)
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