これも、昨日(26日)の朝です。
夜来の雨に、牡丹の芽も濡れていました。
◇
鎌倉の古き土より牡丹の芽 高濱虚子 (1874-1959)
鎌倉、古き、牡丹。
歴史、華やかな花の姿、そして栄枯盛衰、どこか遠くを感じさせる落ち着いた句です。
(大先生の句を偉そうに批評なんてできませんが)
そして、鎌倉は私の大好きなところです。
歩きたいところ、見てみたいところがたくさんあります。
出張が週末とか週の初めとかなりますと、ほとんど決まって行くところがありまして・・・・。
大阪出張ですと、奈良斑鳩の法隆寺。
そして東京の出張ならば、まず鎌倉、いざ鎌倉です。
昨年3月の出張後には、富士山を見ることだけのために御殿場まで行って、
何だか江ノ電にも乗りたくなったから、藤沢に戻って湘南の海を眺めながら鎌倉へ。
そうして散々(好きで)歩いたあげく、羽田から最終便で飛んで帰る。
きつい仕事が続いていましたから、ひとり息抜きしたんです。
そんな経路を、実はこれまで2度たどってます。
(要するに暇人なんですわ!)
来月、久しぶりにそのチャンスが巡ってきそう。
(案外、日本橋三越×x×××ガーデンに行ったりして・・・・)
♪♪♪
これは確か、一昨年の春に家内がプレゼントでいただいた鉢植えなんです。

(2005年4月23日)
見事な花を咲かせたその豪華さに、そのときだけは(!)しばし目を奪われながら、
いつしか夏を越え、秋から冬を迎え葉をすべて落としても、
私は何の関心も寄せませんでした。
昨年までの私の接し方は、大方このとおりです。
花の盛りを過ぎたら、あとは無感動の水遣りのみでした。
(からからに乾くぐらいで水を遣る・・・・それだけです)
そしてまた春が来て、桜が満開か散り初めた頃だったと思います。
いつの間にか、牡丹のつぼみが大きくなっていることに気がつきました。
ちゃんと春を覚えていて、私の出番よとばかり、そして満を持しての開花・・・・。
◇◇
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置の確かさ 木下利玄(1886-1925)
(ぼたんくわ)
◆ 満を持してという言葉がぴったりの確かな存在感、これが牡丹の花の命です。
こうしてゴールデンウィークの頃にかけて、すばらしい花を何輪か再現してくれました。
携帯のデジカメで撮ったのが、そのときのもの。
その後大学生の娘も帰省して来て、庭のパンジー・ビオラ・チューリップの咲き誇る、
まさに春爛漫の頃でした。

(2005年4月23日)
♪♪♪
そしてまた夏が来て秋が来て、薔薇に心を奪われだした頃、はっと気がつきました。
牡丹が水だけで育つはずがないことに・・・・。
放ったらかしで何年も花をつけるほど、牡丹の花はバカじゃないんです。
たった2週間程の開花のために、残りの50週間をせっせとかわいがってもらった、
その恩返しに花を咲かせてくれるのです。
私は、ときどき言い聞かせることにしています。
私のところを訪れてくれた花たちすべてに、何らかの「責任」を持とうって。
大げさですが、少なくとも「いのち」を育てさせていただくという姿勢が大事。
植物が育んでいくお手伝い(そっと見守ることも含めて)をさせてもらってるということ。
そして、次のシーズンにつないでいくということ。
そこんとこを忘れないで楽しんでいる、そんな「趣味の園芸」でありたいなあ。
当然、牡丹にも寒肥を施しました。
◇◇◇
よろこびのきわまるときの牡丹の芽 高橋沐石 (1916-2001)
牡丹の芽にも薔薇の芽にも水仙の花芽にも、この早春、私の素朴な喜びがあったこと。
忘れないようにしたいと思います。