私の好みでしょうが、
この冬からとりわけ淡くて白い花が増えてきました。
その白いイメージで真っ先に浮かぶのがこの詩です。
ご存知の方も多いことでしょう。
(UNA POESIA DI OGGI)
夢みたものは・・・・・・ 立原道造 (1914-39)
夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
☆☆☆
最後のフレーズ、きっぱりと青年らしく言い切ったのがいいです。
からっとした初夏の風が吹き渡る5月のイメージも強いのですが、
一方では、私の中ではあくまでも白い花のイメージでもあります。
昔、結婚前にお付き合いさせていただいていた頃、
(こんな私でも、そういうときがあったのです!)
仕事が忙しくて、同じ市内でありながら、
ウィークデーに会うことが適いませんでした。
そこで、もっぱら電話よりも「文通」です。
いまや死語みたい「文通」って、
でも電子メールも「文通」ですか・・・・。
ある日、その手紙の中に添えられていたのが、この詩。
当時の私がどのように受け止めたか、全然憶えがありません。
でもそれから長くながく、今まで私の心に残る詩となりました。
あの頃夢見たものは何だったか、もう忘れてしまいました。
でも、ごく普通の生活を送りながら、思うことがあります。
自分が植えた苗が花をつけて、それを素直にきれいだと思えるとき。
夕焼けの茜空をながめて、今日も一日こうして暮れて行くんだ。
良かったでも悪かったでもなく、ただそれだけのことを思うとき。
朝ぼらけの南の空に、下弦の月と明けの明星を見つけては、
そのことだけを、ただうれしいという気持ちになれるとき。
家族と食卓を囲んで、もっとお野菜を食べたらとか、
目の前のものを全部食べなくてもいいのよとか言われながらも、
今日一日のよしなし事を、たわいもなく話しあっているとき・・・・。
つまり、季節の移り変わりの中、日常の生活の中、
私を取り巻く空気あるいは人々にかこまれながら、
自分の気持ちや想いが何かに投影され、あるいは反射して、
それらが私の琴線で感じ取れたとき、
私の夢見たものが「ここにある」んだなあと実感します。
なんだかずいぶん長いこと話し過ぎたようです・・・・・・では。