"テレビ見ない自慢"をしていた私も、昨年は「あまちゃん」にハマった。
実は、もう1つ、ハマっている番組がある。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(テレビ東京)である。
これは名古屋でもオンエアされており、何気にチャンネルを回してたら、つい見入ってしまった。
この番組の人気は高く、堂々とDVD化されている(他局で模倣番組が出現)。
そうなると、見落とした回を見たくなる。
一番見たいのは、ネットで評判が高かった「松阪~松本城編」。名古屋も経由するし。
4月にやっとDVD化されるというので、レンタルショップに並ぶ?まではとうてい待てず、予約購入した。
DVDを予約購入するなんて(しかもテレビ番組)、初めて。
この番組の面白さは、ありきたりの旅紀行・名物紹介ではなく、リアルな「乗り継ぎゲーム」にあり、それが逆に旅番組としても新鮮な視点を与えている点(路上のバス停が神々しく映る番組がほかにあろうか)。
旅をするのは毎回3人構成で、
リーダー太川陽介(往年のアイドル)がルートを判断するため地図を見入る姿に頼もしさを感じ、何より、一日の旅を終えた夕食でのビールをいかにも美味しそうに飲む姿に、見ているこちらの喉も鳴る。
相方である蛭子能収は、年長にもかかわらず、子供のようなわがままぶりで、リーダーをぶち切れさすことが多いが、彼なりの歯に衣を着せぬ言動には、建前のきれい事を排した真実がかいま見える。
この絶妙の弥次喜多コンビに、毎回女性ゲストが”マドンナ”として加わる。
上の二人は番組の”定数”であり、”変数”としてのマドンナは番組の成否(内容の良否&見事ゴールに達するかどうか)を左右する。
「松阪~松本城編」が評判良かったのは、この時のマドンナである加藤紀子の功績が大きい。
予定どおりにいかないハプニングの連続で、しかも炎天下での思いも寄らぬ長距離の徒歩(バス路線が途切れた部分)を強いられるなど精神的肉体的負担も大きい。
その時、どういう態度をとるかで”マドンナ”の人間性が露呈されるわけで、”ゲストのマドンナ”然としてお客さん的態度でいれば、三人旅はぎくしゃくする。
加藤紀子は、自ら率先して走ってバス停を見つけ、旅の危機を救うこと2回。
あと驚いたのは、バスに乗ってきたフランス人旅行者にフランス語で応対!
なんと彼女はフランス留学経験があるとのこと。
この番組で、彼女への好感度は確実にアップした。
さて、私がこの回を楽しんだのは、何より彼らの経由したコースが、私の行動圏と重なるから。
彼らは名古屋駅から市の基幹バスでわが町「藤が丘」で降り、そこから瀬戸に向った。
残念ながらその部分の画像はなかったが、一瞬でもわが町に降り立ったと思うとうれしい。
それだけでなく、乗り継ぎの危機場面であった瀬戸市の「下半田川」と「上半田川」の間は、私が東濃のドライブで通る道で、たとえば昨日の恵那旅では、往きに下半田川口のバス停を通り、帰りに上半田川口を通った。
さらに、中津川から馬籠を抜けるバス道は、私の定宿への道であり、そこから毎度行く馬籠に行く道である。
また、彼らが3泊目に投宿した「フォレスパ木曽」も、木曽路南部の温泉宿として、2回利用したので懐かしい。
この番組を見てつくづく思うのは、各地の路線バスというものが次々廃止され、地元の足が途切れ気味になっていること。
それを補って自治体が運航するコミュニティバス(ほとんどバンだったりする)がなんとか、乗り継ぎ旅を可能にしているのだが、今回の旅では、数ヶ所、数キロの徒歩を余儀なくされている。
つまり実質的にはバスでの乗り継ぎは不可能となっていた。
この番組を純粋に楽しんでいる人たちがいる。
「バスファン」だ。
私の大学時代の友人にこの珍しい「バスファン」がいて、とにかく休日は、バスに乗るのを楽しみにしている(今では大学教員の彼が、子供の時はバス車庫で笛を吹いてバスを誘導する係になりたかったという)。
彼によるとバス好きには2派あり、「観光バス」ファンと「路線バス」ファンに別れるという。
前者はバスの乗り物としての型式に興味があり、後者はバス路線を走破することを楽しみとする。
ただ残念ながらバスファンの人口が少ないため、専門メディアがなく、鉄道雑誌の片隅にバスのページを間借りさせてもらっているという(当時の話)。
その数少ない「路線バスファン」にとって、この番組は願望そのものであり、永久保存の神番組に違いない。