東京宅で迎える日曜。
何も準備せずにふらりと行ける山は、高尾山。
同じようにふらりと行ける散歩先は、谷中。
さらに長く歩きたいなら、谷中七福神(田端〜上野)という手がある。
というわけで、数年おきにやっている谷中七福神巡りに出た。
ただし田端の東覚寺(福禄寿)は元日に行ったので省略。
もっとも正月イベントとしての対応は10日で終っているので、期間外となる。
実際、行った先のほとんどの寺が閉まっており、参拝を受け付けているのは、上野に近い護国院(大黒天)と不忍池の弁天堂だけ。
期間外の今日であっても七福神めぐりの団体が幾組もいたのに…。
まぁ、幾度も通っている私なので、別にがっかりはしない。
それに今日の目的は”歩き”だから。
その中で、護国院は本堂に上れて、大黒天は無論のこと、本尊の釈迦三尊像をはじめとする仏像を拝められる(ただし期間外は暖房なし)。
護国院から不忍池へ向う旧都電の道は長いので、芸大に戻り上野公園内の清水(きよみず)寺に立ち寄る。
この寺は七福神とは無関係。
清水寺内には、参拝は「手を打たない」 ことと英語と日本語で書いてあった。
日本人でも寺と神社の参拝法の違いがわからない人がいるため。
上野の山にある東叡山寛永寺は、江戸城の北東にあたり、風水的に京都における比叡山延暦寺を模している。
そしてその麓の不忍の池は琵琶湖で、島状の所に祀られている弁天堂は竹生島の弁天に対応している。
そしてここ清水寺は、京都東山のそれに対応し、東に向けて清水の舞台もしつらえてある。
そして清水の舞台から正面に弁天堂が見えるのだ(写真)。
もちろん京都の清水の舞台からは、琵琶湖は方向違いで見えない。
清水寺正面の石段を降り、七福神最後の弁天堂に詣でる。
やはり、柏手を打つ人がいる。
といっても、実は弁天は”仏”ではない。
もとはヒンズー教の神サラスヴァティ(今でも人気がある)だから、むしろ”神”だ。
実際、江ノ島などでは神社として祀られている。
なので参拝は、ヒンズー式でやるべきかも。
考えてみれば、谷中七福神は全て寺にあるが、その七福神自体はいずれも仏ではない。
弁才天・大黒天・毘沙門天 は天部だから、仏を守る守護神系で、もとはインドの神。
布袋は、坊さん?(弥勒菩薩の化身という説あり)
寿老人・福禄寿は不老長寿を願う道教系。
そして恵比寿は、蛭子(ひるこ)なので神道系。
というわけだから、いずれもそもそも仏式礼拝の対象でもないことになる。
まぁ、仏教もヒンズー教も道教も神道も、それぞれ融通の利く多神教だから、一緒に祀られても互いに文句は言わないはず。
そのような神道と仏教による”神仏習合”こそ、日本人にとって自然な宗教の姿だと思う(明治政府以来の神仏分離策はどうもなじめない)。
というわけで、本当は寺と神社での拝礼の相違に目くじらをたてたくないのが私の立場。
四宗教混交の七福神巡りをして、改めて宗教の境界を考えさせられた。