先週の日曜は高尾山に行ったので、今週の日曜は浅草に行った。
なぜなら、高尾山について最も参考になるガイドは、川副秀樹氏の『浅草と高尾山の不思議:東京を再発見する大人の旅』(言視社)で、高尾山に行く前にこの本(電子版)を読んだのだが、表題でわかるように、高尾山と一緒に浅草寺(のあちこち)についても、これまた詳しく紹介されていたので、高尾山の次は浅草寺に行きたくなったから。
多くの人は高尾山はメインの1号路ばかりを通って、その道から外れた名所を素通りするように、浅草寺においても仲見世と本堂の往復で、脇の名所を素通りしている。
上の本を読んで、私もその一人だったことがわかった。
浅草へは、自宅から少し歩いた通りで雷門行きのバスに乗れるので楽。
浅草寺に行くなら、終点手前の「浅草六区」で降りる。
ぞろぞろ歩いているおじさんたちに混じって進んだら、ウインズというビルの場外馬券場に入りそうになった。
ここは訪問予定ではないので、あわてて列から抜けて、昼から立ち飲みをやっているホッピー通りを横断し、商店街を抜けて浅草寺境内に西口から入る。
ここには淡島堂があり、本尊を拝む。
ここは私にとっての出入り口にあるため、以前から知っている。
さて、境内を北に進み、今まで来たことなかった銭塚地蔵尊を詣でる。
真新しい堂内には、背中合わせの六地蔵が六方向に向いている。
堂内を一周して、御影を購入(200円)。
堂の外には、カンカン地蔵という名の原形をとどめていない石地蔵があり(写真)、昔の人が石肌を削って願をかけていたからそうなったらしく、石で地蔵をたたくとカンカンと音がするという。
今では削ることは禁止されていて、置いてある黒い丸石で地蔵のあちこちをたたいてみると、場所によっては確かにカンカンと音がする(私欲のない私はいちいち願をかけない)。
本堂の次に大きい影向堂に行くと、奥に干支の本尊が横一列に並んでいる。
目の前にいたご婦人2人が、本尊に向かって2回おじぎをしている。
そして案の定、次に柏手を2回打った。
さすがに目の前でこんなことされては黙っていられず、横に並んで、そっと「お寺では柏手は打ちません」と教える。→お寺での参拝の仕方
すると、二人は驚いた様子で、「ありがとうございました」とお礼を言ってきた。
ここから六地蔵石灯籠、金龍権現、観音座像、銭塚弁天を通り、阿弥陀座像と四天王が囲む宝篋印塔を眺めて、本堂に行くと、参拝者が長い行列になっているので、私は脇から本尊に参拝。
するとここでも長い列から、パンパンと柏手を打つ音が響いた。
まさか、明治になって制定された神社参拝作法を意地でもお寺で実行する主義ではあるまい。
そういう神仏分離主義者は、排仏指向なのでもとより仏寺で参拝はしないはず。
むしろ神も仏も区別しない神仏習合派というなら、それはそれで歓迎したいが、
たぶんさきほどのご婦人と同じく、仏様に対する正しい参拝法を知らないだけなのだろう(お寺で柏手打つ人が、必ずしも若い人とは限らないのが悲しい)。
宝蔵門を抜けて、大行院の三宝荒神を拝み(ここの御影は1000円とやたら高いので買わない。自宅のキッチンにはすでに三宝荒神像が祀ってあるし)、反対側の二尊仏、阿弥陀仏、地蔵仏を巡って、弁天堂に行く。
残念ながら、ここの弁天堂(白髪弁天)は巳の日以外は閉じている。
かように浅草寺境内は、見所が多い(二天門・浅草神社は省略)。
次回は、巳の日に来るとしよう。
感染者激増中なので、混雑してはいないが、さすが浅草だけに人出はそれなりにある。
その中で、若い女性の着物姿は映えるが、若い男性の着物の着方、なんとかならないかなぁ(着物を着ようとするその心意気は良しとする)。