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ハンナ・アーレント 矢野久美子

20世紀のドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者の生涯とその著書・思想を解説してくれる本書。私自身、このような人物がいたことを全く知らなかったが、大変面白く読むことができた。まずその生涯だが、ナチスの迫害から逃れるためにパリへ移住、さらにそこからアメリカへ亡命とまさに波乱の生涯。そうしたなかで、ハイデカーやヤスパースといった有名な哲学者の知己を得て、自分の考えを投稿論文やラジオ番組などで披露していったという。本書を読むと、ヨーロッパに暮らしていたユダヤ人の苦難がナチスドイツの崩壊によって終わった訳ではないということが判る。要は、アメリカなどに亡命して「最終解決」を免れた人々にとって、第二次世界大戦の終結後、亡命先にとどまるのか、もともと暮らしていた国に戻るのか、イスラエルに移住するのかという選択が深刻な問題になったという。確かに、どこが自分の居場所なのか、住むべき場所なのかが、個々人にとって深刻な選択を迫る問題であったことは理解できる。アインシュタインのようにすでにヨーロッパで高名を得ていた人であれば、問題は小さかったのかもしれないが、まだ若い大半の無名のユダヤ人にとっては、安全な居場所という観点からも大変な問題だったと想像できる。そこには、「なぜナチスがあのようなことをしたのか」という問いに対する答えがなければ、決めかねる問題でもある。戦後アメリカではマッカーシー旋風が吹き荒れ、そうした恐怖はこうした人々にとって切実な問いかけだったのだろう。そこの彼女が考察し続けた「全体主義とは何か」という問いかけがあったのだと思う。さらに、「ユダヤ人の中にもナチス協力者がいた」「ドイツでもナチスへ抵抗運動があった」などという記述のある「アイヒマン裁判」に対する彼女の論文が、世界中の非難を浴び、ほとんどすべての友人を失うという事態になったという。彼女にとっては、単純なナチス完全悪説では、どこに自分を置くべきかを決めることができないという意味で、切実な考察だったのだろう。彼女の苦難続きの生涯において、友人の全てを失うことの厳しさを思うと、本当に強い人間とはなにかを本書は教えてくれる気がする。彼女の思想そのものに触れたわけではないが、忘れがたい1冊だ。(「ハンナ・アーレント」 矢野久美子、中公新書)

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