ケネディは金髪だったからニクソンに勝ったと、昔はまことしやかに言われていた。
マリリン・モンローが金髪でなかったら、時代は変わっていたかも!!!
E-girlsは、歌はあまりうまいと思わない。踊りはうまいが、人数が多すぎて眼が追いついていかない。いつも金髪の女の子に眼がいってしまう。一種のめくらましかも。果たしてその女の子が抜けてどうなるのだろうか。
男は一回社会に出て働くと止まれない、て死んだ親爺が言っていた。その通りで、途中下車することもなく、ずっと働いた。結局、組織の中で生きて、その文化の中で暮らす。だから、当時に流行った歌が欠落していることがある。
たとえば、ZARDなんか。それから尾崎豊も。今、新鮮に聴いている。二人とも、すでにいないけど・・・
東海道の一里塚、みんな榎だそうな。
NHKプレミアムの「The Covers」で野宮真貴という歌手を知った。「渋谷系」と云うそうだ。それすらこれまで耳にしたことがない。ネットで調べたら、1960~1980年代の幅広いジャンルの音楽を素地として1980年末頃に登場した都市型志向の音楽であるそうな。彼らのCDジャケットやファッションは、1960・70年代のデザインを引用し解釈しなおした斬新なものである、とのことだそうだ。確かに、彼女を見た時、オードリ・ヘップバーンの『おしゃれ泥棒』、カタリ―ヌ・ドヌーヴの『昼顔』のファションが頭をよぎった。
1970年前半、私は渋谷の宇田川町、通称センター街のドン詰まりの「マルジェ」の螺旋階段で降りる地下喫茶室に居た。螺旋階段と言えば、銀座には高級喫茶の「ジュリアン・ソレイユ」があった。確か灰皿が貝殻だった。そこから、少し歩けば、『銀巴里』があった。歌っている奴も、聞いている奴もみんな気取って背伸びをしていた。
野宮真貴のショーは、時間が過去に戻りながら、どこに行っているんだろうという不安と、奇妙に現実性の欠けたマネキン人形がツイストを踊るようなデパートのシューウインドウであった。
ゆったりとした平和で怠惰な時代がかつての日本にはあった。飯田橋の『パール座』で深夜4本立てのトリフォーの映画を座布団持参で見たような、1秒が3秒になるような退屈な時間の流れを思い出した。いずれにしても、彼女は年齢の物差しの無い世界に棲む女性と視た。還暦まで歌うと云う。実に恐ろしき人である。
かつて、それも大昔、たぶんネスカフェの宣伝だったかな。中村紘子と云う小柄でキュートな女性が出てきて、ピアノを舞踊のように優雅に弾いた。嫉妬まじりに、小賢しい女とみた。あれから彼女はずっとこの国のピアノ界を牽引してきた。
先日NHKBSプレミァム『クラシック倶楽部』でバッハの「パルティ―タ」とショパンの「幻想即興曲」等を弾いた。ショパンを弾く時は「綿密な計画の下に、あたかも即興でやったかのように弾き、しかも詩的でなければならない」と言った。爾来、賢しい婆さんになったものだと思った。
今や太い樽のような胴体から肉体労働者のような太い腕で、打楽器のように鍵盤を叩く。しかし、だいぶ前に録画をしたのだが、未だに消す気にはならない。悔しいけれど、その音には年令を越えた魅力があるようだ。彼女が豊かに歳は重ねたあかしでもある。
とある小さなコンサートで、名もない若いピアニストが袖なしのドレスを着てピアノを弾いた時、その腕の太さに驚いたことがあった。ふと気が付いたのは、女性のピアニストは太い腕を隠すために袖なしのドレスを着ない。しなやかな腕と胸の鎖骨を見せるバイオリニストと対照的である。