ネットで佐高信は「(地上波の)TVは見ない方が良い」と言った。賛成だ。
昔、佐高は報道番組の寵児であったが、今はどの局も呼ばない。最後の関口の「サンモニ」が呼んだが、何だか皮肉ぽくて可笑しかった。
単に口の悪いだけの老人の排除は、この圀のメディアの権力への忖度のふりだが、実体は権力への怯懦である。明日にも棺桶に入る老人の政権批判を恐れるメディアは、もはや報道という看板を下ろし、エンタメ専門局になればよい。
しかし、それだと放送法の許可が降りなくなるのかもしれない。片腹痛い。
ネットで佐高信は「(地上波の)TVは見ない方が良い」と言った。賛成だ。
昔、佐高は報道番組の寵児であったが、今はどの局も呼ばない。最後の関口の「サンモニ」が呼んだが、何だか皮肉ぽくて可笑しかった。
単に口の悪いだけの老人の排除は、この圀のメディアの権力への忖度のふりだが、実体は権力への怯懦である。明日にも棺桶に入る老人の政権批判を恐れるメディアは、もはや報道という看板を下ろし、エンタメ専門局になればよい。
しかし、それだと放送法の許可が降りなくなるのかもしれない。片腹痛い。
戦前の軍人政府は、統制経済の中で用紙供給の権限で、当時の大手新聞社を統制し、大本営報道を徹底させ、敗戦の実態から国民の眼を塞いだ。
現代の財界政府は、電通等の広告収入でTV・大手新聞を操り、また政府は、放送法の許認可をチラつかせ、TV系列メディアを操縦している。
よって、与党議員や上級國民の犯罪・スキャンダルを最小化報道に歪曲させることに成功した。
仮にこの國の情報管理統制の意図は戦前と変わらないとしたら、その方向は戦争なのだろうか。
次期首相候補の名前を勝手に造っているのはメディア企業でしょ?誰も自分の知っている範囲でしか国会議員なんて知らない。
世論調査を受けたことはないが、たぶん例として名前が列挙されているのだろう。
例えば、【設問】に小泉、石破、河野、上川、キシダ、スガ、コイケ・・・その他( )、となっているのだろう。要は、広告・開発業のメディア企業が勝手に名前をあげているに過ぎない根拠なきモノ。
フシギと、村上(誠一郎・自民党内の批判側)や山口(那津男・連立与党の公明党首)や岡田(克也・実質の立民党代表)の名前が出てこない。
個人的な趣味だが、彼らの方が上の四人より政治家らしいと思う。結局、大手新聞は戦前の情報統制機関の遺物、テレビは戦後の世論操縦機関と視る。
都知事記者会見に関して、アークタイムズの尾形氏や一月万冊の佐藤氏は「記者として情けない」「記者の立場を理解していない」とジャーナリストの気概を求める論調で批判する。
実態は、既に組織的またはシステム化されている小芝居ではないだろうか。
前回の記者会見で世論に忖度して一応学歴詐称の質問をした代償として、今回はヤラセの記者質問に終始したのではないか。悪く言えば、都庁広報部局のシナリオに沿った小芝居だったのではないだろうか。
尾形氏は若い記者の名前や顔までネットに出して糾弾していたが、当該の記者は大きなマスクをして画面に映っていた。その記者は予め場外からの非難を予想しての最低限の抵抗だったのではないか。
事の本質は、権力側が恥ずかしげもなく記者(=報道機関)の従属を求めているのではないか。つまり権力が反民主行動で踏み込んできている。その危機を我々国民は気付いているのだろうか。
近頃、東京圏では、朝日や読売といった大手新聞よりゲンダイの方が信用し得る情報媒体となっている。或いはネットや文春砲などの他の媒体の方が信用度が増している。
ネットの新聞記者出身者たちは、今の若い記者のジャーナリストとしての「志の低さ」を口を揃えて誹謗する。
しかし、上役や会社の方針を忖度し社員としての評価を得ようと思う輩は、当然御身大切にふるまい、女帝の独裁的な記者室運営に反抗しないのは当然に予想しうる自明の事であろう。
単純に「志」の問題でコトが片付くのだろうか? それでいいのだろうか、…。