玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

醜い報道人

2023-10-06 14:30:32 | 報道

先日のジャニーズ事務所の会見で、突然に「子供が見ているから、ルールを守ってくれ」との発言が出た。

児童を虐待したと認めた企業が堂々と発言した。少しヘンテコリンではあるが、その瞬間は、道理があるような錯覚を与えた。

さらに、その変な行為をジャーナリストや報道機関が拍手した。それから、特定の記者を一斉に叩き出す。まさに洪水のような虐めだった。ところが、公共放送だと云うNHKが「NG記者」条項の存在を特ダネで報じた。

今度は、特定記者への非難の波はもの凄い速さでネット上から消えて行った。

これは何なのだ?こうした醜い報道人たちがジャニーズ事件の隠蔽を幇助したのかもしれない。

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ネットの忖度

2023-09-04 13:09:09 | 報道

最近気づいたが、一月万冊の佐藤氏、アークタイムスの尾形氏、二人ともキハラ事件やジャニーズ問題を大手新聞・テレビが報じないと問題視する。とくに「記者は書けるのに書かない」と記者個人の勇気や力量を責める。

二人は元朝日新聞、尾形氏の退社理由は知らないが、佐藤氏は自ら書きたいモノを書こうとした結果、資料室や週刊誌に左遷されたと言っていた。

この国の組織では、空気を読まずに正論やまともなコトを言えば、場合によって左遷、下手すれば馘に追い込まれる。

どこの記者も書かないのは、どこの社もその上層部の方針ではないのか。ということは、その上のメディア業界があり、政治という名の自民党が関係しているのではないか。

自らの経験に戻って、何が真の原因か、何が理由かを突き詰め、それを発信して欲しいものだ。ネットは自由度が高いはずだが、推測だけでは言えないという矜持なのか、単に元のメディア業界への忖度なのだろうか?

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報道言論の危機

2023-08-19 15:22:04 | 報道

昨日、ネットのアーク・タイムスを見ていたら、尾形(元朝日)、青木(元共同)、望月(現東京)がほぼ異口同音に「近頃の記者は権力に立ち向かう気概がない」ことを嘆いていた。

青木はキハラ事件関連で「警視庁の各課には大手新聞社は何人か記者を配置しているのに、先日の元現場捜査官の警察庁長官の『事件性はない』への真っ向う否定発言に対しての警察内部の反応や動きすら全く書かない」と嘆いていた。

こちらから見ると、三人はネットの発言すら何かを恐れて遠回しな言い方だ。恐れているのは内情をよく知る自分達ではないか。

警察を敵に回すということは、国家暴力をまともに受ける危険があると重々身に染みているからだろう。

実際に取材していないからと、「国家警察の暴力」を明確に言わない青木たちは、一見フリーな振りをしているが、そこらの記者と同じに、御身大切な気弱なジャーナリストではないだろうか。

個人の逃げ腰の態度から「新しい戦前」がまたも蘇るのではないか。

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庶民は忘れていないよ

2023-08-16 15:16:09 | 報道

「4日間37.5度以上の熱が続かなければ、病院に行くな」と言った加藤六月の婿という世襲議員の加藤勝信さんが厚労大臣に普通に再任された。

コロナの時の庶民の苦しみ、恨みを全く知らないヒトの人事だと感じた。いくら派閥均衡と云っても、キシダは加藤氏を厚労大臣にすべきではないだろう。

キシダ政権は庶民の声を聴けない、いや聞かない政権であろうと言わざるを得ない。

コロナの流行がヒトの死を軽くしたのだろうか。

警察が戦前の特高警察のように人権無視の方向に回帰しているのだろうか。

そう言えば、伊藤詩織さん事件の逮捕状差し止めも腑に落ちない。キハラ事件で、人々が警察を疑い出したら、新聞・テレビに日大の大麻・覚せい剤事件が出て、更に再エネ利権の汚職の報道というメディアへのサービスが施された。

政府や警察は庶民の目晦ましをしているつもりなのだろう。

もう庶民には見飽きた政権・警察とメディアの出来レースの光景で、投げられた餌を懇ろに報道するメディアの賤しさばかりが目立つことになる。メディアも政権の僕(しもべ)であることが見えてくる。

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この日であるが故に、…

2023-08-15 14:38:42 | 報道

公式の終戦の日は、印刷局から官報号外として8月14日付けの「詔書」が公布された「14日」である。8月15日の午前零時に迫水書記官長から各社に「詔書」が伝達され、新聞は玉音放送の後に配達することが要請された。

各新聞社は記事を書き写真を載せ印刷をし、そして各地に配送をし、正午の玉音放送の後に新聞を配ることになった。

ということは終戦の記事はたぶん15日には書かれていないだろう。14日までに新聞各社は凡その記事を書いていて、「詔書」を足して載せたのだろう。

戦後、8月14日付けの詔書は「終戦詔書」と呼ばれるようになった。玉音放送は8月15日の天皇の詔書朗読の前段で、下村海南情報局総裁が「これよりつつしみて玉音をお送り申します」と言う内容のニュース原稿が残っている。つまりその日、その瞬間から天皇の「朗読」は「玉音」となった訳である。

放送全体のテープもしくは録音盤は残っていない。天皇の玉音録音盤も劣化して使えない。今我々が聞いているのは米国のテープを複写したものである。

この國は、「国家の記録」を粗末に扱うのが好きなようである。これは今も変わらない。

【参考・引用文献:迫水久常『大日本帝国最後の四か月』河出文庫、竹山昭子『玉音放送』晩聲社】

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