この國の世論調査を信用していない。しかし、総選挙の結果は「数字の事実」として受けとめている。それはこの国の政治を考える確実な手立てとなるモノだから。
何年か前から、立民の枝野が好きではなくなった。それは党名を決める際に、執拗に「立憲民主党」にこだわった。そこに創業者のワンマンという暴力を感じたからだ。政党は公党でなければならない。つねに民意を尊重しなければならない。その基本を忘れていた。
周りを見れば、立憲の「憲」が字画が多くて書きにくい人、或いは障害を持った人や字が書けなくなった老人も居る。今回も略称では競合してしまった。単に彼の意地のようなものを押し通しているだけ。彼以外にそういう議員がいるなら、なおのこと問題である。
古めかしい「立憲主義」を振り上げて、無理矢理押し通す高慢な弁護士の像が浮かび上がった。
どこかの阿保なマスコミが今回の立民の退潮を「党の私物化」と評したが、それは違う。単なる成功体験者の自己過信である。
マスコミは言葉のすり替えの名人でもある。
マスコミの云うアベの「私物化」も違う。加計事件の本質は官僚や大臣に忖度という命令をして、表面上の合法性を纏った小汚い横領である。
サクラも国の行事の私物化ではなく、ケチっぽい地方政治家が行う地元民接待に国の行事を使った便乗商法であろう。
「私物化」なんていうマスコミの小洒落た用語はふさわしくない。
そういえば、山口県のアベ選挙区では投票数が目標の前回の10万票に届かず8万票だったとか。
ここで野党第一党の立民党は逃げて候補者を立てず、東京8区で追い出した「れいわ」に押し付けた。
これこそが野党第一党の横暴さであり、自民党の傲慢さを批判できない。
こんな党に比例区まで投票するお人好しがどこにいるのだろうか?今回の退潮の一因がここに有るのだろう。
(紙幅の為、次回に続く)
松山の大街道アーケードの天井