自民党は、かつての政友会が票集めに使った地方の利益還元を基本に、負担は将来に先送りにし、現在の経済浮揚策だけを優先政策とする現実的利益誘導主義の政党であり、一番の特技は、国民を欺く技術が天下一品であることだ。最近は、憲法9条の解釈で、また国民を騙そうとしている。かつて日本の軍国化の如意棒となった「統帥権干犯」は、帝国憲法の第11条、12条の解釈から始まったことを政治家諸士は肝に銘じてもらいたい。
1923年には、ワシントン会議の世界的な軍縮方向の余波を受けて、議会は珍しく一丸となって軍制改革を進め、一定の軍縮の成果(山梨・宇垣軍縮、地方幼年学校の廃止)をあげたが、地方都市からの聯隊廃止反対運動に腰砕けになり、途端に「軍縮はもう終了した」として、行政全般の整理にすり替えてしまい、千載一遇の軍制改革の機会を失ってしまった。それが、後になって、大きなツケとなって総動員体制下による軍国化が急速に進み、政党自身の首を軍部によって絞めつけられていくことになる。
1930年のロンドン軍縮条約の調印にあたって、政友会は、選挙で負けた腹いせか、「統帥権干犯」と浜口雄幸民政党政府を非難し、海軍のガチガチの艦隊主義者の加藤軍令部長を幇助する始末、まさに深謀のくせに短慮の政党であった。自民党がそうであるとは言わないが、地域利益や権力奪取ばかりを優先すると国家の大計を見誤ることがあるようだ。
とどのつまり、「統帥権干犯」が政治的武器となる道筋を愚かにも軍部に議会の側から教示したのは政友会であり、地方の利益優先という党是は、どうしても現代の自民党の姿勢とダブらせて想起してしまう。もっとも、民政党も野党時代には、1928年パリ不戦条約の調印に於いて、「人民の名に於いて」という言葉が君主国と矛盾すると騒ぎ立てているから、両政党ともレベルは同じなのかも知れない。こういうくだらない足の引っ張り合いが多くて、そもそも日本には二大政党というのは向かないのかもしれない。
そう言えば、当時一貫して軍縮を言い続けた尾崎行雄は、「東洋には元来派閥の観念はあったが、公党の観念はない。政党とは、国事を論議し、これに基づく意見を実行に移すことを唯一の目的とする人民の結合である」と言ったそうです。(『日本における近代国家の成立』E.H. ノーマン 岩波文庫) なんと先を見通した優れた意見であったか、今更ながら感動してしまうことを、恥ずかしいと思う。