正月が過ぎ、もうすっかり街は平静にもどって、日のあたる歩道を、保育士に連れられた保育児の群がみんな同じ帽子をかぶって、或いは、年少さんたちは家畜のように箱車に乗せられて、公園の方に向かって手をつなぎならヨタヨタと歩いている。かつて、こうした光景は旧ソ連にあるような光景だと思っていた。旧ソ連では、男性と女性は同じ労働者であり、女性でも電車の運転手、バスの運転手をやると聞いた。そして子供は国家が育てる。そんな男女平等という実態を共産主義国家の特別な成果と捉えていた。しかも、資本主義国家の自由と相応するものとして捉えていた。今、この日本においては、女性たちはあたりまえにタクシー運転手になり、大工や左官や大型トラックの運転手というガテン系の職業にもドンドン進出している。21世紀の成熟した日本資本主義社会の中で、旧ソ連と同じ情景に出くわすとは、いったいどういうことなのだろうか。どうも自由と平等とは20世紀に考えられていた簡単に区分けできる概念ではなかったようだ。今の中国に、北朝鮮に、自由がないのは解っているが、果たして平等はあるのだろうか?とも考えてしまう。20世紀にあった社会主義国家というものは、ひょっとすると単なる統制管理国家でしかなかったような気になってきた。国家の中身としてのイデオロギーや政治観念が異なるとしても、外形上の国民の動きは戦前日本の総動員国家体制とどこが違っていたのだろうか。大して変わっていないんじゃないの、と思ってしまうのである。
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