昔々のこと、多分70年代かな。日本の将来を規定する三つのキーワードがあった。それは、『情報化』・『高齢化』・『国際化』という言葉だった。これは就職試験の常識問題になったり、時代の世相を論ずる言葉として新聞紙上を賑わしたものだ。当時は情報化と云うと、007スパイのようなイメージがあったが、やがてパソコンが簡単に手に入るころから身近で日常的な言葉となった。高齢化は自らが高齢化することは当たり前のこととして、その根底には少子化が付随し、社会から総体的に若者が減るという事態は、簡単に言えば活気のない社会になることを予言していた。この言葉が個人を直撃したのは、自らの親の介護問題だった。介護に割かれる時間と労力によって、子供の人生は大きな影響を受け、深刻な問題として受け止められた。当時から、一番ボヤーとして掴みどころがなかったのが国際化という言葉だったと思う。それが、グローバリゼーションという言葉が流れてきて、リーマン・ショックあたりから、アメリカがクシャミをしたら日本が風邪を引く程度ではなく、世界のどこかで、何かが起こったら、光の速度でこの極東に偏在した日本にも関わりが出てくるということが解ってきた。
今回のイスラム国のこと、一昨年のアルジェリアの日揮人質事件も然り。戦後七〇年間、平和憲法のもとに、ただの一度も他国と戦争をしたことがない平和ボケ国家で、誰一人徴兵されることもない楽ちん国民である日本人が、そして、宗教とほとんど縁がなく、宗教と云えば、葬儀仏教程度の無宗教の国情で、この地球の自転する程度の僅か一瞬の時間性の中で、同時的に遥か西のイスラム教を信じる他者が勝手に引き起こした事件に当事者も、一国の首相も斯くも簡単に巻き込まれていく。これが70年代に最も希薄に見えた『国際化』という未来用語の行きつく先だった。あらためて受け止めざるを得ない、・・・。