玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

旧い話

2015-02-16 23:04:13 | 

かれこれ10年前の話だが、とある機会に「ものつくり大学」(埼玉県行田市)の野村東太学長に会うことになった。野村先生は遠いところまでよく来てくれたと歓迎をしてくれて、できたばかりの綺麗な学生食堂で日本酒をご馳走してくれた。野村先生は、職人や技能を極める“ものつくり”という新しい大学の在り方を熱ぽく語ってくれた。酒が廻って話が進み、なにげにか、出身高校に話が及んだ時、野村先生が私の高校の大先輩であることが判った。東京郊外の名も知れぬ鄙びた高校で、校門から校舎までの長い銀杏並木、何故だか言い伝えられた20本くらいの細い木があるだけの「なまけの森」、ソーダ硝子で歪んだ窓の旧い木造校舎、等、その学校の卒業生しか判らない共通用語を確認しあった。その会話の中で、教室でいつも野村先生の前の席に座っていたのが西洋史学者の木村尚三郎だと聞いた。私はいつか木村尚三郎に会う日を期待した。

それから2年ぐらいたっただろうか、2006年10月、木村尚三郎氏の訃報が新聞で報じられた。その1年後の2007年8月、野村先生も77歳で鬼籍に入られた。

先週のこと、いつも行く古本屋の店頭で『歴史の発見』(木村尚三郎 中公新書)を見つけた。自然に手が伸びた。

「過去は、それが記述された瞬間、過去がそのものではなくなり、一つのフィクションと化す。そしていかなる形のフィクションとして構成されるかは、一に記述家・歴史家の主体にかかっている」

「我々が生きている現代ですら、…わからないのに、どうしてその場にいあわせもしなかった、見聞きもしなかった過去のことなどわかるであろうか」

「人間社会における真実は、一つの事柄について決して一つではない。…やむなく一事物一真実を強制されることがしばしばである、というにすぎない」、等々

私はもう一人の大先輩に会って、話をしている気分になった。

 昼間の酒は酔いが早い。

コメント (1)
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