天皇践祚のあたる大嘗祭に外国から元首もたくさん来るだろう。日本の首相や高官も参列するだろう。この国はいつから祭祀国家になったのだろうか。現憲法のどこにそれが書いてあるのだろうか。全く不思議なことだ。
凡ては、事実が公表されないことで、この国の政治が成り立っている。事実を隠蔽や粉飾しないと国民主権の国家は運営できないのだろうか。一九八九年一月に昭和天皇が亡くなって、やっと『天皇独白録』が翌年の一九九〇年刊行された。豊下楢彦の『安保条約の成立』も一九九六年の刊行である。
本人が死なないと何も出てこない。それでも本当のことは闇に葬った侭だ。結果として、事実の端切れでも、それが出てくるのがあまりにも遅すぎる。
この国の政治は、モノの本質は、まず隠す、そして燃やす、または改竄する、結局、モノが、コトが無かったことにする。
それができるのが、国家権力というモノなのかもしれない。それは、近年の森友・加計事件で嫌という程よくわかった。
このまま見せかけの主権在民を唱える日本という国家は、どんどん姿を変えて、官吏の國家や企業の国家へと流れていくのか。それとも、神道や新興宗教の祭祀国家になるのだろうか。
【参考文献:村上重義『天皇の祭祀』岩波新書2004年】
この国には、いろんな神社がある。