『木戸日記』では「9月6日の御前会議の再検討を必要とする見地より、東條陸相に大命降下を主張す。…反対論はなく、廣田・阿部・原の諸氏賛成せらる」とある。
重臣会議の賛成者は、原は首相経験はなく、枢密院議長である。廣田は外相出身である。阿部陸軍大将は木戸の娘が嫁いでいる身内である。つまり枢要な重臣ではない。
二・二六事件で殺されかけた岡田海軍大将、陸軍によって内閣を潰された米内海軍大将、何よりも陸軍の林大将ら首相経験者の意見が、『木戸日記』には全く書かれていない。
東條への大命降下は木戸が強力に推した結果であったのだろう。
『木戸日記』の中には、天皇の労い言葉の「虎穴に入らずんば虎児を得ず」が出てくる。これは戦後「東京裁判」に日記を提出する際に、東條の推薦が天皇に褒められた(認められた)証拠として、木戸が敢えて残したと推測する。
だが、9月6日の御前会議の開戦条項を白紙化するとの奇策を打った東條の首相起用を「虎児」と譬えても、結果は、たった二週間程検討しただけで、開戦路線を止めることはできなかった。
半藤一利は、この本の解説の中で、東條の首相就任は宮廷政治家木戸の「野望」と見ている。
東條の野心は「英才と言われたが、長州閥でない為大将になれず、不遇だった父英教の無念を晴らす」とみるが、木戸の野望とは、一体どのようなモノなのだろうか。【次週へ】
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