玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

小田急線散歩(2)

2015-03-08 08:58:01 | 散歩

当初は簡単に考えていた、代々木上原~新宿コースは、南新宿につながる側道がなく、案外に手間取ってしまった。

新宿の手前には懐かしいビルがあった。かっては小さな美容学校だったが、今や大きなビルとなっていた。それよりも、もっと驚いたのは、代々木ゼミナールだった。

予備校ではなく、まるで明治や法政大学のような規模だね。見ようによってはいつでも会社に転用できそうだ。全部が予備校なのかと不審に思い、つい中に入ってしまった。すると、場違いな爺さんが入ってきたと、職員がツカツカと寄ってきた。ムッとしたので、つい言ってやった。「オレ、ここの卒業生なんだよ!」(ほんとのことである。でも厭な爺だね…)その一撃で、職員は言葉に詰まったようだ。「ここも撤退するの?」と聞いた。「しません」、「全部代ゼミなの?」「ハイ最上階には食堂もあります」「昔は代ゼミもたいしたものだったがね…、残念だね」と言って早々に逃げた。でも、凄いなあ、受験産業という教育産業の拡大的発展を身をもって感じた。ちなみに、私が40数年前に通っていた本校はまだ代々木にあるそうだ。

もう、あたりは新宿の空気だ。

前方には新宿南口が見える。

JRに比べると、小さな小田急線改札口だね。

一応、このブログ上で約2年間、それ以前を含めると、4年ぐらいかけて、片瀬江ノ島から新宿まですべての駅を歩いてきた。感激はないが、一つの節目を終えた。次は、小田急小田原線散歩かな。それとも、金がかかるが、東海道五十三次を復活しようかな?

 


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1 コメント

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Unknown (横浜市磯子区Y)
2015-03-08 11:35:43
昔は学生数も多く、予備校に入るにも試験や、順番待ちみたいのがありました。狭い机に四人、六人と座らされた記憶があります。
初めてお茶の水に行った時、駅の放送で「黄色い電車は幕張行き」「赤い電車は豊田行き」と聞こえたのですが、自分の乗った電車の色は中からはわからないので、慌ててホームに降りて色を確かめました。
幕張、豊田がどこにあるかもわからず、豊田は愛知県かと思い、一体俺は横浜に戻れるのだろうか、と思った記憶があります。
あの頃から、本当にいろいろなことがあったような気がします。「昭和」は遠くなりにけり、です。
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