玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

小田急線散歩(その1)

2013-11-12 16:07:20 | 散歩

東海道に行こうかと思ったが、あまりに寒いので、近場の小田急線散歩にした。

登戸から多摩川へ、

今日の空はまさしく暗雲、水面にも映り、

ボートが寒々しい。

和泉多摩川駅この街の鳥瞰図かな。

この辺は高架線になっている。

側道の家には柿がなっていた。

 

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日本はドイツのように

2013-11-06 14:46:53 | 近現代史

最近、自民党は憲法改正が難しいので、憲法解釈で集団自衛権を実現しょうとしているようだ。ドイツも憲法上は軍隊の外国派遣は規定されていないが、実際は軍隊を派遣している。日本もドイツのようになるのかもしれない。

ドイツはこの地球上に人類が生存する限り、永遠にナチの負の遺産を背負わなければならない。特にヨーロッパの諸国には常に引け目を感じながら歴史を刻んでいくのだろう。ナチスは選挙と言う合法的な方法で政権を掌握した。日本は2・26事件の後、誰も政権の担い手がなく、やむなく広田弘毅首相が生まれた。当時言うことを聞かない軍部によって、すぐに政権が行き詰るのだが、その時、選挙に打って出る手があったのだが、金のかからない総辞職を選んでしまった。歴史にIfは禁物だが、広田内閣に勇気があって、選挙に打って出れば、あの忌まわしい戦争への道のりも変わったかもしれないし、結果として、国民が望んでいない戦争だったということを、歴史上に明確に表現できたかもしれない。

軍部大臣の現役武官制を盾に、時には統帥権干犯を矛にして、ときの軍部中堅将校たちは陸海軍大臣を辞職させ、気に入らない内閣には大臣を送らないという恫喝を使って、軍部は思うが儘に内閣を引きずり回し、その果ては、自ら祭り上げた近衛内閣を自ら潰して、東條軍人内閣を樹立させて、やっと落ち着いたが、それまでに軍部が煽りに煽った非常時体制の行きつく先の当然の帰結として、全く勝ち目のない太平洋戦争に突入した。石油のほとんどをアメリカの輸入に頼っている国が、木炭自動車を走らせて節約した、たった2年間の石油貯蔵によって、バカでかい戦艦を浮かべて大国アメリカに突進していく。なんか切ないほどの滑稽な日本人の姿がそこにある。しかし、日本の戦争は、ドイツのナチのように国民に支持された政権による戦争突入ではなかった。今となっては、それだけが救いでもある。

日本政府は、戦後になって、何故、誰が、どうして、戦争に引きずり込んだか、明らかにしていない。少なくとも、公式には、日本政府は国民に國としての戦争の総括を示していないのである。ということは、隣国が事あるごとに眉をひそめる“歴史認識”なるもの自体が、実は日本の国民には存在してない、のである。両国は何をもって歴史認識が間違っていると言っているのだろうか。

意地の悪い隣の二人組の本音は、日本をドイツのように、永遠にアジア諸国に引け目を感じながら、常に低姿勢で罪を償うように黙々と貢献し続けることを要求しているのだろう。その根底には、戦後日本から受けた援助や技術力はもう必要なくなったとして、自国の経済発展の障害となる日本経済を国家の歴史という面で、世界から、特に東アジアから排斥しようという不純な欲望が見え隠れする。ということは、日本はまだまだ隣国に羨ましがられる、あるいは嫉妬されている国だということなのかもしれない。

曰く、韓国の日本非難は、日本への恨みではなく、一種の嫉みである。中国の実体は共産党王朝であり、それを存続させるには、外部に敵を造り、非常時体制を演出するために過去の日本軍の起こした南京事件、満州事変を利用している。今の中国はならず者ではないが、どうも性悪国家である。

コメント (2)
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