なぜ結婚出来たのか
小和田雅子は日本一の名家である天皇家の皇位継承順位1位の徳仁
親王と結婚しました。
多分、それは「家柄と権力への渇望」をあらわにした父親の差し金である
事は間違いなく(外務省も目の上のたんこぶだった彼女を追い出せると
考えて応援)ここにも自分の意志はなかったような気がしますが、多分
「天皇家に嫁げばみんなが自分に頭を下げる」くらいの優越感は
あったのかも。
皇太子と小和田雅子の結婚には宮内庁も昭和天皇も今上も反対したと
言われています
理由は
チッソ社長の孫
これに尽きます。それだけ水俣病を生み出したチッソの罪は重いという
事であるし、また江頭社長という人は相当な人物だったようで
「庶民が何をいうか」
「死んだ魚を食べるのが悪い」と公然といいきった人でもあります。
日本最大の公害を引き起こした会社の社長孫が皇太子妃になれるはずが
なかったのです。
しかし・・・・小和田雅子さんは皇太子妃になってしまったわけで
今のところ「どうして結婚出来たのか」というのはミステリーに
なっています。
素の自分が明るみに
皇太子妃になるという事に対して非常に甘い考えを持っていた雅子さん。
学歴は最高、語学力にも秀で、お妃教育も半分の日数で終わった。
この頃、宮内庁も両陛下も「ハーバード大出の外務省職員」だった
彼女に遠慮を感じていたのかもしれません
それが後々増長させる結果になるのですが。
婚約記者会見で誰もが思ったと思いますが、雅子さんの態度は
日本語に不自由
皇太子に対して自分の方が上だと思っている
皇太子の言質を取って自分に有利になるように導いた
という事で、当時から「これは変」と思った人は大勢いたのです。
でも当時はそんな事を言える雰囲気じゃなかったですし、やっぱり学歴
に惑わされていたんですよね・・・
ご本人も多分「たかが皇室」と思っていたみたいですし、公務初日から
檀上で居眠りしたり、公務のついでにスキーをするわ、東宮御所では
朝起きれず殿下を待たせるとか・・・・好き放題だったようです
でも残念ながら皇室は父親のコネが通用する場所ではないので。
次第に自分がやる事なす事浮いていると自覚するようになったのでしょう。
社交下手で敬語が使えない自分
お行儀よくする事が出来ない自分
和歌の才能はないし、頼みの英語も通用しない自分
妊娠できない自分
この中で最大のコンプレックスは「妊娠できない」自分で、それこそ学歴も
キャリアも必要ない事なのにそれが出来ないという事だったのでは?
「素」の自分は子供一人産めない人間だった・・・・「オーケストラ発言」で
あの当時はかなり自信があったでしょうに。プライドはずたずたでしょうね。
それに加えて皇室のしきたりを覚えられない事や理解できない事が重なった
のだと思います。
秋篠宮家の佳子内親王出産に対しての嫌がらせ等はそれゆえ。以後
秋篠宮家は子づくりを遠慮します。
内親王出産で見捨てられる?
結婚8年目にして漸く愛子内親王を出産。
ところが小和田夫妻は記者会見でお通夜のような表情を見せ、雅子妃として
は「女の子じゃ駄目だったんだ」とがっかりした事でしょう。
それでも「女帝」の道があるし、内親王はすくすくと育っていましたから
「生まれてきてくれてありがとう」という発言につながったのだと思います。
1歳半くらいまでは露出も多かったですし、雅子妃のプライドもある程度は
満足したかもしれません。
しかし・・・・2歳になる頃から愛子内親王から表情が消え始め、発達障害の
疑いが出てきます
「そうでない方もいる中でうちの子は健康」と差別発言した雅子妃にとって
自分の娘にそんな疑いが出てくる事は耐えられないでしょう。
まずもって父である小和田恒氏からどんな事を言われるか・・・・皇位継承
権を持たない女子出産で失望させた上にもし発達障害だったら、もう
自分は愛されないかもしれない。「小和田家の娘失格」の烙印を押される。
おりしも妹の礼子氏は池田家の長男を出産してますし・・・・
彼女の不安が「帯状疱疹」後の「長期静養」につながったのではないかと。
人格否定発言
危機感を持った雅子妃は軽井沢に娘と籠城。離婚を提示したと言われて
います。宮内庁もその方向で検討を始めていたという事ですが、皇太子の
熱意なのか、これも「作戦」だったのか離婚の話はなしに。
小和田夫妻にとって「離婚した元皇太子妃の娘」なんてレッテルは到底
受け入れられないもの。
それゆえに「全面擁護」の姿勢に入ります
つまり、多分この時点で雅子妃は父親より優位に立ったというか・・・・
脅しをかけて自分の思い通りにする術を知ったのでしょうね。
週刊誌やテレビを通して「雅子様がお可哀想」キャンペーン
小泉・福田両首相を使っての「愛子女帝」キャンペーン
皇太子に「人格否定発言」をさせて両陛下を「意地悪な舅姑」に
仕立て上げ、悲劇のヒロインを作り上げる。
東宮職の職員を小和田氏の息がかかった外務省OBで固める。
それに立ち向かったのが秋篠宮夫妻で、マスコミや擁護派の数々の
嫌がらせを受けつつも紀子妃は懐妊し、悠仁親王誕生に至ったのです。
正直、男子か女子かというのは神の領域ですし、天は秋篠宮家に男子を
授けたわけですから、それが「ご意志」というものでしょう。
本当に心が壊れてしまったのかも
私が個人的に最近雅子妃の映像を見て思うのは
「本当に心が壊れておかしくなってしまったんじゃないか」という事です。
彼女にしてみれば「悠仁親王誕生」は人生最大のしっぺ返しに他ならず
回りが思う以上にショックを受けたのだと思います
宮内庁も国民も「素の自分」を受け入れてはくれず「あるべき姿」を
強要する、あるいは「過去の偽りの自分」を賛美する。心のどこかで
「本当の自分は違う」という思いがあるのではないでしょうか
多分彼女は今、自分の本当の人生を取り戻しているんでしょう
旅行・外食・贅沢な遊び・・・行きたい所に行ってやりたい事をやって
食べたい物を食べる
また夫である皇太子を足蹴にする事で優越感に浸っているような?
本当のがん細胞は「小和田恒の思想」にあると思いますけど、鏡に
された雅子妃自身が「がん細胞」になってしまったんですよね。
今の彼女は自分が怒ったりする事で回りがおびえたりひれ伏したりする
事に優越感を覚え、そういう時だけ「生きてる」と感じているのかも。
10代の子がひねくれて自暴自棄に
なるならまだしも45歳の子持ち女性がそれをやってるのだから
回りはたまったものじゃないですよね。
そして引きずられている皇太子ですが、彼自身「後の天皇」という
事で「あるべき姿」を押しつけられた人であり、妻に大いなるシンパシー
を感じているのかなあと
恐らく「自分の思い通りになる」事が楽しくてしょうがないんですよ。
えんぴつ一本取り換えるにも美智子妃から厳しく倹約をしつけられて
来た彼が「高級料理を食べ放題」「遊園地で遊びたい放題」出来るの
ですから。
犬の名前一つとっても、その昔「ハナ」とつけたかったのに美智子妃から
「華子妃とおなじだからいけません」と言われた記憶があって、あえて
百合子妃と同じ「ゆり」をつけても叱られない喜び?みたいなものを
感じているのかもしれませんね。
そういう意味ではついに皇太子自身もガン細胞化しちゃったという事で。
元々内向的でさびしがり屋の娘は親に愛されたくて頑張りすぎた
一時、「愛」を全部手に入れたかに思えた
娘の誕生で崩れた「親の愛」
悠仁親王誕生で存在意義の崩壊 腫瘍が見つかる
プライドの喪失 →不安 → 苛立ち → 怒り がん細胞化
攻撃 → 成功 → 優越感 肺に転移 (いまココ)
皇后になる → 影の天皇になる → 将来の天皇の母になる 死
そうなる前に何が出来るのか・・・・・国民が考えるべきだと思います。