週刊文春 「皇太子「退位論」にご友人が怒りの猛反論
「やめられるなら、とっくにやめている!」
皇太子の旧友
「天皇陛下でさえ定年がないのに、皇太子殿下が「辞めた、降りた」って言えますか!
できないような事を言って世間を騒がせるなんて理解できない!」
保坂正康の「退位論」の解説
「山折氏は二つの家族像を用いて話を進めます。
一つは日本の象徴としての天皇家という意味での「象徴家族」もう一つはプライベートな人間としての
天皇の家族という意味の「近代家族」です。そしてシンクの末に二つの均衡点を天皇皇后両陛下は
見出したが、一方、皇太子ご夫妻はその均衡点が近代家族の側にぶれているといってます」
公より私を重視する東宮一家に対して、国民もメディアも多少の不安の目をむけていると山折氏は書く。
山下晋司 「制度的にも皇太子は自分の意思で退位する事は出来ない。
よほどの重大な事故がない限り皇位継承権の変更は出来ない
それをわかっている筈なのに簡単に退位が出来ると読める主張は誤解を招く」
前述の旧友
「もし、皇太子さまがやめたいと言ってやめられるくらいならとっくにやめていると思います。
それほど皇太子というのは重い立場なのです。普段弱音を吐くことのない殿下ですが
「雅子妃が公務に出ないと批判される」と悩みを打ち明け、ある時は「どうしたらいいんだろう。やめたい」
とおっしゃった事もありました。
殿下が私」に傾きすぎるという批判もありまあ、自分の仕事をまっとうするなら、まず家族をしっかり
守らないといけない。健全な生活があってのそのご公務なのです。どうしてそのあたりをわかって差し上げないの
でしょうか?」
「両陛下が一生懸命ご公務に取り組んでいらっしゃるからこそ、首を突っ込む事はなさらないのです。
例えば被災地に足を運ぶ回数にしても、両陛下より多くては、かえって失礼にあたる。
それが皇室のしきたりというものなのです」
「今は公務が少なくても。天皇になられた場合には新しい天皇像が出来て、国民の為にありがたい
存在になります。山折氏は皇太子殿下についてどれほどご存じなのか、殿下はいつも日本の事を考えている
ご立派な方です。あの方を失うことがどれだけ日本にとって損失か考えて頂きたい!」
宮内庁関係者
「秋篠宮は帝王教育を受けていないし、宮家の立場だからこそ
自由に動ける。それを考慮せずに譲位を進めるのは短絡」
両陛下が築いた象徴のイメージは、戦没者慰霊や沖縄訪問など、先の大戦の癒えない傷に
常に心をくなられているというご姿勢が支えている。その精神は秋篠宮、そして紀子さまにも受け継がれて
いる印象があります」
秋篠宮の公務 ・関東大震災慰霊祭
・ 千鳥ヶ淵慰霊祭
・ 4つの日の黙とう
皇太子一家 ・2005年の終戦記念日に那須でテニスをした
誕生日の茶会にて、雅子妃と愛子内親王がいなかったので皇太子が100人の招待客を
一人で相手をする。その時にニューヨーク行きの話が出たが
「呼ばれたので行ってまいります」ととても嬉しそうに言った」
誕生日会見では水問題について延々と話す。なぜそこまでこだわるのか。
一人撮影も「水」問題の論文を書いている姿を見せたかったから?
まず、旧友とやらのご発言ですが、これはいつも擁護派がぶち上げる論理です。
個人的には、ちゃんと名前を出してから反論しなさいと言いたいです。
山下氏は・・・かの小説における「ヤマシタ」さんかしら?だったらしょうがないのかなあ。
私の反論
「もし、皇太子さまがやめたいと言ったら、きっとやめられると思います。
それほど皇太子というのは重い立場なのです。普段弱音を吐くことのない殿下ですが
「雅子妃が公務に出ないと批判される」と悩みを打ち明け、ある時は「どうしたらいいんだろう。やめたい」
とおっしゃった事もありました。
殿下が私」に傾きすぎるという批判もありますが、自分の仕事をまっとうするなら、まず自分の立場をしっかり
自覚して公を優先させないといけない。健全な「公人の生活」があってこその公務なのです。
どうしてそのあたりを(皇太子は)わかって頂けないのでしょうか?」
「両陛下が一生懸命ご公務に取り組んでいらっしゃるからこそ、次世代として一層公務に励まないと
いけないのです。例えば被災地に足を運ぶ回数にしても、両陛下より少なくては、かえって失礼にあたる。
それが皇室のしきたりというものなのです」
「今は公務が少なかったら、天皇になられた場合には新しい天皇像が出来て、全く公務に呼ばれなくなります。
国民の為にありがたい存在ではない天皇はいらないとなります。
山折氏は皇太子殿下について客観的によくご存じで、殿下はいつも言葉と行動が真逆の存在です。
そんな象徴は日本にとってどれだけ損失か考えて頂きたい!」
年老いた両親を働かせて、遊んでいる子供世代の容認
「精神的に傷を受けた」と言えば全てが通ってしまう論理体系の容認
大所高所ではなく「家族のみ」中心にしか考えない視野狭窄の容認
子供のありのままを認めない親の姿の容認
金と権力で法ですら曲げてしまう事の容認
「日本」という国・民族・歴史の否定
近代天皇家の否定
「自己」の捏造の容認
これらは全て東宮家が今までやってきた事で、私から見れば十分「罪」に値する事だと思います。
という事は東宮家の在り方そのものが「重大な事故」ではないかと。
「重大な事故」があれば皇太子はその地位を下りる事が出来ます。これ以上恥の上塗りをしない為にも
引き際を知らねば。優しく「ご退位」を言われている間に。
週刊文春 「プリンセス雅子妃物語」 抜粋
「喜びと悲しみの中東訪問」
オマーン婦人協会主催の歓迎レセプションに出席された雅子妃は、淡いピンクの着物姿だった。
色とりどりの民族衣装のアバーヤに身を包んだ女性の中で、真さ女卑の控えめな装いはかって
目立っていた。
古都のニズワでは、雅子妃に純血アラブ首の四歳の牝馬がプレゼントされるというサプライズもあった。
外国訪問は、相手国からの招待で準備などに時間をかけて調整している関係から、皇族のご意思のみ
で簡単にキャンセルするわけにはいかない。だが、震災直後の外国訪問に疑問の声が出ていたのは
確かだった。ご訪問を巡り、宮内庁と東宮職、外務省でぎりぎりまで検討されたが、結局予定通りのご出発は
覆らなかった。
飛行機に搭乗される雅子妃の手には、いつものブーケがなかった。
黒の帽子をかぶり、地味な深いグリーンのロングコートをお召になっていた。
11日間の予定だったご訪問先では、各区にの元首が親日派ということもあり、日本の文化の話題にも
花が咲いたという。だが、皇太子ご夫妻は日本の被害状況を気にかけられていたという。
「皇太子ご夫妻の表情は、日を追うごとにだんだんと険しいご様子になってきました」(宮内記者)
最後の訪問国のヨルダンのフセイン国王はそんなお二人の信条を察して
「ご心配されている気持ちはのもっともです。出来る限りの協力をしたい」と配慮したという。
そして、28日の晩さん会を1日半繰り上げて昼の午餐会に変更されたのだった。
これにより予定を2日繰り上げて帰国することができた。親善訪問の短縮は極めて異例のことだった。
中東の産油国との親善は、日本にとって重要であることは確かだ。
しかしも過去に二度も訪問が延期されてお出発までに時間がなく調整もつかなかった。
結果、ヨルダン国王の厚意と皇太子ご夫妻の強いご希望、関係方面の努力によって訪問は短縮
されたが「国民の声に背をむけた」という批判が宮内庁に多く寄せられたのだった。
この震災と外国訪問をめぐる問題は、一面で、皇族の置かれた不自由で困難な立場を如実に
あらわしていた。
これ・・・フィクションじゃありません。「ノンフィクション」です。
すごいねーー 書き写していて手が滑りそうになりました。
皇太子の希望で日程を短縮?うっそーー 確か「もう帰らなければいけませんか」って言ったのは
雅子妃だよっ
紅白衣装は?ラクダレースは?いつ「日に日に険しいご様子」に?
ヨルダン王妃の前でむくれていた顔?
ピンクの着物が地味って事はないですよね。ピンクのスーツでお菓子を食べていたんじゃなかった?
遺跡では写真をバチバチ撮りまくっていたそうですし。
この頃からすでに「真逆」が始まっていたんですね。
特にラストの1文が・・・意味不明。「行きたくなかったのに行かされた中東訪問」だったと言いたいのね。
このあたり小説では 94 95 96
です。こちらはあくまでフィクション!!ですからお忘れなく。
皇后陛下 発熱で公務とりやめ
皇后陛下は28日、37度の発熱により、「書聖 王義之」鑑賞公務を取りやめられた。
午前中は日赤の活動報告を受けるなどされていたが、出発直前の午後4時半ごろに
体調不良を訴えられ、熱を測った。
この鑑賞公務は皇太子も予定してたけど、結果的に秋篠宮殿下だけが見たことになるのかしら?
「新潮45」の直後に皇后陛下が体調を崩されたという事で、憶測が生まれそうです。
ニュースでは「直前までお元気だった」と書かれているので。
もし、この事が原因で「退位論」が消えたら・・・・・
風岡長官によると、天皇・皇太子・秋篠宮の三者会談が行われるようになったのは天皇陛下の
手術をうけた直後の春からだそうです。このような発表も原因?
やっぱり皇后陛下としては「ナルちゃん」を守りたい一心なのかなと。
とにかくお大事になさってください。インフルエンザでない事をお祈りいたします。
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