日本と言う国は本当に変わっています。
1945年8月15日を境に民主主義になって、階級がなくなり
平等になった筈。政治犯もいなくなって言論の自由が保障された筈。
それなのに、政府が「事実」を事実として言わない、言えない雰囲気を
国中が作っているのです。
植民地支配・・・という言葉はない
「併合」は植民地ではない
「慰安婦」=売春婦 であり、「女子挺身隊」ではない
軍が慰安婦募集に関与したのは、民間や朝鮮人の女衒による
「強制性」を排除する為だった
これらは全て「事実」として定着しているのです。
なのに。国がそれを認めないというのはおかしいのではありませんか?
しかも、「謝らないと外交上大変な事になる」的な印象を植え付け、圧力をかけるとは。
村山&河野両氏他、中国や韓国におもねる政治家がこの世に存在している事が
すでに「害」であるのですが、日本国民の多くが「そんな事どうでもいい」と思っている事が
問題なのです。
彼らはテレビを見ても、最初の数分しか見ていませんし、コメントをじっくり聞くわけでも
ありません。「見出し」だけ見て終わる人も多いでしょう。
ゆえに「印象操作」されやすいのです。
そして一度印象を植えつけられたらなかなかそれが覆されないという事。
いい例がマリー・アントワネットです。彼
女は「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と
言ったとされます。それは事実ではない事は誰もが知っている筈・・・・だけど
やっぱり「アントワネットといえばパンがなければお菓子を食べればいいのに」と言った
人だよね」と言われる事が多々あります。
200年たってもこの調子ですから70年、いや25年ごときでは、とても払拭できる
ものではありません
「従軍慰安婦」も「強制連行」もある日、ふってわいたような嘘。それを本当に単純に
何も調べずに信じたおバカな総理大臣がいたという事。
全ては政治家の「無知」によるものだったのです。
公民は得意だったけど日本史は嫌い、世界史なら好きってタイプが政治家になった
のかしらね。
日本人が「嘘」を信じてしまう理由には、戦後の価値観の変化があると思います。
今まで信じて来たもの、絶対に「正しい」と思ってきたものがひっくり返されて
「あれも悪これも悪」とGHQによって洗脳されました。
そしてアメリカのドラマによって、非常に心地いい思いをさせられ、
「こんなに裕福で幸せそうなアメリカ人が悪い筈がない」と思ったのかもしれませんね。
日本人なのに日本の「過去」を信じられない、認められない。なんと恐ろしい事でしょう。
だから、やっぱりこういうブログなどで、草の根的に何度も同じ事を書いて
真実を伝えて行かなくてはならないのです。
皇室に関しても同じです。
両陛下が結婚されて56年。
ネットを知っている私達は「美智子妃殿下」の幻想から抜け出ました。
抜け出てみるとその「事実」に愕然としてしまう日々です。
あれもこれも実は仕組まれた事だったのか・・・・と考えると心が折れそうになります。
だけど、多くの国民はまだ「洗脳」されたままなのです。
平和と繁栄とゴージャスに酔いしれた昭和34年の印象を忘れはしないのです。
浩宮と礼宮の印象操作
今じゃ「紀子様がお妃になったのは天啓」という事になっていますが
時計の針を昭和に戻すとちょっと違って見えます。
浩宮=優秀で公平な兄
礼宮=やんちゃで成績が悪い
私達、礼宮と同世代の人達はみんなこんな印象を持っていました。
そういう印象になったのは、美智子妃殿下が礼宮の事を「スサノオ」と呼んだから
ではないかと。
それをマスコミが大げさにとらえ独り歩きしていったと。
「浩宮は将来天皇になり、厳しい環境に身を置くので優しく、礼宮は将来は
気楽な宮家になるから厳しく」というのが皇太子夫妻の教育方針。
「ナルちゃん憲法」はスポック博士の育児書以上に世の中のママ達に影響を与えたでしょう。
そんな事、真似しようとしても出来ない事はわかっているのに。
でも、まだ10代の私が聞いても「兄は甘く弟は厳しく育てる」という言葉には違和感が
ありました
あったけど、その疑問符を言葉に出せない雰囲気もまたありました。
「あの美しく聡明で完璧主義の美智子妃がそういうんだから絶対」というような刷り込みが
あったのです。まして、結婚もしてない子供も産んでない10代の娘には何も言えないと言うか。
なんで違和感を持つのかさえわからない程に。
個人的には「礼宮様って将来、とってもハンサムになりそう」だったんですけど
きっと・・いや、絶対にハンサムになるっ
シンデレラの王子様みたいにハンサムになるっ そしたら日本中がフィーバーする
そう信じていたんです。
期待通り、礼宮殿下は大層ハンサムになられ、しかもファッションセンスが素敵
加冠の儀の束帯姿もかっこいいっ・・・・・のに、フィーバーしなかった・・・・・・
それどころかやんちゃ伝説が独り歩きして、いつの間にやら
「礼宮って皇族のくせに不良だ」みたいな?お話がちらほらと。
で、国民は騒ぎたくもないのに浩宮のお妃候補探しにやっきになって。
あの時代に10-20代だった私が証言しますが、正直、浩宮のお妃が誰になるかなんて
全く関心ありませんでしたーー
っていうか「お妃になりたいって人いる?」みたいな?
それというのも、美智子妃入内後、例の「美智子妃いじめ」報道のせいで
すっかり「皇室って堅苦しくて怖い場所」というイメージがついてしまったからです。
あら?今とよく似てる。
だって、婚約が決まると正田家に散々嫌がらせの電話が来ただの、匿名の手紙が来た
だの、婚約記者会見の「手袋事件」だのって、そりゃあおどろどろしい話ばかり聞かされたんです
もの。将来の皇太子妃になりたい人なんている?
正田家のゴッドマザーはなんだってそんなネガティブキャンペーンをしたのか
じっくり調べてみたいテーマではあります。
さて。
礼宮に彼女がいる・・・というのは彼が大学に入った頃から噂にはなっていました。
でも誰もあまり騒がなかったというか、マスコミが時々取り上げても「浩宮のお妃候補」
に比べると関心が低かったというか。
ハンサムな礼宮は「ナマズの殿下」になっちゃうし。
外国王室のプリンスチャーミングには夢中になる日本人も、自国のかっこいい「源氏の君」
の事はよく知らないというへんてこな現象が起きていたのでした。
皇室を語る事がタブーだったんでしょう。
お妃は外から入った人だけど親王は恐れ多い・・・というような雰囲気もあったのかも
しれませんが。
で。1989年、突然の「婚約発表」に国民は驚き、そして大喜びしたのですが
思えば、この結婚、どうして許されたんでしょうか?
川嶋紀子さんのお人柄だけですか?
礼宮のわがままでしたか?
結婚直後から始まった紀子妃への執拗なネガティブキャンペーンをみると
この結婚が許された背景には、本人達より第三者の思惑が大きかったのでは
ないかと
礼宮はその利害関係の一致にすいっと乗ったような印象があります。
礼宮殿下は時々、こんなサプライズをやってのける人なのです。
「愛」だけでは結婚は出来ません。まして皇族であれば。
兄殿下のありようが少しずつ脇道にそれていくムードを感じた礼宮の奇策
どうしても1990年に結婚しなくてはならなかった理由がそこには
あったのだと推察します。