ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

なぜ両陛下に批判が向くか

2015-09-14 07:22:06 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 私が「天皇の母」を書き始めた時、出来るだけ登場人鬱の気持ちが

リアルになるように、色々史実等を調べたんですけど。

その過程で、独身のミチコさんが「身分もない血筋もない私が皇室で出来る事はあるかしら」

と考えた・・・・と書いたのですが。

なぜそう思ったかというと、人の感情として

メリットのない結婚はしない」だろうというのがあるから。

結婚したら「旧華族でも旧皇族でもない人が」と言われるのは必至。

わかってて嫁ぐ理由 → 「庶民の代表」としての自分(プライド)と思いました。

それから色々考えて、

とんでもない皇太子妃が来たのに、叱らず怒らず放置・・・の理由はなんだろうと思う時

どう考えても「皇室の為」じゃなくて「自分の為」ではないかと思いました。

 

 虚飾にまみれた皇太子妃の入内

 学歴の嘘 (ハーバード大、東大、オックスフォード大での現実)

 家柄の嘘 (小和田家は本家の小和田家からは知らないとされている事。

                       3代前までさかのぼれない)

 血筋の悪さ 

    (母方の祖父はチッソの会長)

 愛の嘘 (皇太子を好きでもなければ愛してもいない。娘を好きでもない)

 

 皇太子妃入内の理由探し

 父、小和田恒氏の野望 → 外務省、学会を巻き込んでのキャンペーン

 将来的に皇室をなくす為に左翼が仕組んだ罠に皇太子がひっかかってしまった。

 目的・・・皇室に「左巻き思想、共産主義を植え付けて矛盾を引き出し、自滅させる)

 

 皇太子妃の権力に逆らえない構造

 両陛下を守るべき「血の藩屏」が欠如

 両陛下は皇族・旧皇族の中で孤立しているのではないか

 仮に注進があっても、受け入れない両陛下の感情

 

 解き放たれた皇太子妃

 入内時のブライダルチェック拒否

 祭祀における潔斎は人権侵害キャンペーン

 マスコミを使っての「マサコさまお可哀そう」キャンペーン

 皇族初の「人格否定」発言

 皇族初の「娯楽の為の海外旅行」

 ディズニーランド貸し切り・高級レストラン通い詰め

 祭祀の徹底拒否・勤労奉仕団の会釈の徹底拒否

 被災地訪問拒否

 

 なぜ両陛下はこれらを放置するのか

① 脅されているのか

② 雅子妃に共感しているのでは

③ 皇室制度をなくしたい

 

 ① → 徳仁親王出生時に酸素不足で仮死状態であった事。

        ゆえに多少の知的な障害もしくは情緒障害が残った。

        しかし、彼は学習院大学院を出てオックスフォードに留学まで

       してしまう。(学歴詐称) → 小和田・外務省・学会系からの脅し

 

       愛子内親王の出生に関する疑惑 → 担当医を陥れた事実

                               上記に同じの脅し

 ② → 家柄や血筋のない理不尽さに共感

       「妻・母」としての役割強要に違和感

       「男女雇用機会均等法」に共感

 

 ③ → 両陛下の「左翼」思想・憲法護持と天皇制は矛盾する

        ゆえに、皇室の存在そのものが時代にそぐわないと思っている。

現在、「皇后の入内は仕組まれたものではなかったか」

という検証が始まっています。

そんな考え方が広まった原因の一つに

もうじき時効を迎える「ヤフーオークション事件」が絡んでいます。

数年前から皇后がティアラをつけなくなった。3連のネックレスが1連になった。

雅子妃の第一ティアラが消えた・・・等々。

こうした皇室における宝飾品の管理は宮内庁が行っているものですが

誰がどれを使うか・・・という事に関しては皇后がもっとも権力を持っている筈。

もう一つは皇后の「祭祀」をしないという姿勢です。

祭祀を行う為には重い鬘と十二単を身に着ける義務があり、頸椎を痛めている

皇后にそれは無理なので「お慎み」のみです。

 

「ティアラをつけない」のも頸椎の痛みのせいと国民は信じて来ました。

でも、そのわりにはテニスをやってるし、鑑賞公務は増え続けている。

もしかしたら、全ての原因は「頸椎」という「病気」のせいにして、何か

「ストラグル」をやっているのでは?

適応障害という病を隠れ蓑にしている皇太子妃と同じように。

 

そこで、正田美智子入内の経緯をもう一度振り返ってみようという

動きがあります。

熱狂したミッチーブームに隠れた正田家と宮内庁の本当の思惑とは

なんだったのか・・・・・という事。

現在、明らかになっているのは

 正田美智子入内にもっとも熱心だったのは正田富美氏だった

 妃選定は最初から正田美智子ありきだった

 キリスト教を信仰する「民主主義信奉者」(実は社会主義系)により

  正田美智子を選定 → 皇室に入れることでキリスト教を布教

  → 皇室に新しい価値観を入れる

  → 民主主義時代にふさわしい皇室の構築

  → 皇室廃止

の流れがあっただろうという事です。

 

 もし質問があれば・・・・

 

 

 

 

 

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今時の子に読ませたい漫画 風と木の詩

2015-09-14 07:00:00 | 昭和の少女漫画

お待たせしました。

 竹宮恵子 「風と木の詩」(小学館)

                    1976-1982年 全17巻

 

表紙の上がジルベール・コクトー、下がセルジュ・バトゥールです。

 

高校の時に友達に「すごい漫画があるよ・・・ごにょごにょ」って言われて

手に取った時の衝撃は今も忘れられません

いきなりベッドシーンだよ・・・ ぼかしも何もない。そのまんま。

絵がめちゃ綺麗以外は・・・・・

ええ 私、こんなの読んでいいの?でもR指定じゃないよね。

じゃあ、いいんだよね?読んでも。みたいな

 

BLに免疫がなかったわけではありません(きりっ

当時はBL黎明期 今時の(ごめんっ)ただ受けだの攻めだのって

言ってるBLとは格が違う。やたら高尚な「少年愛」がそこにはあったのです。

かつての「ポーの一族」も「日出づる処の天子」も「摩利と新吾」も

とにかく、どこまでも文学的で高尚な世界を描き出していたのですから。

それまでの「薔薇族」というような概念より、ずっと清潔で若くてかっこいい感に

夢中になる子続出

栗本薫を代表格にした作家による作品も売れに売れまくっていた時代。

「風と木の詩」のヒット後、雑誌「JUNE」が創刊され、一冊丸ごとBLの世界に

はまったなあ私(遠い目)

 

男女の恋愛が生々しく感じる世代にとって、BLはよその国の出来事で

屈託なく、現実をわすれられる「恋愛ごっこ」だったような気がします。

(なんせ男同士は妊娠の危険がないし、実際どんなだか経験ないし)

 

正直、最初に読んだ時から最近に至るまで、この作品の真の価値を

見出す事が出来なかったんです。

表面的なシーンが強烈すぎて、また、ラストがあまりに残酷で

悲しすぎて、そう何度も読みたいとは思わなかったし。

でも、本当に、最近になって、ふと

「風と木の詩」は現代に通じる少年達の「青春」そのものではなかったかと。

青春はいつか終わるもので、いつか大人になっていくもの。

でもジルベールは大人になれなかった。

大きな試練を経てセルジュは大人になっていく・・・というような話ですね。

 

 対照的なセルジュとジルベール

セルジュ・・・父・アスランは清廉潔白な人格。体が弱くて肺結核の療養中に

      ジプシーで高級娼婦のパイヴァに出会い、駆け落ちし、貧しくとも

      幸せな数年を過ごす。

      アスランの病死後、パイヴァは息子の教育の為に彼を祖父である

      子爵に預ける。しかし、そこには意地悪な叔母がいて、虐められる。

      しかしながら、いとこのアンジェリンの存在が心の支えだった。

      そのアンジェリンにやけどをさせてしまった事からセルジュは一人

      ラコンブラート学院へ入る。

      貴族なのに浅黒い肌を持ち、マイノリチィなところに身を置くセルジュ。

      でも彼は人の善意を疑わず、正義感も強い。人気者だ。

ジルベール・・・そもそもは、コクトー家に養子に入ったオーギュストが義兄から

       性的虐待を受けながら育った事。

       それを誰も助けなかった事が心に大きな傷を残す。

       オーギュストは義兄の許嫁をレイプし、生まれたのがジルベール。

       そんなジルベールを愛する人はだれもいず、館でほったらかしに育て

       られてきた。

       そこにオーギュストが登場し、肉体によって彼を支配していく。

 

虐待・・・それが言葉による差別であったり、叩いたりつねったりするようなもの

であっても、性的なものであっても、傷つくのは常に「被虐待者」です。

でもセルジュは叔母に虐められても、回りから「ジプシー」と差別されても

決してひねくれる事はなかった。

その背景にはセルジュがほんの数年だったけれど、両親や近所に愛されて

そだった事や、ピアノの才能という心のよりどころがあったからと思われます。

しかしながらジルベールはネグレクトされて育った為、自分が許容される

体験がなく、ゆえにオーギュストの強引な性的虐待を「愛」と信じ込んで

溺れていくのです。

 

元々は頭が良くて様々な才能にあふれていた筈のジルベールは

セルジュに出あうまで「普通の生活」を知らず、ひたすら肌をくっつけあう事でしか

「安心感」を得られないという・・・今、思えば十分施設入所レベルの被虐待児です。

二人が出会って、恋に落ち、やがて、かつてのアスランのように

手に手をとって駆け落ちするものの、育った環境や過程があまりにも

違いすぎる二人は次第にすれ違い・・・やがてそれがジルベールの「死」に

繋がっていくのです。

その「死」はセルジュにとってまさに「青春の終わり」でした。

ああ、青春の傷というのはこんなに深く突き刺さるものだったか・・・と思うんですが。

でもそんな「傷」を抱えたからこそ「青春」は思い出になりうるんでしょうね。

 

今時はBLは常識。

本屋さんに行けば、それだけのコーナーが溢れかえっています。

今は「少年愛」も多様化し、シチュエーションと快感のみに

焦点をあてている「R指定なしの×××本」かなと思ってしまうほど。

でも、なんだかんだいって「BL」がここまで浸透したのは先達のおかげ。

萩尾望都(彼女は後に「残酷な神が支配する)で性的虐待を正面から

 取り上げますが) 山岸涼子、木原敏江、河惣益巳、そして何より

竹宮恵子の力があったればこそ。

そういう意味では、若い方々にぜひ読んで頂きたい本です。

 

 

 

 

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