ふぶきの部屋

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東日本大震災追悼式

2017-03-11 19:49:08 | 皇室報道

今年はたまたま土曜日でしたから、各地で黙とうの様子も流れたと思います。私が勤める役所では、毎年黙とうと半期を掲げる通知が来ますが、結果的に仕事が優先で黙とうもなにもありません。

7回忌の今年はそういう意味では特別であったと思います。

首都圏であっても全ての役所で黙とうをすべきと私は思います。

秋篠宮両殿下が追悼式に出席されました。和服でなくてよかった。

なぜ「文仁親王」と呼ばれるのか・・・それが普通です。

歌会始では文仁親王と呼ばれますね。宮号より名前が優先なのでは。

 <!-- 文仁親王 -->

お言葉全文

6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。

 しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。

 東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。

 様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします」

ありがたい事です。

このお二人が「両陛下」だったら日本の未来はどんなに明るかったことか。

我が家の姫ですらそう言いました。

両殿下の「皇族」としておふるまいに感動いたしました。

皇后のような和服でなかった事に、「やっぱり皇后陛下のおふるまいはただしくないのだ」と確信しました。

初々しい未来の両陛下・・・・はからずも涙です。

 

あの時、首都圏にいたばかりに本来は故郷で経験する筈の震災を免れた事は心の重荷です。

幸い、仙台の我が家は無事で、だから高く売る事が出来ました。

でも、友人が半年以上経験した生活の困難に対し、何の助けも出来なくて本当に悔しかったです。

明日は我が身と思いつつ。それでも日々の忙しさのゆえに怠ってしまう災害への備え。

肝に銘じねばと思います。

 

 

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6年目の追悼

2017-03-11 13:09:23 | つれづれ日記

またこの日が来てしまったという感じです。

6年前、我が家のヨンジュナは保育園の卒園式を控えていました。

今でも覚えていますが。保育園に迎えにいった時、子供達はみなホールの真ん中に寄せ集まって

回りを先生が取り囲んでいました。

ヨンジュナはちょっと言葉が出ないような感じでした。

余震が続く中、おにぎりを食べさせて、テーブルの下にヨンジュナの頭を入れて、私と姫で真横にびたっとくっついて寝ました。ヨンジュナは疲れたのか、いつもより早く眠りました。

余震が多くて、寝付いたと思ったら余震で起こされる感じ。

テレビをずっとつけていたのですが、雪が振る体育館の前からの中継ではテレビ局の照明だけが灯りという状況で、しかも火を燃やしているのは外のドラム缶のみ。

これじゃこごえちゃうし、せめて灯りくらいは火をたいてもいいんじゃないか?

でも、体育館の中で火を燃やすわけにはいかないんだなあ・・・文明って不便だと思ったものでした。

津波って上から押し寄せるイメージがあったけど、実際には気が付いたら水に飲みこまれるという事なのかと驚きと終末期みたいな恐怖感で一杯でした。

あれから6年。

ヨンジュナは小学校の卒業式を控えています。

時の流れを感じてしまいます。

 

原発の事ばかり取り上げられ、福島こそが一番の被害者・・・というような報道も多いと思います。

別に「うちも被害者」宣言しろとはいわないけど、原発事故も大変だったけど、やっぱり地震と津波が

もっとも大きな損害を出したわけだし、原発事故はいわば人災なわけだし。

いまだ自分の故郷に帰れない人、仮設住宅で暮らす人からしたら、震災は終わらないんだろうと思います。

それでも粛々と6年もの間、復興を頑張ってきた方々には本当に頭が下がります。

 

何度も同じことを書くようですが、やっぱり許せないのは、震災の直前まで適応障害なのにイギリスのウイリアム王子の結婚式に行こうとしていた皇太子夫妻と、4月11日に東宮御所で「お楽しみ会」を開いた皇太子一家。

早く被災地へ行けと言われていたのに「愛子の学校が」と6月くらいまでひっぱり、日帰りした皇太子夫妻。

5年後には津波の映像を見て「もう一回」とリクエストしたんでしたっけね。

そうそう、ブータンやベルギーから王族が来て慰霊をしてくださっても感謝するでもなし、ひたすら自分の娘の付き添いを頑張り続けた皇太子妃が皇后になるんですってよ。

「水の研究」をしているとかいう皇太子は津波のメカニズムには興味があっても、被災地そのものには興味がないんだよね。それでもいいけど、せめて祈ることくらいはしてほしいし、海外からわざわざ来てくれた王族に対して面目が立つような行動をしてくれないと、天皇にはなれないのでは?

 

 

コメント (3)
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