証拠を見せろと言われたら何ともしようがないんです。
雑誌の受け売りだーとか言われるとしょうがない。だって公に発行されたものを読むとか、ムードなどで感じるしかないでしょう?
半世紀以上も「庶民の味方の美智子妃殿下」「慈愛と祈りの皇后陛下」「美しすぎる美智子さま」と称えられ、今もなお絶大なカリスマ性を発揮している皇后陛下の本性を知る人はどれくらいいるんでしょう?
嘘と虚栄に満ちた皇室を彩っているのは皇后陛下が塗った絵具。
権威喪失しても権力を手にして「影の女帝」となったのは皇后陛下御自身。
国民全てに皇后陛下の真の姿をわかって貰わないと皇室は復活しないでしょう。
「領主」から王家になっていく国々の王室には、私的な財産もあるし、権力を背景にしているからカリスマ性なんかなくてもそれなりに存在できる。
嫌なら潰してまた新たな王が出ればいいわけで。
潰されない様にチャリティに打ち込むとか軍隊に入って国を守るとか、目に見える形でやっていけばいいんですけど、日本の皇室の場合、祭祀は庶民から見えないし、ただ何となくずーーーっと2000年間存在してきたとも言えます。
神社仏閣、庶民のしきたりの中に皇室は生きているし、生きて来たからこそ、なんとなく存在しても敬愛されるというか、「かすみを食べて生きる雲の上のお方」としてのカリスマ性は絶大。
なんせ言葉遣いだって違っていたわけだし。
立ち居振る舞いの一つ一つが自然だけど、そこに気高さが見える、それが敬愛に繋がっていたのですが、それを打ち壊したのが美智子皇后でした。
思えば「お点ではなく感謝状を」とおっしゃった時に、その言葉遣いのばか丁寧さが不自然と思わなければならなかったのかも。
香淳皇后なら「恐れ多くて」の一言で済んだ筈なんですけど
あの時の笑い方や話し方の一つ一つが不自然であった事、そしてその堅苦しい不自然さが平成の皇室の全てになってしまったという事です。
つまり、そもそものお育ちが違う方が一生懸命に「高貴な振り」を身に着けた結果が「皿帽子」「肩パッド」「不自然な言葉遣い」「コンス」なんですよね。
皇后陛下が作り出した様式とでもいいましょうかね
美智子妃殿下が皇后になってから、皇室の中は全て「皇后様式」に塗り替えられ、一切の口出しは無用になりました。
「皇后バッシング」でうまい具合に倒れてから回りは言いなり。
これって雅子妃の「適応障害」と本当によく似てます。
自分の弱さを前面に出して「傷ついた」と言って相手を責める。
平成になった途端に皇室に嫁いだ紀子妃殿下は、数年で皇后様式を身に着け、今やそれが元々の様式だったように見えます。
眞子さまや佳子様の記者会見のセリフのような言葉の数々が、全部「自然体」ではなく「皇后様式」に則ったものだという事がよくわかるでしょう。
晩さん会や儀式のお長服のデザインなども、あっという間に皇后様式になって制服のような堅苦しさを持っています。
「あのような方に言い返しても泣かれるだけ」と回りは思うし、「ヒステリーを起こされるから何も言わない」となって黙る。
黙ると余計にエスカレートして、それを権力に変えていくんですよね。
どんな時も自分のイメージは最高であって欲しい、最高の権力者でいたい。
だから認知症の天皇に摂政は置かない、退位して「上皇」にして権力を維持する。
コンプレックスの裏返しが権力の誇示です。
そんな皇后がただ同情だけで雅子妃を庇っているとは思えないのですが。
(女性セブンいわく「紀子妃の誕生日に秋篠宮邸に行った皇后陛下は、眞子さまの婚約と雅子妃の公務が重なった事について、皇太子夫妻に婚約の一件を詳しく離さなかったからで、その事についてよくよくの話があったのではないかと擁護してkyれています)
考えてみれば皇后陛下は結婚する前からマスコミを味方につけていました。
マスコミが好意的に報道してくれたからこそ、美智子妃は誕生したと言えます。
本当は美智子妃が悪かった事でも全部「皇族方のいじめ」なんて報道して貰ったおかげで国民はみな同情しました。
でも、世代の違うマスコミを味方につけることが出来たきっかけは、やっぱりバッシングの時に倒れた事だと思うんですよ。
若い人たちは皇后が倒れた事で自分を責めて口をつぐんだ・・・これ以降、皇后の意見は週刊誌に記事として載るようになったのです。
ダイアナ妃が何をやっても下品にならなかったのは、やっぱり育ちで、キャサリンが同じことやったらバッシングなんてもんじゃなかったと思います。
皇室は「無私」という(嘘でも)名の元に存在するから嫉妬されない、反抗されないわけで、少しでも「私の自由」を表に出せば、たちまち仮面がはがれて権威が落ちる。
皇后陛下も眞子さまもそれが全くおわかりになっていない。
特に皇后陛下は権威を権力に置き換えて自分こそ神だと思わせている罪があります。
ドラ息子の皇太子は天皇になっても変わる筈がないし、その妻は「弱い自分」をより一層言い募って虚勢を張るでしょうね。
皇室から倫理観が消えた今、存在意義があるのか?と思います。
「最後のダンスは私の物」
黄泉の帝王ならぬ日の本の女帝ですわ。
そんな存在になる事が、あの時、身分が違うと自分に言った全ての人達への復讐なのです。
まもなく成就しますね。
女帝の落とし子の眞子内親王はご自分の感情だけに生きる決意をされました。
「無私」の天皇になるべき悠仁親王の実のお姉さまです。
こんな時に女だから男だからというのはおかしいでしょ。
内親王だろうと親王だろうと皇族は「無私」であらねばならないのです。
自分の幸せを願ってはいけない将来の天皇の姉は、自分の幸せだけを考えました。
本来、「太陽」こそ帝の筈。
なのに一般庶民の男性を「太陽」だとおっしゃった。
眞子さま達がロマンチックな話題として出した「太陽」「月」の例えが、神話を元に存在している皇室においてどんな重い意味を持つのかおわかりにならなかったのです。
そしてこの「感覚の鈍さ」こそ皇后陛下が目指した頂点なのかもしれません。
ご自身がご存知かどうかわからないけど「皇室破壊の女帝陛下」のお役目はしっかりと果たされています。
岐阜にご到着の眞子内親王。
いつもは握手などなさらないのに、かなり上機嫌でフレンドリーに。
最初からこうであってよかったのに。
伊勢神宮祭主になり、参拝する黒田清子さん。
皇族ではないけどそのお姿は立派な内親王そのもので、これこそが皇后陛下が見たかったもの。女性宮家などなくても清子さんは内親王のままですよ。
さて。
20日に両陛下がいかれる高麗神社ってこんなところです。
「天下大将軍」「地下女将軍」と書いてあるこの門を通るんですか?
いくら高野新笠の子孫でも、これはあまりにやりすぎ。
北朝鮮が核武装してミサイルで威嚇するこのご時世に・・・・狂ってしまわれたのか?それともこれも目的達成の一つですか?