まず、天皇陛下の不調についてお見舞い申し上げます。熱中症みたいですけどただの脳貧血なんですか?
確か節電しててエアコンをつけていないって言ってませんでした?
今週もお元気ならやたら「午餐」「音楽会」「茶会」ばかりで。予定としては陪席するのは秋篠宮家ですが、多分皇太子もそうなんでしょう。でもこういう時はすぐに代理を務められるようでなければいけないのでは?あ、皇后陛下がさせないっか。まるで晩年のデュバリー夫人のごとく顔色変えて看病しているような気がする。
さて、高円宮絢子女王におかれましては、おめでとうございます。少し痩せました?
ピンクの服がよく似合ってようございましたね。
今の心境
絢子「ご質問にお答えする前に、まず、6月18日に起こりました大阪北部地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
また、被災された方々が一日も早く、落ち着いた生活を取り戻されることを心から願っております。
では、ご質問にお答えいたします。本日、このように婚約の内定を発表することができまして、うれしく思いますとともに、身の引き締まる思いでございます。
天皇陛下におかれましては、今朝ほどよりご気分がすぐれないとのことで、ご案じ申し上げております。
そのような中、皇后陛下にさきほどお目にかかることができ、皇后陛下より、両陛下の温かくお心のこもったお言葉をいただきました。
その内容につきましては私の心のうちに、そっととどめておきたいと存じます」
「その内容につきましては私の心のうちに・・・」というのが定型句なんですね。だったら最初から言わなきゃいいのにと眞子様の時も思ってしまいました。
緊張のせいかセリフを間違えて「あちゃ」って顔が結構魅力的でしたよ。
守谷「この日を迎えることができまして、うれしく幸せなことと存じます」
セリフと顔が真逆な気がして・・・・
結婚までの経緯
絢子「守谷さんとの出会いは、報道にもあります通り、母からの紹介でございます。守谷さんのお母さまが生前、ご尽力なさっていたNPO法人『国境なき子どもたち』の設立20周年記念レセプションにて、母が守谷さんと約10年ぶりに再会いたしましたことがきっかけでございます。
私が初めて守谷さんにお会いしたのは昨年12月のことで、初対面とは思えないほど話が盛り上がり、時間を忘れて楽しんだことをよく覚えております。
その後、何度もお会いするうちに守谷さんの優しくスマートで決断力のあるところに魅力を感じ、結婚を前提としたおつきあいを始めまして、今年に入り、レストランでお食事をした後にプロポーズをされました。
あまりに突然のことでしたので、お返事は保留させていただきまして、その後、お互いの家族、友人、知人を含めておつきあいをしていく中で、この方ならと思い、4月に『よろしくお願いいたします』とお答えいたしました。
私に守谷さんを紹介した母の思惑がどうであったのかはわかりませんが、2人でさまざまな場所へ行き、時間や思い出を共有していく中で、自然とお互いに惹かれ会い、今日という日を迎えられましたことは、両母親のつないだ素敵なご縁だったのかなと思います」
女性週刊誌には高円宮妃が守谷氏に初対面で「絢子と結婚して」といったと書かれるようです。さもありなんです。こりゃあ、困ったと守谷家は思ったでしょう。でも結婚を取り仕切る母はなく、ぐいぐい押されて12月に見合い。会話は弾んだでしょうけど。
「結婚を前提としたおつきあいを始めまして」だけど実際にプロポーズされたら「あまりに突然のことで保留」し、グループ交際及び母の助言に従い4月に「よろしくお願いします」
12月に出会い、1月にプロポーズ、4月に承諾。最初のデートから決まっていて覚悟を決めて「結婚して下さい」と言われ、「え?本当に私にプロポーズするの?」ってびっくりし、回りは「いいいわよーーあっちのKKよりずっと」と言われ、そうかなと思った感じです。母の思惑に気づいているなんて、自ら政略家婚と知っているような物言いですよね。
「両母親」って言い方あるんでしょうか?
守 谷「明るく前向きな方ということがですね、私が絢子さまに抱きました第一印象でございました。その後、ご一緒する中で、どなたに対しても温かく接する優しさという部分に強くひかれまして、しだいに生涯をともにしたいという気持ちが芽生えてまいりました。
また、このような場で申し上げることが適切かどうか、分かりかねる部分もございますけれども、親を突然亡くしたことによる心情の変化、そのようなものに理解を示していただき、心の距離がさらに縮まったと、このように感じます。
プロポーズの言葉につきましては、このようなお話も含みますことから、2人の胸のうちに秘めさせていただければと存じます」
このあたりから守谷さんは無表情になっていくんですね。ほぼ棒読み状態。
どのような家庭を築きたいか
絢 子「ありきたりなお答えかもしれませんが、笑いの絶えない明るい家庭を築いていきたいと思っております。私は父を、守谷さんはお母様を、と、それぞれかけがえのない家族を突然失った経験を持ちますので、今日あることが明日も必ずあるわけではない、という共通の認識を持っております。日常に慣れすぎず、日々の何気ない出来事にも喜びや楽しさを二人できちんと感じていきたいと思っております。呼び方に関してですが、私は慧さんと読んでおります」
守 谷「本来は、宮さま、または、絢子さまとお呼びするべきかと存じますが、街中でお呼びすることを考慮するように、というお話がございましたので、私は絢子さんとお呼びをしております。理想の家庭像としましては、笑いの絶えない明るい家庭というものでございますけれども、何よりお互い尊敬のしあえる形でいたいと、そのように考えております」
「街中でお呼びすることを考慮しなさい」と言ったのは誰?そう言われなければずっと「絢子さま」と呼んでいそうな・・・
小室圭の「宮様宮様」がうざかったんでしょう。
結婚についてそれぞれの家族にどう伝えたか
絢 子「はい。母からの紹介ということもあり、折に触れて母には報告をしておりましたので、改めて何か結婚の意思を伝えるということはいたしませんでした。
また当初より結婚を前提としたお付き合いと考えておりましたので、自然な流れで家族にも会わせて、父には温かく見守ってくださるようお願いいたしました」
三笠宮系の人は「父」と敬語が一緒ですよね。変なの。「父である故殿下には」くらい言えないのかな。
守 谷「絢子さまと家庭を築きたい旨、家族に報告をしましたところ、当初は大変に驚いていましたけれども、その後、おめでとう、手を取り合って幸せな家庭を築くように、という言葉がありました。
絢子さまとの出会いに関しましては、私は家族、また関係する皆様につないでいただいたご縁だと、そのように信じておりますので、ありがとうございます、このご縁を大切にしてまいります、とこのように伝えました」
KKママが「自分で決めたことなら・・・」といったのとは対照的に優等生です。
皇族としての日々を振り返り、また皇族の減少について
絢 子「皇族としての日々を振り返りますと、ありがたくも、さまざまなものに触れ、学ぶ機会をたくさん頂いた27年間でございました。成年皇族として果たすべき役割を私なりに果たしてきたつもりではございますが、それが十分であったかどうかは分かりません。結婚により皇籍を離れるまでは、皇族としての責務を果たすよう、より一層努力をし、結婚後には、これまで得てきたことを糧にさまざまなことに取り組んで参りたいと存じます。皇族の減少は、事実として起こっていることではございますが、その先の制度を含め、私がコメントする立場にはありませんので、発言を差し控えたいと発言を差し控えたいと存じます。私は大学時代より、福祉分野を学び、研究して参りました。この『福祉』という言葉には、幸せや豊かさという意味があり、福祉は自分が関わる人の幸せのために動くことであると、私は考えております。ですので、学んできた児童福祉や高齢者福祉が今後どのように活かせるかは分かりませんが、守谷さんやご家族を幸せにできるよう、努めて参りたいと存じます」
座右の銘は
守 谷「皇族の方を妻としてお迎えすることは、大変に恐れ多いことでございまして、ただ一方で大変にありがたく、光栄なことと存じます。座右の銘といたしまして、『日進月歩』といいますでしょうか。一歩ずつ、あるいは半歩ずつでもですね、常に前向きにということを心がけておりまして、うまくいったことだけではなく、自らの過ちや失敗、つらかったことを糧とし、時には反省をし、常に前に行けるように、そのような心づもりで取り組んでおります。仕事にも同じ姿勢で臨みたいと思いますし、またご質問のあったNPOの活動につきましても、助けを必要とされる方々に少しでも貢献ができるようこれからも尽力して参りたいと存じます。以上でございます」
「恐れ多い」「光栄」こんな言葉、KKからは出てこなかったですよね。
全体的に絢子女王は嬉しそうだったけど、守谷氏はビジネスライクな受け答えだったと思います。仕事やNPOへの熱心な「日進月歩」に比べると、女王との事は今後の一つの過程であるというような。でもそれでいいんでしょう。
皇族が結婚するんだから100%恋愛バリバリじゃなくても。守谷氏は血筋を、絢子女王は贅沢を手に入れられる。久子妃がいる限り怖いものはないでしょうから。