ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

最高の離婚

2013-03-22 07:21:53 | ドラマ・ワイドショー

 堺雅人菅野美穂、ご結婚が決まったそうでおめでとうございます

思えば、こんな堅実なカップルは芸能界では珍しいんじゃないの?

二人とも浮いた噂がほとんどなく、派手にブレイクするというより着実に実績を積んでる感じだし。

菅野の趣味ってなんだっけ?ヨガ? そこらへんも妙に堅実。

手堅い俳優カップルの誕生ですわね。

 一方の仲里衣沙中尾明慶の場合、出来ちゃった婚っていう所が今時だし、先がわよくわからない

二人が勢いで結婚ーーって感じが微笑ましいっちゃ微笑ましい。

この少子化の時代、あれこれ考えて結婚するより、まず勢いでしちゃう事の方が重要かもね。

菅野&堺で子供・・・ってあんまり考えづらいし。

若いカップルはそれだけで今の日本にはありがたいかも。

 最高の離婚 

濱崎夫と妻。なんだかんだ言って似たもの同志なんじゃない?

本人だけじゃなくて家族そのものが・・・・なんせ山梨県と静岡県だし?

あんなに明るい離婚報告なんて聞いたことないなあ。

ミツオのパパは息子そっくりで、ユカの親もやっぱりそっくり。

ふた親とも「離婚よ!離婚!」と叫んでる。

うちの姫なんかから見ると「結婚というものに希望はないのね」って言いそうですが

そういう事じゃないんだよーーこれはもう年中行事っていうか

その時は頭に血が上っていても次の日になると「ああ・・面倒。明日離婚届出そう」みたいな?

そうやって何十年もやって、どちらかが死んだとき、笑うかというとやっぱり泣くんだよーー

不思議だあ。夫婦って。

 

とりあえずに上村夫妻は婚姻届を出したんだよね?

妻の先週までの冷たい態度は何だった?という程、妙にラブラブ。

初恋で傷ついて引きずっていた夫もこれでふっきれるか?(わけわかんない夫だったけど)

 

濱崎夫さあ、時々ひどくロマンチックな事やるのね。

電車に妻をひょういっと乗せちゃってラブシーンとか。

いつもの理屈っぽいオタク青年なのにやる時はやるのねーー

そういうのが年に一度あればやっていけるかなあ。

でも、ミツオとユカの夜中の歩き・・・・わえりとロマンチックねえ。

私も同じような経験あるよーー

大学の頃、仙台で5月に大雪が降って交通網全部麻痺。

で、二人で一番町から八木山まで歩いて帰ったの。吹雪の中。

途中、向山のセブンイレブンで飲んだ缶コーヒーがおいしくて。寒くなくなったのね。

それで、つい「向山小学校の校庭を通って帰ろう」なんて言い出して。

月明かりの中、足跡がない真っ白の校庭を二人で突っ切って・・・・・楽しかったですわ

若かったなあ。今じゃ無理。

 

本題からそれましたけど、いいドラマだったんじゃないかなあ。

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韓国史劇風小説「天皇の母」104(全部がフィクション)

2013-03-22 07:00:00 | 小説「天皇の母」101-120

アキシノノミヤ家がどんどんスポットライトから離れていく頃、皇太子夫妻のイメージは

可哀想なマサコ様と彼女を守る偉大な皇太子」というもので一色になっていた。

庶民がそう思っていたというより、マスコミが作り出した虚像に過ぎなかったのだが

そうでもしないと、明日にでも「不仲説」が出てもおかしくない状態だったのだ。

マサコは皇太子の趣味、登山とかクラシックとかテニスとか・・・そう言った事には全く興味がなく

結婚3年目になると無理して一緒に行く必要もないのではないかと思い、同行しなくなった。

一方で、マサコが発信する「普通の生活」というものに触れた皇太子は、まるで世界観が変わって

しまった。

生まれた時から「将来の天皇」として育てられた皇太子はわがままを言う事を知らなかった。

母にとっても父にとっても理想の息子でいる事になんら疑問を抱いた事などなかったのだ。

でも、マサコと結婚して以来「人間なんだから嫌な事は嫌だし、好きな事は好き。それを正直に顔に出して

何が悪い」と言われ、その通りに行動されると、それがひどく輝いて見えるのだ。

今まで大膳の食事に不満を抱いた事などなかった自分。

せいぜい学習院大学のカレーライスがおいしかったという印象しかない。

でもマサコは「世の中にはもっとおいしいものがあるのよ。フレイカの中華、ロジェのフレンチ。

宅配のピザだっておいしいのよ。和食なんて古臭いし若い人が食べるものじゃない」

と言い、とうとう東宮御所でピザをとってしまった程だ。

無論、宅配先は宮内庁東宮職で、そこからこっそりマサコ達の元に運ばれたのだが。

外食なんて考えた事もなかったが、マサコが「外で食べたい」といえば、なぜかそれがまかり通る。

そんな事してもよかったのだ…と思うと、皇太子は今までの人生は何だったのかと思ってしまう。

フレイカの中華は食べた事のない程おいしかったし、ホテルのフレンチは外国旅行をしたような気にさせてくれる。

そう、同じフレンチを東宮御所で食べるのと店で食べるのではこんなにも味が違うのだ。

地方へ公務へ行った時も、マサコはちゃんと名産品を覚えていて

ここのチョコレートを2箱、買える?」と聞く。すると回りは「お金なんてとんでもございません。

献上いたします」と言って、いくつでもくれる。

マサコはそういうものをがんがん貰っては妹達に配ったりしていた。

さすがお姉さま。皇太子妃ってすごいのね」と言われると、マサコはその時だけ

結婚してよかったと思う。そういう満足そうな顔を見て皇太子はほっとする。そんな毎日。

 

皇太子は相当な酒好きではあったけれど、特に好みを言うような事はなかった。でもマサコは

日本酒なら〇〇の吟醸じゃなきゃダメ。ワインは・・・」と妙に詳しい。

それを取り寄せてみると、なるほどおいしい。

公務があるからと言って前日はあまり飲まないようにしているのだが、マサコはそんな事おかまいなしに

夜中まででもワインをたしなむ。

どうしていけないの?ここは私達の家じゃない?好きに暮らしちゃいけないわけ?」

そう言われたら反論できない。

皇太子っていう地位は偉いのよ。イギリスを見なさいよ。チャールズ皇太子はあなたより数倍は立派な

服を着て好きに外出してるじゃない?あなたがそうやっていけない事なんて何もないんだから。私達は

そういう事を許されている身分なんですもの」

そんな勘違いを助長させたのは東宮職の判断だったかもしれない。

とにかく「世継ぎ」を産んでほしい。

結婚3年目で妊娠する気配がないとなれば、普通は不妊を疑って治療を始めるものだ。

しかし、皇太子もマサコも自分達が不妊症である事を認めようとしない。

静かな環境が必要だ」というばかり。

「静かな環境」とはすなわち、好きな時間に寝て起きて食べる・・・というような生活をさしていたのだが

東宮職はまさか、そんな事を思っているとは知らず、ただただ静養の時間を増やすばかりだった。

 

その年は8月に須崎、9月と10月が那須、11月は御料牧場と立て続けに静養期間を設けた。

二人きりで過ごす時間が増えれば自然に妊娠してくれるかもしれないという涙ぐましい希望だったのだが

マサコは「決まりきった御用邸で静養したってちっともリラックスできない」と言い放った。

だって回りに人がいるじゃない?」

要するに女官や侍従が邪魔という事なのだろう。御用邸ではなるべく二人きりの時間を増やしているつもりだ。

しかし、警備の都合上、簡単に御用邸の外に外食へ・・・というわけにはいかないし、身の回りの世話も

あるので、全くゼロというわけにはいかない。

でもマサコにしてみれば「用事がある時だけすぐさま駆けつければいい」としか言わない。

そのうち、直接話すのも面倒になったのか、御用邸でも東宮御所でも用事がある時はドアの下から

紙を出すという事をやり始めた。

皇太子は「そういうやり方があったのかあ」と新鮮な気持ちになった。

皇太子だって時には内舎人や侍従の存在がうるさく感じる事があった。

ハマオ侍従なんて始終自分のそばについてああだこうだと口うるさく言っていたっけ。あの時、マサコの

やり方を知っていたら、どんなに楽だったことか。

要するに世間をよく知っているマサコのセリフは皇太子にとってまるで神からの啓示のように見えたのだった。

那須の御用邸では、マサコは近くのレストランにご贔屓を見つけたらしく、足しげく通うようになった。

勿論、その時は貸切である。さらに土産物屋でどうでもいいようなものを買いまくったり。

そういう事をしている時のマサコは非常に楽しそうだったので、皇太子は何も言えなかった。

 

立て続けに静養を入れた事で、本来なら「公務を頑張ろう」とか「両陛下に申し訳ない」とか

そう思ってもいい筈なのだが、マサコは「余計にプレッシャーがかかった」と言っては怒り

自由がない」と言っては癇癪を起す。今すぐでかけたい。5分後には出たい。なのに回りは

警備の都合上、せめて半日前に予定を組んでほしいという。そういう事がマサコには我慢ならなかったのだ。

好きな外食も頻繁になれば東宮女官長や侍従長などから「少しお控えに」と言われる。

その度に「一体、あなたたちは何様なの?誰に向かって話をしているわけ?」と怒鳴る。

怒鳴れば誰も何も言えなくなる。

そういう光景を目にした皇太子は、こんなやり方があったのかとまた感心する。

今まで、誰かを怒鳴ったり叱りつけたりすることなどなかった。

そんな事をしたらすぐにハマオに「殿下、上に立つべき人のなさるべきことではありません」と叱られる。

でも現実に目の前でマサコは怒鳴り、怒り、回りは恐縮して何でも言う事を聞く・・・それを見てしまっては

自分が今まで我慢してきたことが全部無駄だったのではないかとおもうのだ。

 

おじいさま!」

秋のある日、久しぶりに帰国したオワダ夫妻とユミコの両親であるエガシラ夫妻が東宮御所に集まった。

マsカオは祖父が来てくれた事がよほど嬉しかったらしく、大膳に命じて特別のフレンチを出した。

チッソの会長として辣腕をふるい「庶民がくさった魚を食べたから」とミナマタ病患者に言い放った男も

現在は88歳になろうとしている。

一銭を退いても相談役として残り、今や皇太子妃の「祖父」である。

歩くのが大変なので、車いすを使う。東宮御所の秋の風景は非常に美しかった。

いやいや・・・マサコとこんな風に東宮御所を散歩する日が来るなんて」

とユタカは目を細めた。

長生きはするものだ。なあヒサシ君」

ヒサシも満足そうに笑った。

わしは今や国連大使の義父で皇太子妃の祖父だよ。思えば長い道のりだったなあ。チッソの件では

どれ程屈辱を受けたかわからない。私には何の罪もなかったのに。そんな屈辱を恨みをマサコが一人で

はらしてくれたんだよなあ」

その通りです。マサコは親孝行者ですよ

「ねえ。もう少しワインをいかが?チーズも極上のを揃えているのよ。私が直接選んでいるんだもの。

これなんて滅多に手に入らないものなの。おじいさまの為なら何だって揃えて見せるわよ」

マサコは上機嫌だった。

うんうん。やっぱり皇太子妃というのはすごい地位なんだなあ。妃殿下。わたしは嬉しいですよ」

そしてマサコの横に飾り物のように立っている皇太子に笑いかける。

うちのマサコは本当に昔から親孝行でいい娘だったんですよ。どうか殿下、この先もよろしく」

「ええ。お任せください。おじいさまももっと頻繁に東宮御所にお出かけください。そうすればマサコも

寂しくないでしょうし」

皇太子もにこやかに言った。

するとマサコが「泊まっていけばいいのよ。部屋はいくらだってあるんですもの」と言い出した。

さすがにそれは・・・と皇太子は微妙な顔をしたがマサコはおかまいなしだった。

でも東宮御所って段差が多いのよね。家具も古臭いし。バリアフリーにすればいいのよ」

それはいい考えだな。どうでしょうね。皇太子殿下」

ヒサシも頷いた。

え?と皇太子は言い「バリアフリーってなんですか?」と聞いてしまった。

やあね。段差がない床の事よ。段差がなければ車いすだって自由に動けるでしょう。おじいさまがいつでも

泊りに来られる部屋を作って欲しいの。それくらい出来るんじゃない?」

どうだろうね・・・」

思わず、侍従長を見る。侍従長は真っ青になっていた。ここでおかしなことを口走ればマサコが

機嫌を損ねて怒鳴り始めるかもしれない。かといってエガシラ家の為に東宮御所を改装するなんて・・・・

そういう事は宮内庁の予算の範囲内で行われるもので」

では私にお任せ下さい。外務省を通じてさっそくかからせますから」

ヒサシは声を出して笑った。皇太子思わずも「それはありがたい事ですね」と言ってしまった。

皇太子殿下。殿下が色々となさりたい事は私達がかなえて差し上げますよ。何といっても皇太子殿下は

将来の天皇なのです。叶わないものなどないのです。そしてそれを叶えて差し上げるのが我々

外戚の仕事です。殿下が肩書が欲しいとおっしゃれば用意しますし、行きたい場所があれば行かせて

差し上げますよ」

「本当に・・・・」

皇太子は思わず目を大きく見開いた。脳裏に弟の姿が浮かぶ。

そういえば弟は成人と同時に動物園の総裁だの・・・いくつもの名誉総裁の肩書を持っている。

博士号も貰ったらしい。皇位継承者の自分とは違って働かなくてはならない身分なんだからと

思ってはいたけど、何となく世間的に弟の方が頭がいいと思われているのではないかと不安になった。

本来、何でも弟よりは特別な筈の自分が、どうしてこんな風にコンプレックスを感じるのかまだわからなかった。

でも、望めば・・・いつか弟より多くのものを望めば叶うというなら・・・・

皇太子は全幅の信頼をヒサシに向けたのだった。

 

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相棒

2013-03-21 08:20:25 | ドラマ・ワイドショー

 4月オープンの歌舞伎座。ちょっと行ってみたいなあ。でも一人じゃ嫌だし。

チケット高いしなあ演目によっては残席があるそうなのですが。

そんな演劇大好きメンバーでちょっと話題になったのが、歌舞伎に限らずミュージカルも宝塚も

客入りが悪いという事。

とにかく年齢層が高い。おじいちゃにゃおばあちゃんばかりで若い人が見ない。

「宝塚はそうでもないでしょ?」って言われたので

「とんでもございません。年齢層は高いですよ」

「だって親子で見に行くんじゃないの?」

「無理無理。子供のチケット代までは負担できませんって」

大昔は宝塚も親子三代で見に行く、気軽な歌劇だった筈なんですけど。いつの間にやら敷居が高くて。

結果的に年齢層が上がると夜の部は売れない。昼の部ばかり。

かといって昼の部は働いている人は行けない 観客減少のスパイラルが・・・・・

それだけじゃありません。

やっぱり小さい時から文化教育がなされていない所に問題があるんじゃないかなと。

私立の高校では3年間に一度、歌舞伎か四季を見るチャンスがありますよね。でもそこから積極的に

見ようという動きになるかと言えば・・・・ならない

音楽の授業もおざなりだし、芝居とかミュージカルを一生見ない、経験しない人達の増加は

舞台芸術の衰退を招いています。

帝劇を一杯に出来るのはジャニーズだけ。ファンは嬉しいけど、冷ややかにみている人達も多いのよね。

でも確かにジャニーズのスペクタクルな舞台は勉強すべきものだとも思いますし。

テレビも映画もいいけど、みんな、もっと舞台を見ようよ それは教養っていうんだよーー

 

 相棒 

正直言って、意味がよくわからない、難しいストーリーでした。

結局、恩地さんって人は毒殺されて罪を全部ひっかぶって・・・その裏には甲斐パパとCIAの

裏取引が?

カイト君はお父さんを受け入れているつもりはないけど、どこかで拘ってついつい感情的になる。

それが今回の失敗につながったんでしょう。

甲斐パパも右京さんを何度も呼び出すのは、やっぱり息子が気になるから?

でも右京さんは甲斐パパとカイト君は全く別物っていう意識を貫いているし

ラストシーンでやっと「相棒」として認めた4--という意味では微笑ましい回だったんじゃないかと。

 

私はむしろ恩地さんの奥さんがよくわからなくて怖くて・・・・

多少、気がおかしくなっているというのはわかるんですが、何か事件に繋がりがあるのかなあと

思っていたらそうでもなくて。でも不気味ーーな感じで。

 

悦ちゃんと君原さんが知り合いだったというのはかなり無理があるよねーー

でも悦ちゃんを出さないわけにはいかないし?

考えてみれば悦ちゃんってかなり顔が広い 何気にカイト君と偶然出くわしたりするのも

無理やりっぽいけど許せる。

悩んでるカイト君を慰める悦ちゃんが好きです。

でもスッチー姿は決まってるなあ

 

「相棒」次のシーズンは秋ですかねえ・・・・何だか寂しいです。

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サキ・極北ラプソディ

2013-03-20 10:46:15 | ドラマ・ワイドショー

 ドラマが続々と最終回を迎えています。内容的に持ち直したかなと思いつつ、でもまだまだ

韓国ドラマに比べると勢いがないなあと感じる今日このごろ。

でもさ、日本人もいい加減あちらの「意地悪して被害者意識丸出しにされて復讐されて泣いて怒って怒鳴りつける」

展開にNOをつきつけたらいかがでしょう?自分達がそう出来ないから、見ててすかっとするのは確かです。

でもどのドラマもそればかりじゃな・・・・

ヒロインのカレシになる人は大抵、孤児でアメリカ育ちの実業家っていうのも何だかなあ

韓国の人間関係を勉強するにはいいっちゃいいけどね。

 

 サキ 

最終回でした。

何というか・・・切ないっていうか、サキの心の闇が怖いっていうか。

彼女、延々と頭の中で家族4人の生活を思い描いて笑ったり楽しんでいたりしたのかしら?

生まれて初めて自分を捨てた母親に会うその日。

倒れた母親を乗せた救急車の前に立ちはだかった何人かの人達。

ヘッドホンをして進路妨害してたとか、路駐してたとか、院長の息子の件はひどいと思うにしても

たったそれだけの事で全員自殺や犯罪においやられるって

人間どこで恨みを買っているかわかりませんね。

でも一番頭に来たのは、救急車の中で母が「隼人」と呼んだことでしょう。

そりゃあそうでしょう。一度も一緒に暮らしたことのない娘より、育ててきた一人息子に意識が飛ぶのは

当然の事。でもそれがサキにとってとーーっても寂しくて悲しい事だったんだよね。

わかるわかる。

「隼人はずるい」って気持ち、すごくよくわかる

でも・・・サキが本来恨むべきは救急車の進路を妨害した人ではなくて、産みの親そのものであるべきだし

自分を虐待した育ての親であるべきでした。

それが「母」だけ脳内で理想化して、全く罪のない人にされちゃった事が間違いの元。

哀しいなあ・・・・自殺に追い込まれた弁護士もサラリーマンも、まさか自分がそんな事で復讐されるとは

思っていなかったでしょうしね。

 

それにしても・・・・ラストのマタニティ姿。これが「美しい隣人」につながるのね。

でも一体誰の子供だ?

 

 極北ラプソディ 

期待して見てたのに・・・・何だか展開が遅くて。

医療過疎の病院を立て直す為に送り込まれた院長の徹底的な経費節減。

救急患者は受けない、入院もさせない、診療費を払わない人は受けない。

そこまではわかるけど、美容室の彼女が娘?で、地元を離れちゃったパパが院長?

隣町に出向を命じられたらさっさと別れるって意味がわかんないなあ。

 

そりゃあホームレスっぽいおじさんが診療拒否されたのは当然かも。

でもその前に生活保護とか受けてなかったの?

北海道はそういうの、厳しいのはわかるけどさ・・・・なんでもかんでも病院のせいとはいえないし。

病院をどう立て直していくかというビジョンも見えないし。

ただただだらーーとしている印象で。

今日は後半なんだけど・・・・どうしよう。

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十五の君へ

2013-03-20 09:57:44 | つれづれ日記

 なんてキザなタイトルでしょうか?

でもこういうキザなタイトルっていつでも打てるわけじゃないし。

春に免じてお許し下さいね。

十五の君へ

きっと今頃、卒業式も終えて、受験も終わって4月までの束の間の平安を満喫している事でしょう。

やっと卒業したよーーと思う一方で、4月からの新しい環境になれるかどうか不安だったりしませんか?

未知なる高校生活。中学校とどう違うんだろう?

お友達が出来るかな、勉強についていけるかな、また大学受験は・・・なんて先々の事まで心配したりして。

十五の春は暖かい空気の中で、ざわざわとする、ちょっと複雑な心境でしょうね。

 

私の十五の春は、真っ暗闇でした。

当時の自分を振り返ってみると、勉強に全く気がむかなかった事。毎日音楽を聴く事やドラマを見る事にばかり

集中して、3年間部活だけを生きがいに送っていた中学生活です。

勉強の仕方もわからなくなりましたし、成績が悪い自分に対してのコンプレックスもひどくて。

だから受験に失敗したのは当然の事なのです。

なのに、落ちてみればやっぱり悔しくて悲しくてどうしようもなくて。

滑り止めの私立の女学院は、広瀬川を見下ろす場所に建っており、私好みの木造の礼拝堂や明治時代からの

校舎を持つ、ロマンチックな建物で、一目で気に入ってしまったんですけど、

さすがにこの時は何もかもが気に入らないといった状況でした。

何で「成績」で人を区別するんだろう。15歳なのに見事にランク付けされて、公立に受かった人達に

見下されて生きる3年間を思った時、本当に絶望のどん底に落とされました。

当時、私が所属していた演劇部の顧問の先生が「お前たちは人より先に挫折を味わった。挫折を知った人間は

強い。これをばねにして次は成功しよう」と言ってくれました。

その時私は、「うん。絶対に3年後は私の方が幸せでいる」と誓ったものです。

それでもね、学校に慣れるのに1年以上かかりました。なんせ私立ですから、さまざまな家庭環境の子たちが

やってくる。私がいた中学は全校生徒500人の小さな学校で、成績は常にナンバー3に入るような所で

生徒達の思想も似たようなものでした。

でも高校では、それこそ下校と同時に化粧して出かけていくような子がたくさん!制服のスカート丈を長くしたり

鞄を潰したり。私にはとうてい理解できない世界でした。

普通に生きているのに「あいつはいい子ぶってる」と言われて苛められて、3年間は孤立してたなあ・・・・・

公立に入った子は入学と同時に大学受験に向かってまっしぐら。

でも私の学校が情操教育に力を入れてくれたおかげで、随分と知らない事を教えて貰いました。

日本史とクリスティが大好きになって、3年間はほぼ毎日本を読んでました。

1年の時、担任の先生に「将来、小説家になりたい」と言ったら、その先生は授業中にこっそり私の机に

「イエスの生涯」(遠藤周作)

サンダカン8番娼館

されど我らが日々」(柴田翔)

を読むようにとメモをくれました。律儀に3冊読みました。キリスト教の学校で聖書に毎日触れていたものの

イマイチ聖書がよくわからなかった私には随分勉強になりましたね。

日本史の先生は東北大学の院からバイトで来てた先生だったんですが、彼が貸してくれた「女性の日本史」

という本で、視野が広がったような気がします。

進学校ではない学校の中で受験の専門家みたいだったその先生のおかげで大学に入れたのかも。

学校の図書室には「別冊太陽」がたくさんあって、明治時代のローブデコルテの女性たちの写真が一杯あって

そういうのを見るのが大好きでした。

明治天皇が亡くなった時に出版された「ご大喪写真帳」を見つけて、その中の妃殿下方の美しさにびっくり。

私が皇室に興味を持ったのはこの写真帳の御蔭かも。

 

そんな風にね、高校の3年間にはその後の人生の岐路になるような経験がたくさん待っています。

世の中の矛盾や理不尽さを感じるのもこのころで、常に苛立ったり怒ったり、感情が不安定になるのも

このころ。

初恋もあるかも・・・・彼の人生が自分の人生のように思う事もあるでしょう。それだけに若すぎると

反対されて傷tくかもしれない。

でも、これからの3年間をどう生きるかが、その後の人生において非常に重要な事なんです。

毎日耳をダンボにして、目を大きく見開いて、世の中の動きや出会う人々の心の動きを感じて下さい。

疑問があったら誰でもいいから質問して答えをみつけて下さい。

哀しくても辛くても絶望しないで回りに助けを求めて下さい。

耐えられないなあ・・・と思ったら「ふぶきの部屋」に愚痴をこぼす。

ただ一つ、やってはいけない事があります。

それは「流される」事です。物事を常にまっすぐに受けると自分が傷つく。だから、取り合わないで流されて

生きよう、「まあいいじゃん」で終わらせよう・・・人はすぐそんな風に思ってしまうものです。

でも、それは40代以降の人達がやる事で10代の仕事ではありません。

大変でも10代は、物事をまっすぐに受け止め考え、そして答えを見つけていくものです。

 

我が家のジュニア君も姫ちゃんも15の春は大変でした。

環境に馴染めずに病気ばかりして。

何で学校へ行くんだろう」

「何で入学したばかりなのに大学受験の話をするの」

そんな風に悩んだジュニアは部活もやらず、学校へ行く以外はほぼ部屋に閉じこもっていました。

姫は微熱ばかり出して「出席日数が・・・」「成績が悪い」と言われて心配しました。

回りは何もできずおろおろするばかり。

でも二人は多分、乗り越えたんだろうと思います。

まだ、ジュニアは迷いの中にいるのかも。でも彼なりに「親から独立」した気分で頑張っているのかな。

姫は生き生きと休まずに働いています。

二人に15の春を聞いてみても多分「覚えてない」というでしょう。

今が楽しいから・・・・なんだと思います。

だから、今はただ希望を持って春を迎えて下さい。

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何となくドラマ

2013-03-19 08:44:21 | ドラマ・ワイドショー

 仕事を始めてから録画しているビデオを見るのが大変になっちゃって。

たまりにたまっていくドラマを横目に・・・ぐーぐーと眠ってしまう自分が嫌。

フィギュアスケートも録画だけして、結果を見て消しました。

どうせまたキム・ヨナ上げジャッジなんでしょう?ついでにいうならパトリック・チャン上げジャッジ。

中国と韓国のせいでスポーツが面白くなくなりました

オリンピックの正当性も消えたし。世界もそろそろ中韓の横暴さに気付くべきでは?

本当の意味の自由・平等・友愛が潰されている現実を受けとめるべき。

 

 夜行観覧車 

話がどんどん複雑になっているような?

高橋さんのちの行動がイマイチわからなくなっています。

小島さんもそんなに悪い人に見えなくなったし。

アヤカはあそこまでやられてもついていく・・・って全く理解できない。

本人的には「ひばりが丘に住んでごめんなさい」なのかなあ。そういうのを自虐史観って言わない?

日本人的かもしれないけど、ここらへんでスカっと復讐してほしい。

そもそも遠藤さんのお母さん、娘が苛められてるってまだ気づかないわけ?

今こそ両親が立ち上がるしかないんじゃない?

 

 泣くなはらちゃん 

まさかそうくるとは・・・・越前さんがはらちゃんの世界に行ってしまうなんて

それでいいの?本当にそれでいいの?

せっかく前向きになってた越前さん、これじゃ究極の「逃げ」じゃない?

はらちゃんはそこらへんの「やばさ」を感じているんだろうなあとは思います。

でも今の越前さんにとっては、人生で初めて居心地のいい場所をみつけたんでしょう。

はらちゃんという「両想い」の相手もみつけて。

でも・・・どうするの?

キーマンは矢東薫子さんですか?もう一度現実社会に戻ってくる事は出来るの?

つくづく斬新なドラマだなあと思いました。

 

 カラマーゾフの兄弟 

やっと出てきたーー末松っ スメルジャコフさんですね。

身近に延々と殺人者を雇っていたなんて勲君にしても満君にしてもぞぞっとする出来事よね。

殺されたお父さんは気づいていたのかしら

 

今回、一番成長したのは市原隼人でしょうね。かなり顔が痩せて知的になったというか。

役柄が憑依しているというか。

こんなにかっこよかったっけ?と思ってしまいました

彼がどのように壊れていくかが楽しみです。

 

「バカリーズムの兄弟」も終わりかあ。寂しいなあ。

 

 八重の桜 

京都では色々朝廷と長州があれこれやってて。会津って翻弄されているだけじゃないの?

変に生真面目になりすぎて、利用されて憎まれるパターン。

八重の弟、三郎も京都に行きたくてうずうず・・・・でも行ったら死ぬよーー

この弟の敵をとりたく八重さんは頑張るんだよね?

それにしても、時代はすでに飛び道具になっているのに、砲術指南の家柄が低いってどうよ?

そりゃあ武士は刀だけど、そうも言ってられないじゃない?

そういう所に頑固が見えるというか、伝統に固執しすぎるのよね。

謹慎中の西郷さんが出てこないのでつまらないなあ。

 

 とんび 

いい最終回でした。

視聴率20%とるのもうなづける。多分、今季最高のドラマなんじゃないかしら?

旭の嫁さんが、ミサコさんに少しも似てないとかってぎゃあぎゃあいうお父さんには引いたけど・・・・・

でもまあ、押し切られてなさぬ仲の孫を可愛がるいいおじいちゃんじゃない?

東京で暮らすのはどうみたって向かないから、あの店を手伝いながら余生を過ごすのが一番よね。

DVDが売れそうな気がします。

佐藤健もかなりいい青年役でしたけど、一番は子役の旭君。

「おかしゃん」って泣く姿が目に焼き付いています。

野村宏伸も復活出来てよかったーー今後もドラマでみたいなあ

ウッチーは当たり役でしたね。「JIN」の竜馬といい、こういう役が好きなんでしょうね。

こういうドラマを海外に輸出すべき

 

海外といば、韓国ドラマに対抗してタイで日本のドラマを10本以上立て続けに流すとか・・・・

「南極大陸」がその中に入っているそうですが。作品選びをきちんとしないと失敗するんじゃないかと。

「冬のソナタ」がヒットしたのは、日本の国民性に合っていたのと、古き良き懐かしいものをみたいという

ニーズにぴったり符合していたからです。

タイは今飛躍的に経済発展を遂げ、中でも日本人町があるくらい日本が浸透している。

そんな中に「南極大陸」って・・・いやーーそれは違うんじゃないの?

あのドラマ、ストーリーはまあまあでしたが、セットやロケ地がちゃちすぎて全然「寒さ」を感じないドラマ

でしたものね。

海外に送るなら「梅ちゃん先生」とか「おひさま」「とか「ゲゲゲの女房」とか・・・・

「JIN」もいいよねーー 素直に感動できる作品がいいと思うんだけどなあ。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」103(頑張るフィクション)

2013-03-18 07:00:00 | 小説「天皇の母」101-120

アキシノノミヤ晩さん会を休んでタイに行く」

「アキシノノミヤ、タイに愛人 隠し子も」

こんなセンセーショナルな記事が週刊誌を飾ったのは春の事だった。

それは些細な一件だった。少なくともアキシノノミヤ家にとっては。

そもそも小さい頃から動物が好きだったアキシノノミヤ。本当は理科系の大学に入りたかったのに

学習院にはそういう科はなく、仕方なく法学部に入る。

でも自然文化研究会というサークルを立ち上げ。他の大学などと交流をし、イギリス留学で

初めて専門分野を極める事が出来た。

当時はナマズの生態を研究していたので「ナマズの宮様」と言われた事もある。

けれど、本来は家禽・・・つまりニワトリが野生から家畜になっていく過程を勉強したかったのだ。

ニワトリの生態を研究するにおいて、もっとも適した国はタイだった。

タイにはまだ半野生のニワトリがいるし、飼い方も大昔のそれと変わっていない。

また闘鶏も行われており、非常に鶏との関わりが深い国だ。

タイ王室と日本の皇室の繋がりも深く、天皇はかつてタイに新種の魚を送って食糧事情の改善に

尽くしたこともある。またシリントン王女とアキシノノミヤは非常に仲が良く、本当の姉弟のようだった。

タイ国民にもアキシノノミヤの存在は深く浸透している。

そういう中で、今までにも何度もタイへは行っている。

今回はその時期がたまたまクリントン大統領来日と重なっただけだ。アキシノノミヤとしては日程を調整したが

タイの都合がつかず、やむなく天皇に相談した所、タイ行きを優先してもよいという許しが出たので

晩さん会には出ずタイへ飛んだのだった。

ところが・・・どういうわけかその事が週刊誌にすっぱ抜かれ「公務より趣味を優先したアキシノノミヤ」と

大々的に報じられたのだ。

そもそも昔から自分勝手な傾向があった宮。結婚の時も先帝の喪中であり、皇太子の結婚が

決まっていなかったのにほぼ無理やり自分の意見を押し通した。そんな宮に陛下はいつも頭を

痛めていたのだ。結婚して落ち着くかと思われたが、趣味の研究に没頭するあまり、回りが見えなく

なっているのではないか。今回のクリントン大統領の来日は国家にとって重要な案件だ。

それなのにアキシノノミヤは大事な大統領との晩さん会をすっぽかしてタイを訪問。公務より私的な趣味を

優先した宮に宮内庁も困惑している」

何なんだこれは!」

週刊誌をばさっとテーブルに置いて宮は怒鳴った。侍女も事務官も無言で嵐が通り過ぎるのを待つしかなかった。

一体誰がこんな事を雑誌にリークした?」

宮の導火線はぱちぱちと音を立てて燃え上がり今にも爆発寸前だった。

雑誌の記事はそれだけにとどまらなかった。

何と「タイに隠し子がいる。陛下も知っている。アキシノノミヤのやり方に両陛下は体調を崩すほどに

悩まれている」といった記事が出たのだ。

これにはさすがの宮も怒りを爆発させ、宮邸に激震が走った。

無論、夫が浮気しているとは思いたくないが、何と言っても宮はもてる。その容姿も性格も愛されキャラ全開で

特にタイでは本家本元の皇太子をさしおいて宮の方が親しまれているくらいだ。

そういう素敵な夫を持った事を誇りにすればいいだけの話なのだが、宮の愛だけを頼りに入内したキコとしては

なかなか複雑な気持ちだった。 

お静かになさいませ

キコがなだめる。例の子供を云々以来、夫婦の間には微妙な空気が流れつつあった。

どんなに未来志向のキコでも、あからさまにプライベートな子づくりに口を出された事や、両親に口答え

出来ない夫に失望していたのだ。

今回の記事も出るべくして出たのでは?などといじわるな事を考えてしまう。

みなが見ております。興奮なさらないで

君は平気なのか?こんな事を書かれて。皇族が表だって反論できないのをいいことになんだ?

この書き方は。晩さん会を欠席した事は陛下の了承を得ている事だ。勝手な事をしたわけじゃない。

タイに愛人って誰の事だ?隠し子ってどこにいるんだよ。そんなものがあるなら見せてもらいたい」

本当に心当たりはないとおっしゃるのね?」

キコの鋭い視線が宮を射抜く。

宮はますます怒って「キコ!」と怒鳴った。

君・・・君まで疑うのか?何を考えているんだよ。今まで何度もタイには行ってるけど一度も浮気なんて

した事ないのはよく知っているだろう」

そうですわね。愛人なる人を見た事もありませんし。でもだからって全くそういう事がなかったとは・・・・」

いい加減にしないか。大切な学問の話に浮気なんて下世話な事を持ち込むとは。君がそういう人間だったとは

ね。ああもう!!」

そうやって興奮なさると、余計に疑いが本物ではないかと憶測を産むのですわ。落ち着いて下さい」

キコは侍女にお茶を持ってくるように言いつけた。宮がタバコに火をつけようとするのをぴしゃりと落とす。

「タバコはいけません。不整脈があるんですのよ。宮様の体はあなただけのものではありません」

口うるさいったら・・・・じゃあウイスキー」

いけません。昼間から何をおっしゃってるの。お茶で我慢して下さい」

本当に口うるさい。こういうストレスがかかっている時くらい好きにさせてくれてもいいじゃないか」

口うるさくて悪うございましたね。だったらもっと優しくて甘やかしてくれる方の元へお行きになったら?」

なんだと?いるならとっくにそうしてるよ!キコは融通が利かな過ぎる・。それでも妻か?」

妻です。残念ながらあなたの妻です」

勇敢な侍女が暖かいジャスミンティーを持ってきて、その場は一瞬静かになった。

事務官が恐る恐るいう。

あの・・・雑誌社に抗議いたしますか?宮内庁を通して抗議を?」

やっと宮が冷静になった。

ああ・・・事実でない事には全て抗議するように伝えてくれ。まず、クリントン大統領晩さん会を欠席

した事は陛下も了承済みである事。タイに愛人なんかいないし、カワシマ教授が皇居に直談判に行った

なんて嘘だから」

事務官は一礼して去って行った。

宮はふうっとため息をついてお茶を飲む。知らないうちに雨が降り出していたのか、ぴちゃぴちゃという

音が屋敷の屋根にかかっている。

悪かったよ・・・興奮して」

はい。私も

「でも信じて欲しい。浮気なんかしてないから。僕はキコだけが好きなんだから」

鶏とどっちが?」

その言葉に思わず宮は大笑いしてキコを抱き寄せた。

「鶏にやきもちをやくなんて・・・・君は最高の尾長鶏だな」

それを聞いてキコはちょっと顔をあからめた。

それなら・・・まあ、許して差し上げても。殿下を信じますわ」

よかった。でも、どうにもひっかかる

何がですの?」

なぜ突如、こんな話が出て来たかという事だ。我々は何もしていないのに。今までだってタイには行ってる。

晩さん会欠席などという事がこんな大事になる事もなかった」

誰かが仕組んだとでも?」

「うん・・・・」

だとしたら一体誰が何の為に?夫婦には全く心あたりがなかった。

 

宮内庁からは即刻抗議が上がった。

晩さん会欠席は両陛下の了承済みであった事。別にアキシノノミヤの行動を問題視してはいない事。

そしてタイに愛人を囲っているという記事・・・その事に対してキコの父であるカワシマ教授が皇居に

乗り込んで陛下に直談判して事の真偽を確かめた事・・・についても、そのような事実はないとした。

それでも雑誌社は謝罪しなかった。

全てにおいて「取材した結果に基づいている」と言い張った。

あまりに何度も抗議をすれば余計に大騒ぎになるとの判断から、宮内庁は何をどう書かれても対処せずの

立場を貫くことになった。

けれど、一度「アキシノノミヤはタイに愛人を持っている」「皇太子に比べて問題児のアキシノノミヤ」というレッテルは

そうそうはがれることもなく都市伝説化していく。

 

いつまでたってもタイに愛人がいるという話が収まらず、さらにタイの大学から名誉博士号を貰うに至っては

「変な大学」というタイトルで記事になる始末。

中傷記事はアキシノノミヤにとどまらず、キコにまで及ぶ。

普通に公務をしても「目立ちすぎる」とか「次男の嫁は気楽」などという失礼千万な記事ばかり。

誰かがアキシノノミヤ家を貶めようとしている。それはわかったが、誰が何の為に・・・という所までは

誰も考えが至らなかった。

仕方ないので宮家では行動を控えめにすることにした。

つまりマスコミ取材を最低限にして控え、露出を減らす事にしたのだ。

どのような時も皇太子家をたて、自らは控える。長い忍従の日々の始まりだった。

 

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皇室ウイークリー

2013-03-17 10:43:39 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

3月1日・・・天皇陛下 → 三の丸尚蔵館展覧会見学

                 ベナン大統領夫妻と会見

                 通常業務

3月4日・・・両陛下 → 復興大臣から説明を受ける

               人事異動者に会う

               皇太子殿下より出発の挨拶を受ける

       天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                警察庁長官表彰の警察官に会う

                退職認証官とお茶

3月5日・・・両陛下 → 新任外国大使夫妻らとお茶

       天皇陛下 → 認証官任命式

                通常業務

3月6日・・・両陛下 → 法務大臣及び在団法人矯正協会会長会長表彰の法務省矯正職員に会う

                国際緊急援助隊に会う

3月7日・・・天皇陛下 → スベロニア大統領と会見

     両陛下 → 式部職部課長らと昼食

                          日本芸術院部課長らとお茶             

3月8日・・・両陛下 → 前復興推進委員会長らと昼食

                勤労奉仕団に会釈

                琉球舞踊を見る

       天皇陛下 → 通常業務

3月9日・・・両陛下 → 皇太子殿下から帰国の挨拶を受ける

               復興チャリティコンサートを見る

3月11日・・・両陛下 → 東日本大震災追悼式典に出席

                 宮内庁総務課長から説明を受ける

3月12日・・・両陛下 → 在スリランカ大使から説明を受ける

                 式部職部課長と昼食

                勤労奉仕団に会釈

       天皇陛下 → 警察大学校警部任用科第36期学生に会う

                通常業務

       皇后陛下 → 被災地の訪問看護について説明を受ける

3月13日・・・両陛下 → 日本学士院第一部部長始め学士院第一部会員とお茶

3月14日・・・両陛下 → スリランカ大統領夫妻と会見及び昼食

                 厚生大臣表彰者に会う

                 勤労奉仕団に会釈

                 秋篠宮両殿下・悠仁親王殿下から挨拶を受ける

       皇后陛下 → フレディ・ロドリゲス展「予測不能」鑑賞

 

皇太子殿下

3月3日・・・今井信子ヴィオラコンサート鑑賞

3月4日・・・IOC関係者らと会う

       アメリカ出発の為両陛下に挨拶

       宮中三殿参拝

3月5日ー8日・・・アメリカ旅行

3月9日・・・両陛下に帰国の挨拶

       宮中三殿参拝

3月11日・・・両殿下 → 黙とう

3月12日・・・青年海外協力隊に会う

3月13日・・・勤労奉仕団に会釈

3月14日・・・スリランカ大統領夫妻昼食会に陪席

        勤労奉仕団に会釈

 

秋篠宮両殿下

3月1日・・・紀子妃殿下 → ろうあ連盟より進講を受ける

3月4日・・・両殿下 → 第3回日本学術振興会育志賞授賞式・レセプション

               帰朝カンボジア大使夫妻と会う

3月5日・・・両殿下 → 新任オランダ大使夫妻と会う

      秋篠宮殿下 → 研究会出席

3月8日・・・秋篠宮殿下 → 三の丸尚蔵館見学

3月9日・・・紀子妃殿下・佳子内親王 → 琉球舞踊鑑賞

3月10日・・・両殿下 → 都内戦災・関東大震災慰霊祭出席

3月11日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議

        両殿下・佳子内親王・悠仁殿下 → 黙とう

3月12日・・・紀子妃殿下 → 結核予防全国大会について説明を受ける

3月14日・・・両殿下・悠仁親王殿下・・・・御茶ノ水幼稚園卒園式

                          両陛下にあいさつ

 皇太子の公務の少なさは半端じゃありません。

   女性週刊誌に「歴代皇后は仕事をする義務がない。夫婦一対で行動するのは平成になってから」

  と書かせたはいいけど、やっぱり風岡長官から「昭和の時代も一対で行動されていた。香淳皇后に

  大変失礼」と否定されてしまいました

  以前にも同じような事があったにも関わらず、どうしても「皇后に公務の義務はない」としたい東宮家

  の思惑がそこに見えて来たなあと。

 同じことの繰り返しになりますが、近代皇室において皇后の立場は、単に世継ぎを産むというだけではなく

  赤十字などの活動になくてはならない存在です。昭憲皇太后が「妃」という立場に甘んじることなく、養蚕を

  はじめ、赤十字に寄与し女子教育に貢献され、貞明皇后様もまたそれを受け継ぎ、さらに灯台守を慰問する

  というご活動をされていました。香淳皇后は8回にも及ぶ出産を繰り返されましたが、戦時中も戦後も

  率先して陛下の公務に同行されましたし、養蚕も赤十字もきっちりとされておいででした。

  でも今上の「二人で一対」が目立つのは、皇太子時代が長かったことと、さらに独自の公務を開拓されたから

  ではないでしょうか?

  じゃあ、現皇太子が天皇になった時には皇后は仕事をしなくていい、一年中「静養」してていいのかという話に

  なると、それは違うと思います。病気である・・・という前提の皇后であるけど外歩きは出来るし外食も平気で

  娘の付添もガンガンやる・・・という皇后は世界的にも奇異に見えるでしょうし、相手にされないと思います。

  また、天皇になれば大統領や首相クラスの人達が会見にやってきますが。特定の人には会うけど

  そうではない人には一切無視・・・というのも失礼な話で許されない事と思います。

  宮内庁は、妃のえり好みにどう対処するつもりなのでしょうか?

  2011年にブータンの国王夫妻が来日されましたが、とうとう1度も顔を合わせないまま学習院の付添を

  やってのけた雅子妃。相手国は何も言いませんでしたけど日本人として非常に恥ずかしかったですよね

  内心、どう思われたかな・・・とか考えます。

  そういう事も平気なのが東宮家であり東宮職であり、両陛下なのか?とも思ってしまいますね。

 

 高円宮家の春 

 高円宮家の長女、承子女王 → 日本ユニセフに就職

 3女、絢子女王 → 城西国際大学卒業、大学院へ

 承子女王、やっと就職が決まったかと思えば、よりによって日本ユニセフとは

  小和田優美子さんが深く関わっている、営利団体ですよ。本家本元のユニセフとは

  全然違う組織です。怪しげと評判の所ですが・・・・大丈夫でしょうか?

 綾子女王の橙色の着物は三笠宮妃から、帯は長老殿下の。こういう伝統的な事は素敵だなと思います。

  ところで・・・2女の典子女王は何をしているんでしょうか>

 

 

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東宮家のお金の使い方   2

2013-03-15 08:49:02 | 皇室報道

 週刊文春 宮内庁情報公開でわかった

                 雅子さまの金銭感覚 

 

 オランダ静養時の費用について

 2006年8月17日ー30日まで皇太子一家はオランダに静養

 搭乗機はJAL通常便で随行者は11名。

  ファーストクラス → 末綱東宮侍従長

               野本勲東宮侍従

               中村嘉宏東宮侍医(小児科)

               箱嶋明美東宮女官

               福迫美樹子出仕

  ビジネスクラス → 川上泰男内閣府事務官

               平山学東宮内舎人

               小山内さち子東宮女嬬

               中川直美看護師

               大野裕医師

               水尻美雪ヘアドレッサー

 東宮家3人+大野氏・水尻氏分は内廷費

 

 航空運賃(往復)

 ファーストクラス=165万円

 愛子内親王分= 124万円

 ビジネスクラス = 62万円

 合計16052万円

 随行員のオランダでの宿泊費=157万円(13日間)

                 昼食費=4500円

                 夕食費=7500円    計104万円

 運賃+宿泊費= 2378万円

 オランダ王室への献上品代、人件費・警備費については公開されていない。

  多分数千万以上かかっている。

 

 問題点

 宮廷費と内廷費の内訳が曖昧なので数字がかなり割安化されて出ている

 莫大な費用を遣ったにしては治療の効果が出ていない。

 確か、オランダ静養時、随行員はする事がなかったのでホテルのプールで泳いでいたとか。

   要するにご主人さま達はオランダ側に任せてリゾート出張していたという事になります。

   こういうのは問題にならないのでしょうか?

 

 ここ10年の雅子妃のお金の使い方 

 

 あくまでも目についたものだけ列挙

 1993年・・・・フェラガモのバッグ 14万円

            パロマピカソバッグ 95000円

            君島一郎スーツ 185000円

            ヘルノのコート 55万円

   1994年・・・ ティファニーのブローチ 25000円ー3万

   1995年・・・シャネルバッグ 30万円

   1998年・・・ハマノプラチナモデル 

           ジバンシイのバッグ

   2002年・・・ハナエモリスーツ

   2003年・・・スペイン料理「小笠原伯爵邸」

   2005年・・・ブルガリ 200万円

   2006年・・・ディズニーシー、ディズニーランド訪問

           ホテルは入場制限

           アトラクション一部貸切

           オランダ静養

           多摩動物園遠足

           クリスマスディナー ウエスティンホテル東京 一人28000円

           スキー旅行 奥志賀グランフェニックス最上階スイート 一泊4万円 貸切

   2007年・・・小和田夫妻とル・シズィエム・サンス 15000円コース

           デンフタ同級生ランチ フレンチシグネチャー 5000円コース

           外務省同僚とメキシコ料理「ラ・コリナ」 

           外務省同僚と「富麗華」 2万円コース

           ママ友と「富麗華」    2万円コース

           ママ友・愛子内親王同伴 中華 6000円コース

           銀座「ロオジェ」 3万円以上

           シャネルのショルダーバッグ 30万円ー50万円

  2009年・・・クリスチャン・ディオールマリス 10万円

  2010年・・・フェンディのバッグ 111300円

  2011年・・・学習院父母会ランチ 赤坂維新ゴウ 4000円コース

          二期倶楽部 1万円程度コース

                   会員制プール貸切

          山中湖付添 58万円

 2012年・・・小和田夫妻と「富麗華」

 2006年から急に外出や外食が増えたのは大野医師による「開き直り」療法のせい。

 皇后陛下は外国産のものをお召にならない。雅子妃は外国製以外のものは使わない。

 ここ最近は着るものには気を遣わなくなった・・・・・

 

 誰だってこんな重箱の隅をつつくような事はしたくないと思います。たまには外食もどうぞーーって

言ってあげたいですが、東宮家の場合は贅沢を「権利」としてふりかざし、あまりにも当然のように行うので

国民は怒るのです。

列挙したものはあくまで写真やテレビに映ったものにすぎず、他にどれだけ装飾品を買っているのかわかりません。

さらに

 外出には必ず2度の下見が入り、その費用も宮廷費から出ている事

 外出に伴う警備費が明らかになっていないこと

 小和田家や友人との外食の場合、費用はどちらがもっているのか。まさかワリカンではあるまい?

   小和田夫妻や池田礼子・渋谷節子一家の分は誰が払っているのか?

 震災があった2011年に二期倶楽部を貸し切っている事の問題。

 江戸川区のスケート場貸切代、奥志賀におけるゲレンデ貸切、那須の遊覧船貸切費用は出ていない。

 

表に出ていない費用は宮内庁によると「内廷費」からだしている事になっていますよね。

でも内廷費というのは両陛下の費用と折半です。両陛下が倹約家なのをいいことに息子夫婦が

無駄遣いをしている図式が浮かび上がります。

なぜ、東宮家がこのように贅沢が出来るのかといえば「世継ぎを養育する」前提でお金が支払われて

いるからです。また、妃には公務の義務はないと規定されているとしても、夫婦で公務や祭祀にあたると

いう前提で予算が組まれている筈です。

しかし、現在、東宮家では皇位継承者は皇太子一人。妃は公務をしない状況です。

それなのに「余ったお金をどのように使ってもいい」とばかりに「貸切」連発して遊びまわる事は

果たして正しい税金の使い方なのでしょうか?

 

 秋篠宮家では18人の職員が働いていますが、宮家ではなく宮内庁に所属している

「もぐり職員」もいるそうです。宮家に支払われている5000万では職員の人件費等が払いきれない

為の措置と見えますが、だったらなぜそれを堂々と宮家の費用として計上出来ないのか。

夫妻以外に成年皇族1名、皇位継承3位が1名。成年予備皇族1名を抱えている秋篠宮家は

東宮家よりもよっぽどお金が足りないし、有効に使ってくれる筈です。

 

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東宮家のお金の使い方   1

2013-03-15 08:06:22 | 皇室報道

 秋篠宮悠仁親王殿下、ご卒園おめでとうございます

入園された時、あまりにかぼそい印象でしたので心配しましたが、今は立派な「おにいさん」に

なられました いやーー本当に感慨深いものがあります。

また本日は昭和天皇陵・香淳皇后陵を参拝されました

神武天皇陵参拝で勝手がわかっているのか、非常に安定したお姿で。小さくてもきちんと

やるべき事はなさるのですね。

愛子内親王って武蔵野陵に行ったことありませんよね?伊勢もだけど・・・・・

皇族なんだし、参拝くらいはきちんとされるべきですよね。

 

 今回の雑誌記事。

皇室が税金で賄われているという事実がわかっただけでもよしとしなくては。

私の友達のように「どんな風に使われているかわからない税金については確かめようもないし、疑いようもなく

結果的に何も出来ないので思い煩うだけむだかな」っていう人が一人でも減れば・・・・

雑誌・・・・といっても月刊文芸春秋と週刊文春で東宮家のお金の使い方について書かれていたので

レポしますね。

 月刊文芸春秋  天皇家と東宮家それぞれの家計簿 

 

 現在の皇族費 = 61億9500円 ( 1968年に決定

                           消費者物価指数に合わせて1割ずつアップ

                           1991年からは据え置き)

 内訳 → 宮廷費(オフィシャルマネー)・・・56億円

          内廷費(プライベートマネー)・・・3億2400万円

          皇族費(宮家の総額)・・・2億9100万円  (秋篠宮家 → 5490万円)

 宮廷費と内廷費の区別が非常に曖昧。

  今回情報公開されたのは宮廷費のみ (宮内庁が宮廷費と認めたものだけ)

 

 皇太子妃による山中湖付添費用 

 2011年9月14日ー16日の二泊三日

 雅子妃の付添 → 行啓という形になった。

 事前の下見が2回

 1回目・・・8月25日ー27日  職員3人

  2回目・・・9月4日ー6日  職員4人

                      計 7名  日当 → 16200円

                            宿泊料 → 97050円

 9月13日・・・迎えに出る為職員1人が電車で先回り

 9月14日ー16日・・・東宮侍医 1名

                   女官 1名

                   女嬬 1名

                   東宮職 5名

                   車馬課 5名

                         計 13名が同行 (うち3人が日帰り)

 ホテルマウント富士 = ハーヴェスト棟 (学習院が使用)

                   ホテル棟 (53室を宮内庁が10名で借り上げ)

                  インペリアルウイート (雅子妃が使用)・・・一泊12万が宮内庁により非公開

                                             理由は内廷費で払ったから

 合計 58万2430円

 ガソリン・人件費・警備費は入っていない。特に警備費については

  「雅子妃の車を挟むように白バイ2台と宮内庁職員や山梨県警を乗せた車7台が警備にあたる。

   ホテル周辺では検問所が置かれた」にtういては詳細が非公開

 ホテル側は雅子妃と宮内庁の為にかなり割安でホテルを提供

 

 白樺湖校外学習の場合 

 2012年6月12日ー15日

 雅子妃の付添はなし

 職員の同行4名 計15万

                        差引 432430

 

 天皇陛下の被災地訪問の場合 

 2011年4月27日

 両陛下は三陸町と仙台市を視察

 事前調査・・・4月23日1泊 → 職員6名

                       侍従1名  計 313330円 (宿泊はビジネスホテル1人6000円)

 4月27日 → 計 91680円

 総計 40万510円       差引 181920

 

 山中湖の場合、職員の宿泊料は2万円(上限一杯でマウント富士が割り引いた?)

   両陛下の視察時、職員の宿泊料は6000円 (ビジネスホテル)

 両陛下は自衛隊機を利用したので交通費はかからず

 

 問題点・・・・・・・ 1 両陛下の視察費用より雅子妃の付添費の方が多い

            2 職員にかかった費用も雅子妃の宿泊代の全てが税金なのに、

              公開と非公開でわける必要があるか

              

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