ご日程
両陛下
2月12日・・・天皇陛下 → 通常業務
両陛下 → 人事異動者に会う
地方行啓について説明を受ける
2月13日・・・両陛下 → 健康診断
2月15日・・・天皇陛下 → パレスチナ大統領と会う
両陛下 → 健康診断
2月16日・・・両陛下 → 健康診断
天皇陛下 → 通常業務
2月17日・・・天皇陛下 → 祈年祭の儀
全国検事長及び検事正会同に出席する検事正等に会う
両陛下 → 勤労奉仕団に会釈
全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長に会う
2月18日・・・両陛下 → 健康診断
皇太子同妃両殿下
2月12日・・・両殿下 → 人事異動者に会釈
皇太子殿下 → NHK交響楽団第1830回定期公演鑑賞
2月16日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈
フェルメール鑑賞
村上隆「五百羅漢」鑑賞
2月17日・・・皇太子殿下 → 祈年祭の儀
勤労奉仕団に会釈
両殿下 → 赴任大使に会う
秋篠宮家
2月12日・・・秋篠宮殿下・眞子内親王 → 第65回関東東海花の展覧会鑑賞
両殿下・眞子内親王 → 人事異動者に会釈
皇宮警察人事異動者に会釈
2月15日・・・秋篠宮殿下 → 平成27年度済生会総会」について説明を受ける
2月16日・・・両殿下 → 平成27年度対外発信強化のための中南米日系人招へいの被招へい者に会う
2月18日・・・両殿下・眞子内親王 → 宮内庁参与と懇談
両殿下 → 離任在京タンザニア大使に会う
皇太子の鑑賞三昧。誰も止める者がいなければこんなもんですよね。
五百羅漢には「一番最初に手をつけたのはどの部分ですか」と質問したそうです。
フェルメールは合計6回目の鑑賞でしょうか
秋篠宮両殿下と眞子さまが懇談した宮内庁参与とは風岡長官と羽毛田長官だそうです。
二人から「代替わりの際は愛子様を皇太子に」なんて言われなきゃいいんですけどね。
「皇室に残ってもいい事ありませんよ」とかやんわり言われていなきゃいいなと。
19日。常陸宮両殿下
高松宮妃癌研究基金の学術賞授賞式に出席
ディズニーシーの愛子内親王
昼食後、友達と出てきたところ。
アトラクションに乗って手を振る
SPは20人以上。ぞろぞろと後をくっついていたそうです。
未成年だからーーでは済まされない「何か」があるのは事実ですよね。
4月から中3.そろそろ公務見習いも始めなくてはいけないのに。
大体、神武天皇陵に参拝した事もないんですよ。こちらの姫様は。
遊ぶ事だけは一般庶民と同じ権利を持って特別待遇。でも皇室の「お仕事」に関しては
「未成年」だからと免除。
気が付いたらお手ふりしか出来ない内親王になっていましたとさ。
その昔、医学がまだそれほど発達していなかったころ、天皇が健康を崩せば
すぐにわかったし、皇太子が代行を務めるシステムが出来上がっていました。
大正天皇の場合、本人はまだ大丈夫だと思っていたし、本当はそれほどの病状で
なかったにも拘わらず昭和天皇が「摂政宮」となり、父帝を遠ざけるような結果に
なりました。
そのトラウマだったのか、昭和天皇はご自分が病気でも最後まで「摂政」を
置かずに逝かれた。
香淳皇后は骨折した際、適切な処置を受ける事が出来ず、それが原因で
「老人特有の症状」を呈され、自然に公の場から離れられた。
私達国民は、その当時、香淳皇后がどんな状態であったのか、知らされなかった。
だから全て週刊誌の記事と、後々になってわかった事で「そうだったのか」と
判断するしかなかった。
昭和天皇の場合も、がんである事は伏せられたまま。
80代で「手術」と聞いた時はびっくりしたし、そんなにひどいの?と思ったけど
報道はあくまでそうではないという事だったから気にも留めず。
いよいよ危ないとなって毎日、熱の状態や血圧や下血の発表があったけど
それは見る人が見れば「ああ末期のがんか」とわかっただろうけど
国民にはきちんとした病気の発表も余命がどれくらいなのかも知らされなかった。
1989年の新年祝賀の儀には皇太子一人が大使らからの挨拶をうけ、
皇太子妃は外の宮妃と同列にいた。
1月7日は土曜日で、民間企業は休みか半ドン。
朝の5時くらいに皇族方が皇居に入ったという知らせがあり、8時くらいには
崩御。企業は一斉に喪に服した。
これが月曜日だったらどうだったんだろう・・・・タイミングがよすぎるよね・・・なんて
思ったけれど、正式発表が1月7日である以上は、それを疑う余地はない。
過去にも天皇や皇后の崩御の日にちがずらされた例はいくらでもあり、珍しい事では
なかった。健康状態の発表もしかり。
そして今。
日本の報道しか見ない人にはわからないけど、フィリピンで天皇陛下は
明らかに「老人特有の症状」を呈していた。
本来なら静かに皇太子に「摂政宮」の位を授けるべきところ、マスコミはそれを
報道しないし、多分、両陛下自体、それを認めないので
3月に東北に行くとか4月に神武天皇陵参拝とか、強行スケジュールを平気で組んでいる。
外国要人とも会っているし、私達にはわからないけど、もしかしたら
相手方にとって「不審」な事が一つや二つあったかもしれない。
それでも天皇が「自分は公の仕事を辞めるつもりはない」と言う以上、誰も止められない。
「老人特有の症状」は常識的に考えれば「若しくは身体の重患又は重大な事故」
に値すると考えるが、客観的な視点を失った皇室は、本人の意思任せ。
皇后は「天皇が年老いて役目を果たせないと思う事」を恐れていると週刊誌には
書かれ。だとしたら、天皇の症状を認めないのは皇后自身で、何が何でも
摂政なんてとんでもないと考えているのかもしれない。
というか、国民には知られていないと思っているのかもしれない。
では皇太子は大丈夫なのか。
皇太子はもう何年も健康診断を受けてない。皇太子妃も同様。
皇太子が胃にポリープが見つかった時、結構大きくなっていて
それまで全然健康診断をしていなかったことに両陛下が驚いた
という報道があった。
それ以降、何回かは診断を受けたようだが、皇太子妃は血液検査のみ
程度だったと思う。
表向き、皇太子妃はいまだに「病気療養中」である。
その病名は「適応障害」だ。
しかも「慢性適応障害」で、10年以上「療養」しても公務復帰はままならない状態。
でもセカンドピニオンが考えないし、今の状況で満足だと皇太子は言う。
何に適応障害を起こしているのか・・・・といえば、それは「皇室」だという。
「雅子のキャリアや人格を否定する動き」のせいで疲弊し、疲れ切った・・・
疲れ切って10年以上。
「適応障害」と発表された後、週刊誌等では「10年かけて病気になったんだから
回復にも10年はかかる」と言われた。
10年はとうに過ぎたけれど、皇太子妃は時折、手を振るだけの公務に出ては
「体調が整った」といい、そうかと思えば「やっぱり無理」と休む生活。
夫からは「好きな時に寝て好きな時に起きて好きな時にたべさせてやりたい」
それが一番の治療法だという。
国民は、熱があるわけでも検査でクロが出るわけでもなく、スキーと子供の行事には
時間を大幅にオーバーしてはしゃいでいる皇太子妃の「病気」が一体何なのか
全く教えて貰えていない。
「皇太子妃が「自分は病気だ」と言えば病気だし、今は元気と言えば元気だ」
そんな状態のようだ。
愛子内親王は生まれた時から「優秀」だとあっちこっちから言われ、それがもはや
定着している。
20歳になったら、さぞや活躍してくれるのだろうと思うが、その時になって
「人前に出るのは不安」とか「嫌い」とか言い訳するのだろうか。
皇太子は、一見健康には何の問題もないと言われているが、時折みられる
ズボンのしみには言及されない。
はっきりと写真に写っていても「本人が認めない以上、それはないもの」とされている。
写真も映像も、「証拠」にならない時代がやってきてしまった。
ゆえに、皇太子が人前でどんなに恥ずかしい状態になろうとも、それが
「若しくは身体の重患又は重大な事故」にはならないのだ。
要するに「皇室典範」というのは、皇族とそれを取り囲む宮内庁の
「良心」によってのみ機能する不可思議な法律なのである。
だから国民は期待しても無理だ。
今は戦前以上に「天皇家の権威・権力」は増し、自浄能力が欠けている。
それが多分、それによって得をする人たちがいるせいと思われる。
古代より、皇室はその時々の政治権力と密接につながって来て
「利害関係の一致」で存続してきた。
その後ろ盾が、21世紀の今、「反日組織」というだけなのだ。
天皇が「皇室」の在り方を否定するという矛盾が生じているのはそのせい。
天皇が「日本人の過去」そのものを否定し、懺悔する事に生きがいを感じて
いるのもそのせい。
悠仁親王が継ぐまでもなく、皇室はすでに瀕死の状態なのである。