11月16日。両陛下の屋久島などを巡る旅がスタート。
フットワークが軽い両陛下。
なんでも今回の旅で47都道府県を2巡する事になるんだそうです。
今上にすれば「昭和天皇を超えた!」って事になるのかなあ。
15年に噴火で被災した口永良部島。島民は「覚えていて下さった」と大喜び・・だそうです。
11月16日。両陛下の屋久島などを巡る旅がスタート。
フットワークが軽い両陛下。
なんでも今回の旅で47都道府県を2巡する事になるんだそうです。
今上にすれば「昭和天皇を超えた!」って事になるのかなあ。
15年に噴火で被災した口永良部島。島民は「覚えていて下さった」と大喜び・・だそうです。
違う意見にも寛容にとか、様々な意見があってのブログとか・・おっしゃる事はよくわかるのですが、だからこそ、私はどんなコメントも一応は承認して来たつもりです。
しかし、当ブログのスタンスは変わりませんし、そこそこここまで・・・と思っている記事に対しての執拗な反対コメントは、当ブログのスタンスと逆方向へ読者を誘導しているように見えて仕方ありません。
申し訳ないですが、例の事件以来「擁護」を装った「反対意見への誘導」には慎重になっております。
ラピスラズリ様、私はひどく不愉快です。ずっとずっと我慢して来ましたが、どうして「ああいえばこういう」なのか。「そうか。ふぶきはそうなんだ」で済ませて貰えないのはなぜですか?そういう反対意見があるのであればご自分のブログでおやりになって欲しいと思うのは私のわがままですか?
「こんな書き方は許せない」とかコメントされるよりもさらりと読まない方が賢いのではありませんか?どうして執拗に自分の意見を押し付けるんでしょう?
「親切に忠告してやったのに」と思われた方、すみません。ありがとう。
でも自分のブログの中でくらい、好きに語らせて下さいな。
なぜそういう言葉を使ったのかと考えていただくのは構いません。不適切であると思われたらすみません。でも、そういう気持ちの時もある。それが私の「個性」です。
本当に我慢してきましたけど、今回ばかりは危険性を感じますので言わせて頂きます。
私の眞子様への考え方は変わりません。
どんな立派な生まれの女性であっても、まだ26歳であると考えます。未熟な部分を認めてあげたいです。言葉尻を捕らえてがっかりしただの、こうであるべきだのと言ってほしくないです。
眞子様の事よりも大事なのはもうすぐ天皇と皇后になる東宮夫妻ではありませんか?
そして「退位」を言いつつ、「満身創痍」を装いつつ、マスコミ操作して「慈愛」を演出しつつ、フルムーン旅行に勤しむ今上と皇后ではありませんか?
両陛下こそ、平成の皇室をここまで貶めた張本人であるというのに。
眞子様の数日前の公務についてあれやこれや言うより、今、そこにある「両陛下のお遊び旅行」の方が問題ではありませんか?
静かに、視えない様に、それでも「当代・次世代の両陛下には賛同できない」態度を明確にする事が大事です。
また、興味がない、ふーん程度の人達にも身近な問題を提起しつつ、皇室問題に関心を抱かせる事が肝要です。みなさん、政治家が無駄遣いをしたら怒るでしょう?どうして皇族がそれをやっても怒らないのか?
私達にとって皇室とは何か。それを考えるには根っこが問題なんです。
さて、「内親王の皇族教育はどんなだったか」という質問に出来るだけ誠実にお答えしたいと思います。
幕末までの女性皇族
基本的に天皇家は貧乏でしたので、たとえ天皇の子供に生まれてもすぐに親王になったり内親王になったりする事はありませんでした。
嫡子以外の多くの親王や内親王は生まれてすぐに仏門に入れられます。
一生、知っているのはお寺の庭ばかりで読経三昧の生活だったのです。
幾佐宮隆子女王のスキャンダル
1841年。天保年間・・もうちょっとで幕末っていう時代。
伏見宮貞敬親王の11番目の女王、隆子女王が伏見宮邸を抜け出すという事件を起こします。23歳の時でした。
女王が行方不明になったので大騒ぎ。
でも、彼女が向かった先は年上の甥にあたる山階宮晃親王の元でした。
二人はお寺で出会って恋に落ち、二人で駆け落ちを考えていたんですね。
これは時の天皇、仁孝天皇(明治天皇の祖父)の怒りを買い、二人とも閉門・蟄居。
晃親王は後に身分を回復し宮家を立てるのですが、隆子女王は出家させられて一生お寺に預けられたまま亡くなり、名誉回復は亡くなった4年後の事でした。
隆子女王は沢山の姉妹がいましたが、早世した女王を除けばほとんどが有名寺の門跡になったり結婚したり。でもこの隆子女王はそのどちらでもなく宙ぶらりんの立場で相当鬱屈していたとみられます。
また晃親王も当時は法親王で、このまま一生隣村にも行けない身と嘆いたそうですから、それこそ束の間の「自由」を求めておn遁走劇だったという話です。
当時の内親王も女王も公家や徳川家に嫁ぐ事が出来たら一番の幸せ。
門跡として名声を得られれば二番目の幸せ。あとはひっそりしたものですね。
桂宮淑子内親王
淑子内親王は仁孝天皇の娘、孝明帝の姉です。
今の眞子様とほぼ同じ立場で、内親王宣下を受けて閑院宮愛仁親王とご婚約。
幸せな人生が待っていた筈が・・・まさかの愛仁親王の死で・・桂宮家を継ぐ事に。非常に人見知りをするタイプと言われ、でも身分は孝明帝の后、夙子女御より上の准后宮と称されました。
明治以降の内親王教育
幕末までの姫はいわゆるたおやかで和歌を読み写経をして・・・という生活。
当然、明治になってからもそういうものと思っていたら、ここに「皇室外交」が登場
勉強好きな昭憲皇太后は積極的に外国文化を学び、それをサポートしたのは下田歌子。彼女はヨーロッパを巡り、キリスト教を土台とした女子教育に目覚めます。
すなわち、ボランティア精神、知識、教養、ダンスや英語等々、外国人と対等に渡り合えるような教育を施したわけです。
しかし、彼女が設立した華族女学校が学習院に併合されると下田歌子はクビになってしまいます。
今思えば、女学生の袴も下田が考案したもので、多分に当時は「はしたない」と考える向きもあったでしょう。
何度も書きますが、親王と王と華族男子には「軍務につく」義務があったので、100%士官学校に入ります。
しかし、女子に関してはとりたてて義務はなく、華族女学校を出たらほとんどが誰かと結婚して子供を儲ける・・・のが義務。
重要視されたのは容姿・教養・礼儀作法、そんな所ではないでしょうか。
昭和天皇の皇女たち
明治天皇には4人の内親王がいましたが、全て側室腹で宮家男子と結婚する事によって宮家を立てる役割をしました。
大正天皇には内親王がいませんでした。
昭和天皇には5人の皇女がいましたが、そのうち4人は「呉竹寮」と呼ばれる宿舎で暮らしました。
軍の方針もあったでしょうが、要は「良妻賢母」になる事のみを重視されたわけですね。
大体20歳くらいで宮内庁が用意した人と結婚。多分、拒否権はなかったものと思います。
東久邇家に嫁いだ成子さんは苦労してがん闘病で早世。
鷹司家に嫁いだ和子さんは皇族で初の「民間人」とご結婚。子はなく、夫は浮気して死亡。残された家に強盗が押し入るなどして赤坂御用地で暮らす事に。
池田家に嫁いだ厚子さんは皇居から遠い岡山へ。
島津家に嫁いだ貴子さんの嫁はカナダ人。
今上には紀宮清子内親王が。
歴史的に見ても晩婚中の晩婚。井上内親王以来かしら?
サーヤは日本舞踊を習っていましたよね。文章力もあり、非常にご優秀。
時代と共に内親王の在り方も変わりました。
戦前は「呉竹寮」に隔離されていた内親王。
生まれも育ちも皇族そのもののご両親と、それを支える宮内省という組織の中で「特別な身分」である事が当たり前でした。
でも戦後は皇室の藩屏となり、唯一、境遇を共感しあえる華族制度がなくなり、皇族方は孤独になっていきます。
その「孤独」を推し進めたのが当時の皇太子と正田美智子さんだったわけです。
サーヤは「いずれ降嫁する身だから」とわざわざ一般の幼稚園に通わせたり、母と娘だけの旅行をしたり、成年式ですらほとんどないのと同じ扱い?
降嫁した後に困らないような教育を施されたわけでしょう?
結局は35歳まで独身だったわけですが。
サーヤが22歳くらいであっさり結婚していたら秋篠宮家の内親王教育も違っていたかもしれませんよね。
まず日馬富士の件。確かに貴ノ岩も悪いと思う。先輩がお説教している時にスマホがなった?いや、普通はマナーモードにしておくべきでしょう。
でも、だからってビール瓶で殴っていいわけじゃありません。
双方に落ち度があり、何とか丸くおさめる事が出来なかったのかと思います
日馬富士もキレやすい部分があり、そういうのはなかなか我慢する事が出来ないでしょうし、それこそお国柄で考え方も違う。
でもやっぱり相撲は神事という事を考えると双方に礼を失する行為があった事は事実。親方達は今一度原点にかえって欲しいと思います。
で。眞子さまの件ですが。
眞子様は「障害」を「個性」と解釈して「すっと入った」わけじゃないんです。
よく考えれば「皇室という環境を不自由」と思っているわけでもない事がわかります。例のなんとか馬さんがブログで「眞子さまは世間知らず」と言い、そっかーそうだそうだと思った方々へ、今一度よく考えて欲しいのです。
ラピスラズリさんにも言いたいですが、そもそも主張を述べた森田愛実さんの文章にまで言及するのはどうかと。
彼女は確かに義足という「障害」を持ってはいるけど、そんな自分が今いる環境や考え方そのものを「個性」と思って前向きに頑張ろうと言っているわけでしょ?
(全文読んでないからわからないけど)
「個性」という言葉、それを障害に使うのは嫌いだという方々もいます。
私もそうです。
だけど、今時の中学生がそれを「個性」と言わずして何と形容したらいいのですか?
まだ子供ですよ。
彼女の年齢でそういう風に前向きにとらえ生きていく事が出来たら本当に素晴らしいではありませんか。
「私が義足である事も、義足に伴って必然となったこの環境も、そして障害ゆえに考える事も全ては個性」つまり、必然だし逃れられない運命という事です。
眞子様はそういう部分に共感されたんじゃありませんか?
「皇族」=「不自由」=「個性」
どうやったらそんな解釈になるんでしょうか?
眞子様に失望したとか、期待しすぎたとかいう向きもありますが、何を期待していたのでしょうか?
「私が皇室に生まれたのは将来の天皇の姉として生きる使命だ」なんて今時の子が考えると思いますか?
天皇・皇后・皇太子夫妻ですら考えない事をどうして宮家の姫が考えられるでしょうか?そんな事を考えたり言葉に出したりしたらそれこそ「皇位簒奪を狙う内親王」と雑誌でたたかれるんじゃありませんか?
眞子様はあの年齢の女性としては立派過ぎる程立派です。
ただ結婚相手を間違って選択しましたが、何の失敗もない人間なんていません。
天照大御神の眞子さまは暫く天の岩戸に隠れるのみです。
また個人的な話になりますけどね。
私の父が亡くなったのは私が21歳の時で、母の誕生日で創価信者の親戚とは相いれず険悪ムードになっていた時でした。
父は自宅で亡くなりましたから、その後の警察やら葬儀の段取りやら全くわからないなりに一生懸命にやろうと思いました。
霊柩車やお返しなどの事であまりにらちがあかなかったとき、葬儀屋さんに
「ここは跡取りのお嬢さんに決めて頂きます」と言われ、本当にほっとした思い出があります。それまで母ですら悲劇のヒロインに成り下がって私の味方をしてくれなかったものですから。
自宅での葬儀は大変ですよ・・・一日中お手伝いさんは台所に立ちっぱなしで料理を作り、母は座った切りで泣いてばかり。
それを親戚連中が必死に慰めて、泣かない私を「冷たい」と責め「あれもなってない。これもなってない」と車座になって一晩中言われ続けました。
いっそ、こんな家、出てやる!と思ったほどでした。
眞子様を責める皆さんはあの時の親戚連中に見えます。
後から考えればこうすればよかった、ああいえばよかった・・・と後悔し、気が利かなかった自分を反省し、だからこそ子供達には喪の行事の時にはとりわけ厳しく姿勢を正し、様々な行事の時には真っ先に動くように躾けて来ました。
お蔭様で13年前に亡くなった義兄の葬儀においては、姫が大活躍してくれて嬉しかったですが(その時も泣かなかったので宮妃が「あなたは冷たい」と言い放ったんですけど)
自分自身も「嫁」としてどうふるまうか、娘としてどうふるまうか、やっとわかってきたんだと思います。
それもこれも回りが立ててくれたからこそだと思います。
まだ26歳です。
至らない部分も多々あってこその内親王です。
黒田清子さんと比較する向きもありますが、あちらは東宮家の内親王で、昭和天皇や香淳皇后の薫陶を受けていらしたし、何よりご本人が地味でおっとりして欲のない方でした。
秋篠宮殿下のお勧めがなかったら黒田さんと結婚する事もなかったのでは?
みなさんはそういう生き方を眞子さまにさせたいと?
伊勢の祭主になられた清子さんは本当にご立派でした。
でもサーヤはいくつだと・・・?
同じものを26歳の内親王に求めるのはひどすぎる。
「自分がいる環境が個性的である」という考え方はなかなか一般人にはわからないと思いますよ。
私自身、仙台の田舎にいたけどいわゆる普通の「仙台人」じゃなかったのでラピスラズリさんのいう「特殊な」環境であったと思います。
ちょっと特殊な育てられ方をした為に普通のサラリーマン家庭の生活を知らずにずっと生きて来て、「何で違うんだろう」と思いつつ、理由はわかってるし受け入れるしかないんだけど時折やるせない事もあるわけで。
特に同世代と向き合う時は「不自由さ」というより、「違い」を感じてしまう(だからどうだって話ですが)そういうものを抱えて生きる・・そんな環境にいる事、その上で培った考え方などが「個性」なんですよ。
雅子さんの「LIKE YOU」なんぞと比べる愚。
何度も申し上げますが森田愛実さんの主張は年齢的に素晴らしいものでしょう。
共感する眞子さまの心もよくわかります。
まず日馬富士の暴行事件について。
これは民族性の違いだから仕方ないのかもしれません。
「相撲は神事」なんて言われても、そもそもがお金と名声を求めて外国から来た力士にとって日本の神様なんてなんぞや?ってなものでしょう?
日本の神様を喜ばせる為に相撲をとる?まっさかーー草原の神だよーーってな感じ。
でもなーー怒らせたのがあの貴乃花親方でしょう?
あの人、妥協しないと思うし・・・可愛い弟子を怪我させて謝ってすむかーーでしょ。
それでも角界が外国人力士を使い続けるんだからしょうがない。
本当にしょうがないです。
小池都知事が「希望の党」の党首を辞任したそうで。
いやーー早かったね。
「国政については国政の皆様に任せたい。
創業者の責任として代表としてスタートしたが、代表の座を降りさせていただく。
然るべき形で皆様方をサポートしたい」
何だか筋が違うような気がして。
国政の皆さまに任せるなら何で希望の党なんて立ち上げたのか?
中途半端に党を作ってみました。
みんなを入れるつもりだったけどやっぱり考え方が合わない人は入れない事にしました。そしたら「べっつにいいよー」といって出て行った人多数。
結局、選挙に負けました。
そういえば私にはまだ都政が残ってたっけ。選挙に負けたみんな、ごめんね。
私、あっちに戻るからあとは勝手にやってくれる?みたいな。
笑い話にもならないよ・・・・
保守としては民進党をぶっ壊してくれてありがとうだけどさ。
皆さん、迫りくる老人介護の問題にどう対処してますか?
ぜひぜひご意見を賜りたいのですが。
というのも、今、私の同僚二人がまさに「実の親の介護」に直面し、切ない思いをしているからです。
二人とも高齢出産で子供を産んだためにまだ中学生とか高校生の親だったりします。
だけど親の方は確実に80代を越え、とりあえず夫婦で暮らしているけれど、病気を抱えたり、看病や付き添いが必要になり、兄弟姉妹で色々話し合うもなかなか完璧にはいかないという事なんですね。
私自身は21歳で父を、32歳で母を亡くしたので実の親の介護はありません。
しかし、父は私が小さい頃から戦争とアルコールのせで体がガタガタ。
私は20歳の頃には歩くのも困難でトイレはかろうじて一人で行ってましたが、散髪に行くのにもタクシーで私が付き添ってという状態。
この先ずっとこの状態が続いたら私・・どうしよう・・と不安になっていたんですけど脳血栓であっけなくこの世を去ったのでした。
母の介護問題が出てきたのは29歳の時で、姫を妊娠中の時。
仙台で心臓弁膜症になり、動けなくなった母をこちらに連れて来て入院させたはいいけど、2Kのアパートでは引き取れるわけがなく、施設探しに奔走している間にぜんそくになって私が入院する始末。
でもそのお蔭で特別老人ホームに入所。6年間寿命を延ばしました。
勿論、乳児を抱えて働く身には月10万円近くの保育料と4万円の老人ホームの家族負担金はきつくて、毎月私のお給料が全部消えるし、貯蓄もなくなるし。
何回「死んでくれないかな」と思った事か・・・
でも今になってみると、もっと他の方法、つまり母の望む通りの生活をさせられなかったと後悔が残るのです。
お役所にはもう4年の付き合いになる認知症のおばあさんがやってきます。
おばあさんといってもまだ72歳です。
彼女は妄想癖があり、盗まれたーーとか後ろを人が通ったとか不安を抱えると訴えに来るんですが、窓口の人はみんな逃げてしまうので必然的に私がずっと相手をしています。
去年からやっと包括支援センターと連絡を取り合い、同居する息子や別居している娘と連絡を取り合い、何とか生活面では心配がなくなったんですが、その時、ふと娘が「お母さん、家を売って私の所にきて」と言った事を悪くとってしまい、以来「娘は私の財産を奪う気だ」とそればかり訴えるようになりました。
民生委員とも連絡を取り、定期的に訪問して貰ってますがらちが明かないというか、そもそも同居している息子も40代で非正規で半分ニート。この息子が心配で心配でおばあさんはよそに移るわけにはいかなと思い込んでるのです。
先日、やけに暗い顔をして現れたのでよくよく事情を聴くと、入れ歯を失くしてしまったんだけどきっと誰かに取られたに違いない。
でもそれを息子に言ったら怒られて・・・よく探せと言われたけど自分はいつも決まった場所に置いている。だから歯医者に言ったら診療を断られた。息子と来いと言われた。でも息子は仕事があるし私の為に休んでつきそうのは・・
話を聞いているうちに、同居している息子がいらっとして怒鳴ったりする事がわかりました。するととても落ち込んでしまうらしいのです。
迷惑はかけたくない。あの子は工業高校を出て機械に強くあんな事もこんな事もしてくれたんですよ。だからやっぱり自分が頑張らないと。
そんな話を聞いていたら私の方が泣けてしまって。
ああ・・母親というのはボケても子供の心配をするし、子供とのもっともいい思い出の中に生きているんだなあと。
そうえば私の母も亡くなる3か月前から認知症になって、最後の面会の時に、姫をジュニアと勘違いしてはなしかけたりしてたんですが、最後の方は私が学生になってました。
「あんたも学生なのに働いて大変だね。もうちょっとしたら仕事をするからお金を送ってあげるから心配しなさんな」と言われ、その時点で涙が止まらなくなり・・
必死にうんうんといいつつ、「もう長くないのかも」と思いました。
母とは色々確執があって、私が上京してからはろくに会いにも行かなかったし、なんせ根が雅子さんなんで娘としては大変な思いをしたんです。
でも最後にこんな風に優しくなるものなんだなあ・・・と。
いつもお役所に来るこのおばあさんだって今は元気だけど、いつどうなるかわからない。
だからそれまでは精一杯話を聞こうと思ったんですが。
そんなわけで自分自身の老人介護はもうありません。
お蔭様で郡山宮夫妻はそれこそ健康オタクのように、ポリフェノールたっぷりのチョコを食べ、コーヒーを飲み、ヨガにグランドゴルフと・・それでも宮妃は少し物忘れがひどくなってきたようです。
我が家の子供達は将来的に祖父母の面倒もみなくちゃならない存在として、あえて積極的に触れ合わせてきました。
そのせいかなのか・・・姫は毎日郡山に電話して祖父母の愚痴を聞き、年に2度くらいは郡山へ行って姫様待遇でおもてなしを受け(要するに会津とか猪苗代とか好きな所にばんばん連れて行って貰う)
ジュニアはこの秋から郡山に就職し、今は宮夫妻と暮らしています。
ジュニアはあまり喋らないけど、出されたものは全部食べて、宮妃が好きな番組を覚えて始まりそうになると声をかけ、一緒に見て笑ってくれるんだそうです。
何だか息子を取られた気がして・・・・でもまあ、そういうつもりで育てたんだからしょうがないと諦めています。老人夫婦に何かあった時、見逃す事のないように、すぐに行動に移せるようにと思っています。
でも同僚たちは家事も育児も老人介護も全部一人でやっているんです。
帰りのバスでこくんこくんと寝ちゃう彼女を見てはこっちがため息ついちゃうし、東京ー大阪日帰りでやっと実母の見舞いが出来た彼女には「泊まってくればよかったのに」と思うし。
二人とも配偶者は「いいよいいよ。行っておいで」というわりには家事は一切負担しないし、子供達も「何で私が?」状態だそうで。
みんなそんな状態なのか?男女平等も夫婦平等も絵にかいた餅?
だから舅や姑の面倒なんか見るかーーって事になるのか?などと思ったり?
日帰りした彼女は「ふぶきさんが背中を押してくれたので、思い切って母に会いにいけました。そうでなかったら夫に遠慮していけなかった」というけど、そんなもんなの?私よりずっと若いのに・・・と。
ぜひ皆さまの経験をお聞かせください。
イ・イ国境ぞいの大地震。お見舞い申し上げます。
中東リスクというのもあるそうで、サウジアラビアとイランだかイラクだかが戦争をするかもしれない・・・そうなったらドルが売られ・・とか言ってたけど地震で戦争どころじゃない?それともこの機に乗じて?
最近は池上さんの番組を見るのは、彼がいかにパヨク発言するか、そういう方向に持っていくかを知る為ではあるのですが、先週の中国に対するお話はすごかったなあ。全部鵜呑みにしたら「中国って世界最強の国じゃん。万歳」って叫びそうになります。
私個人は農村戸籍や都市戸籍に分かれていたり、50車線もある町になんか住みたくないですけどね。日本に帰化している多くの中国人はどこらへんの人なのかな。
吉林省の朝鮮族が多いのは知ってますけど。
妙に静かな北朝鮮が気になるというか。本当に18日とかにミサイル飛ばす?どこからそんな噂が?
でもトランプさんの「金正恩と友達になれるかも」発言は不思議だしなあ。
北のニュースでアメリカ特集をして、アナウンサーのお姉さんが真面目に「老いぼれ」とか言ってるのをみて爆笑してしまったんですけど。
そうそう、北から南に兵士が亡命したとか?助かったんだよね。頑張れよ。
ドラマの話。
朝ドラ「わろてんか」は子役時代が面白かったなあと思います。
大人になってから何がダメって・・主人公の二人があまりにも甘すぎる事。
藤吉さん、役者目指してあっちこっち放浪し、好きな女の子を連れて帰って(しかも勘当させて)店を潰して、寄席を買う為に嫁の家からお金を借りる?
あまりにも藤吉さん、苦労しなさすぎじゃないのか?
てんの屈託のない笑顔を見ていると「世の中、そんなに甘くないんだよ!」と言いたくなります。
実際の吉本せいさんは、実家にお金借りて寄席を買ったなんて話は聞きませんでしたけどね。
店が潰れたけど住む家に困らず、たまたま売れない芸人ばかり集まる長屋に入って、たまたま寄席が売りに出されて?戦略的なものが一つもないじゃない?
てんは藤吉さんの米問屋に行くべきじゃなかったのでは?
京都の面々が全然生かされずに可哀想。あんなに豪華なメンツなのにね。
高橋一生の為にみてるけど挫折しそう(「民衆の敵」も挫折したし)
見る度に腹が立ってくるのでやっぱりやめるべき?そうまでして見る事もないかな。
昼ドラの「トットちゃん」も、戦争中なのに戦争の悲惨さや暗さが全然伝わって来ないんですよね 不思議だったわーー
戦後は朝さんがやり手の商売人になって全然お金の心配してないし。
お父さんが帰って来たら毎日肉料理?すごすぎて目が点・・・黒柳さん、あまりにも浮世離れした戦後を生きていらっしゃったのね。
凰稀かなめがちゃんと女性に見える事くらいが・・・・・ねえ。
皇族の減少が言われていますが、皇族が減ったら困るのですか?
困りません。
天皇陛下を支える為に皇族が必要という事で女性宮家が叫ばれているのですがそうなのですか?
違います
天皇陛下に定年制や退位制度は必要ですか?
必要ありません。
愛子様が皇太子や天皇になってはいけないのですか?
はい。
皇族の仕事とはなんですか?
義務としてはありません。
両陛下と皇太子夫妻は日本を嫌いなのですか?
そうです。
皇太子夫妻が「両陛下」になったら皇室は亡びるのですか。
多分。
眞子さまと小室圭との結婚は「女性宮家」創立に関係ありますか?
ありません。
皇族でいる事で得する事ってなんですか?
国費で生活が賄える
赤坂御用地に広い邸宅と使用人がつく
結婚・家事・育児の義務なし。ついでにいうなら労働の義務なし
「殿下」と敬称つきで呼ばれ、「おもてなしされる」立場にいる
やろうと思えばいくらでも贅沢が出来る・遊んで暮らせる・外国に行ける・美味しいものが食べられる。
皇族に義務はないのですか?
ありません。
皇族に権利はないのですか?
・人権
・選挙権
・名字
の権利はありません。
でも「好きな事を好きなだけ勉強する権利」はあります。
両陛下が国事行為や祭祀以外に沢山の公務を抱えて忙しいのはなぜですか?
自ら営業して開拓した「公務」だからです。なくても困りません。
両陛下が退位したら秋篠宮殿下が皇嗣となり内廷皇族になりますか?
なりません。内廷皇族は「上皇・上皇后・天皇一家」のみで、皇嗣だけど秋篠宮は別枠です。
ゆえに「称号」もありません。
なぜ「皇太后」ではなく上皇后なのですか?
「皇太后」には「未亡人」のイメージがついて回るので現皇后が嫌がっています。上皇后といえば皇后より身分が上に見えるからではないでしょうか。
じゃあ、現実に上皇が亡くなったら「皇太后」と言われるのか・・疑問ですが。
なぜ上皇夫妻は東宮御所を「仙洞御所」にしたいのですか?
かつて自分達が住んでいたからです。
通常「仙洞御所」は御所や東宮御所より規模が小さく、またお抱えの人数も少ないものです。
上皇は昔なら読経三昧の質素な生活をするはずなので。
しかし、東宮御所を改修し(4度目くらい?)その間、高松宮邸に住むと言われています。
高松宮邸は現在、秋篠宮が住んでいる秩父宮邸より広く、秋篠宮一家の移転も考えられたほどでした。
退位したら上皇は何をするのですか?
「韓国」訪問が悲願です。どうしても謝罪して十字架にかけられたいらしいです。
それと外交官夫妻らとのお茶や日本全国の旅行、海外旅行等、好きな事です。
秋篠宮は「皇嗣」ですが皇太子ではないのですか?
違います。
皇嗣と皇太子では扱いが違いますか。
日本においては筆頭宮家待遇で変わらないでしょう。
海外においては受け入れる国の気持ち次第です。
天皇 → 国賓
皇太子 → 公賓
皇嗣 → ?
なぜ秋篠宮殿下は皇太子になれないのですか?
一般的には「次男」だから。
でも本当は皇太子にしてしまうと、愛子内親王を皇太子に出来なくなるからです。
女性天皇・女系天皇ではいけないのですか?
いけません。
紋きり口調ですみません。
小柳奈穂子×〇〇・・・85%
小柳奈穂子の事、最初は好きじゃなかったんです。
2002年 SLAPSTICK
これがまあ、ひどい出来で・・・お気の毒な霧矢大夢状態でしたし、2003年アメリカン・パイも「何でそこで萩尾望都?やるならトーマの心臓じゃん」気の毒な貴城けいでございまして、2004年 NAKED CITY これまた妙に暗くて・・でもまあ、彩吹真央との相性はいいんだと思ったけど。
つまり、どうにも「宝塚愛」を感じる事が出来なかったんですよね。
「宝塚が嫌いなら他でやればいいじゃん」くらいに思ってました。
ちょこっと変わったと思ったのは2007年 シルバーローズ・クロニクル。これで彩吹真央というとてつもなく相性のよい相手に恵まれ、その後、佳作の「シャングリラ」へと。
でも小柳奈穂子への評価は未知数だよねと思ってました。
それがっ!成長したのか空気を読んだのか組織に取り込まれたのか2011年「めぐり会いは再び」で大劇場デビューでブレイクし、まさかのパート2まで出来上がってしまったというわけです。
これでいわゆる「宝塚風ぶりっこ路線」が確立して、「アリスの恋人」(2011年)
「怪盗楚留香外伝花盗人」と女の子が好みそうなラブラブ物語で酔わせてくれる存在になったんですね。
しかしながら・・・・どうもその後がよくないんです。
2013 SHALL WE DANCE ×Congratulation 宝塚(藤井大介)
2015年 ルパン三世 × ファンシー・ガイ(三木章雄)
2017年 幕末太陽傳 × DoramaticS(中村一徳)
こんなに映画やアニメのリメイクばっかりするのは本人の意志?それとも歌劇団のオススメ?
「キャッチ・ミーイユーキャン」「オーム・シャンティ・オーム」「フットルース」
これらの中で「めぐり会い・・」を超える作品は出ているか?といえば「否」です。
一度目はいいけど、2度も3度も繰り返して見る気になれない。宝塚らしさがない。
ストーリーを舞台風にまとめる事で精一杯なんじゃないか?等々、疑問点ばかり。
最近でいいなと思ったのが「かもめ」くらいですよね。
個人的にはこういう小柳奈穂子をみたいですよ。
大劇場ではさらに組む相手がまずかったかなあ。
本来、藤井大介とは相性がいい筈だし彼こそ宝塚を代表するショー作家である事は間違いなしなので「小柳×藤井」なら「みたい!期待度100%」の筈だったのに。
いざみたら何だか消化不良。ショーは騒がしいイメージかなかった。
次の三木先生ですけど、三木先生って古い人のわりにはヒット作があまりないというか・・「パッション・ブルー」「ル・ボレロ・ルージュ」「ジャズマニア」「レ・コラージュ」あたりまでで、最近の作品では何もよいものがなく・・「ロック・オン」も「カノン」も「クライマックス」もひどかったよねーーって感じで、三木先生と組むだけで稼働率70%になっちゃうんじゃないか?と。
早霧せいなのさよなら公演「幕末太陽傳」は好きな人は好きでしょうけど間延びしている感は否めないし、今の雪組にふさわしい作品だったかといえば疑問が。
逆にショーの方はなかなかの出来でしたけど・・・
このままだと期待率が下がる一方で困っちゃう。
そこで小柳奈穂子と藤井大介でもう一度「ぶりっこ路線」「こてこてラブラブ路線」を復活させて欲しいものです。
韓ドラ「雲が描いた月明り」を舞台化して乙女達をキュンキュンさせて、藤井大介のショーでこれでもかっという程BL路線を味わいたいです
ご日程
両陛下
11月3日・・・天皇陛下 → 文化勲章親授式・受賞者に会う
11月4日・・・両陛下 → 天皇皇后両陛下ブラジル初訪問50周年記念写真展~永遠の絆を築いて」を見る
11月6日・・・両陛下 → トランプ大統領夫妻と会見
文化勲章受章者茶会
1017日・・・天皇陛下 → 勲章受章者と会う
通常業務
皇后陛下 → 「ねむの木」大賞受賞者とお茶
11月8日・・・天皇陛下 → 国会開会式
勲章受章者に会う
両陛下 → 勤労奉仕団に会釈
11月9日・・・両陛下 → 園遊会
皇后陛下 → 松山バレエ団 日中国交正常化45周年記念 新「白毛女」全幕(後半))鑑賞
皇太子同妃両殿下
11月2日・・・両殿下 → FUJI XEROX Presents イツァーク・パールマン ヴァイオリン・リサイタル鑑賞
11月6日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈
両殿下 → 勲章受章者と茶会
11月7日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈
両殿下 → アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団鑑賞
11月9日・・・両殿下 → 園遊会
皇太子殿下 → カタール王族シェイク・ハマド閣下及びシェイク・スヘイム閣下と会う
秋篠宮家
11月6日・・・両殿下・眞子内親王 → 離任大使に会う
眞子内親王 → 天皇皇后両陛下ブラジル国初訪問から50周年「永遠の絆を築いて」展を見る
「少年の主張」について説明を受ける
両殿下 → 勲章受章者との茶会
11月7日ー8日・・・紀子妃殿下 → 秋田県・宮城県訪問
・ 日本赤十字社秋田県支部・秋田県赤十字社有功会主催昼食会
・ 日本赤十字社秋田県支部創立130周年記念「秋田県赤十字大会」出席
・ 秋田赤十字乳児院訪問
・ 秋田県大雨災害被災状況聴取・夕食会
・ 日本赤十字社宮城県支部・宮城県赤十字有功会主催昼食会
・ 日本赤十字社宮城県支部創立130周年記念赤十字大会出席
11月7日・・・秋篠宮殿下 → 大日本山林会「第56回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事 賞状伝達贈呈式」及び祝賀パーティー出席
研究会出席
11月9日・・・両殿下・眞子内親王 → 園遊会
2日間も嫌いな筈のクラシックコンサートにお出ましになって「夫と仲いい私」を演出しておいて「体調の波」「体調に考慮」「皇后になる事を控えているので」園遊会は10分で退場・・のような嘘が大嫌いです。
皇后陛下も「満身創痍」の筈なのにフットワーク軽く、バレエを見るとかありえないでしょう
皇后陛下の「満身創痍」は一体どこが?痛いならどこにもでかけなくていいんですよーと言いたいです。
私のブログの過去記事を読んでね。そしたら見当違いの疑問は出てこない筈なので。
超大まかに言えば
ヤマト政権の始まり
大昔、日本と半島はくっついていたんです。だから盛んに行き来があった事は事実でしょう。東北や北九州、日本海側の出雲、畿内の纏向に文化が花開いていました。
やがて「鉄」を巡る権力争いが起き、出雲が敗退(以後、出雲は国を譲り天皇の代替わりごとに祝詞を読む事に)北九州と纏向の対決・・・そこで争いは続いたけど、不毛な争いをするよりも「共通の王」を立てて、祭祀を行い、蘇我さんと物部さんが政治をとりました。
男系男子
「パパが天皇」の系譜で続いてきましたが、一度だけそれが危機に陥った事があります。
24代 仁賢天皇 → 25代 武烈天皇で男系が絶えてしまったのです。後には武烈天皇のお姉さん、手白香皇女がいるばかり。
そこで・・・全国探し回った挙句、15代 応神天皇の5代目の孫が見つかったので手白香姫と結婚させて26代 継体天皇になりました。
応神天皇って?
かの有名な神功皇后の息子さんです。
悲劇の王子、ヤマトタケルノミコトは早世しましたけど、その息子が即位して14代 仲哀天皇になりました。そのお妃が神功皇后だったんですけど、この女性はめちゃくちゃ気が強くて、夫と別行動とって新羅征伐したあげく・・・なぜか妊娠期間ながーーく持って応神天皇を産むわけです。
今では応神天皇のパパは仲哀天皇じゃなくて側近の武内宿禰じゃないかと噂がありますが、彼もまた立派な「パパが天皇」の系譜です。
女帝の意義は
日本で最初の女帝は「推古天皇」である事は皆さん習ったでしょう。彼女も「パパは天皇」の系譜です。
なぜ推古天皇が女帝になったか。
夫の敏達天皇との間には竹田皇子がいたし、他にも王子は沢山いたけどそこらへんで争いが多々多くなり、当時の最高権力者である蘇我馬子の姪にあたる推古天皇が即位してとりあえず後の天皇を考えればいいやという事に。
女帝が生まれる時、皇位継承争いが勃発して収拾がつかなくなるか、外戚が強権を振るう時です。
称徳天皇以降、江戸時代まで女帝が出なかったのは正直、彼女の恋愛沙汰にこりごりだったからなんじゃないかなあ。
一方江戸時代に女帝は二人。
明正天皇はパパの後水尾天皇が徳川幕府に怒って「じゃあ、退位するもん!娘の女一宮は秀忠の孫だからいいんでしょっ!」っていじけた結果。
深刻だったのは後桜町天皇。この時は本当に男子の後継者がいなくて、完全な「中継ぎ」そのものでした。
女性宮家はなかったの?
っていうかそもそもそんな言葉はないのです。
ただ・・かの有名な孝明天皇と和宮のお姉さんだった淑子内親王は、婚約者が婚約が調った次の日かなんかに死んじゃって・・まさかこの時点で次の嫁入りは考えられず、でも未亡人ってわけにもいかず?
丁度、桂宮家が断絶しちゃってたので、そこを継いだ・・ってのはあります。
淑子内親王は宮家の当主になったので孝明天皇のお妃より上の地位で俸給も沢山。ただし一生独身でしたが。彼女で桂宮家は断絶しました。
明治時代に「女帝」が皇室典範に規定されなかったのはなぜ?
実は、明治に入るまでちゃんと皇室の歴史を知っていた政治家はそんなにいなかったんじゃないかと思われます。
だって世の中、徳川家一色だったわけですし。
で、よくよく調べてみたら「みんなパパが天皇の系譜で繋がっているんじゃん」とわかったんですね。
勿論、旧皇室典範を制定するにあたっては「女帝」を制定すべきという意見も多かったんだけど、結果的に認められなかったんです。
その理由は多分・・・イギリスのヴィクトリア女王を見て「世の中には女王がいるんだな」と日本政府も思った。
でも、過去の女帝をみていると未亡人・独身のどちらか。女帝が子供を産んだら皇位継承に大きな波乱を巻き起こす。だから結婚させられない。でもそんな事言ったらさすがに野蛮の国って言われそう。だから最初から女帝を認めなきゃいいんだねーで収まったんじゃないかと。
天皇の仕事はなあに?
現在の憲法では「国事行為」のみ。私的な事として「祭祀」があります。
他の皇族や妃后のお仕事は規定されてません。
私達が小さい頃、毎週皇室番組を見てたけど、あくせく日本中歩き回っていたのは皇太子夫妻のみで、他の宮家は暇だよねーーってイメージでした。
戦前、天皇は大元帥でありましたので、国事行為のみならず祭祀のみならず、好き嫌いに関わらず軍事教練なども義務だったでしょう。
皇族男子には
軍隊に入る事
長男のみが宮家を継承し、次男以下は華族になる
貴賤結婚は出来ない
などのいわゆる「縛り」がありました。その中でも皇室のお金で自由に留学したり、研究に没頭したりしてた人も多々いたわけで、いつの世も皇族って奴は・・ですが、今と違うのは、いざ鎌倉!の時は本来の業務にきちんと戻る事で、監視する側もちゃんといたんです。
今のように「義務はないけど権利は一人前」皇族ではないんです。
天皇にとって「祭祀」が仕事と言いますが、昭和天皇まではそれが「仕事」っていうより空気のような存在だったんじゃないかと思います。
昭和の時代になってからの天皇とは「側近の仕事を妨げない」生活が義務になりました。今のように「天皇の意志」優先ではなかったんです。
旧皇族は復帰できないの?
70年以上たって・・・とよく言いますが、たかが70年です。
本当に「男系」で繋ぐのが大事と思えば、現在の身分云々よりも血筋を優先する筈。
しかし、仮に内親王が旧皇族と結婚したら彼は天皇になれるのか?というと、そういうわけにはいかないでしょ。
あくまで彼は「パパが天皇の系譜」を持つ人であるわけですから、問題なのは彼の子なのです。
以前にも書きましたが、私が推奨しているのは「猶子」制度です。
悠仁殿下を今上の「猶子」にして東宮に。
旧皇族の何人かを今上ないし皇太子の「猶子」にして秋篠宮家の継承と新しい宮家を作る。
ただ、その場合「〇世皇族」にするのかが問題で、2世皇族にして5世で断絶という規定を作るべきでしょう。
そして女子しかいない三笠宮家と高円宮家を臣籍降下させてその予算を新宮家にあてるのです。
皇室典範を改正して愛子ちゃんを天皇にしちゃいけないの?
何度も言いますが「パパが天皇の系譜で125代」続いて来た天皇家にとって、誇るものはこの血筋しかありませんので、この系譜を変えるわけにはいかないんです。
愛子ちゃんが天皇になっても、先例で行けば一生独身ですがいいんですか?
一般人と結婚しても生まれた子は「ママが天皇の系譜」になるから、まさに血筋が変わってしまい、天皇家としての意義を失います。
すると、今まで愛子ちゃんを応援してきた筈のパヨクの人達が一斉蜂起して「天皇家あんて存在する意義ないもん。さっさと潰して日本そのものを中国の一部にするアルよ」とか「日帝の血筋が穢れた!ざまあみろニダ!日帝なんかいらないニダ」とかいう「なりすまし日本人」による壮大な天皇家叩きと日本文化否定の波が来るでしょう。
なんせ今回の習近平を見てもそうだけど、紫禁城でディナーだもん。
心の中では「皇室」「王室」を頂く国への憧れは半端ない。韓国も同様。あっちの方が日本よりずーーーっと天皇家の血筋の大事さは調べているしわかっている。だからこそ「男女平等」やらを盾にして女帝を画策し、女系天皇を誕生させようとするのです。
日本人よ・・・いい加減、目覚めなさ――い。
今上と皇后は反日なの?どうして?
それは「昭和天皇」は戦犯だと思っているからです。
悪い意味で戦後教育を受けた美智子妃。それからバイニング夫人に洗脳されちゃった今上は、ある時期から完全に昭和天皇と袂を分かった・・というか、冷たい空気が流れ始めていました。
幼子心にも、昭和天皇と皇太子がそんなに仲がよくないというのは感じていたと思います。
「日本が戦争を始めて中国や韓国に迷惑をかけた」
「日本が領土拡大を目指して植民地化したから迷惑をかけた」
お二人の心はこれで一杯。
当然、その子である皇太子も同じですし、雅子妃は父親の小和田氏から散々日本の悪口を聞かされて来た口ですから反日じゃないわけがない。
では秋篠宮殿下は?
彼はそもそも理系で昭和天皇派ですし、アジアを訪問する機会も多く、それほどまで今上や皇后の思想にはハマってないと思います。その辺りがかえって冷たくされている原因なのかもしれませんけど。
天皇制は必要なの?
天皇や他の皇族が「御簾の内」に入っているなら必要ですが、一般庶民と同じ権利を主張し続けるなら不要です。
カリスマ性というのはストイックな生活から生まれるのではないかと思います。
一般人とは違う生活をするから生まれるものであるなら、世俗にまみれた天皇家なんて必要ないですよね。こんなことを書くようになるというのは哀しすぎますが、平成になってからの皇室の落ちぶれぶりは見てて目を覆うものがあります。
倫理観のかけらもなく常識を非常識で打ち破るみたいな皇室はいりません。
まして嘘で塗り固められた皇室も。
あれも嘘、これも嘘、みーんな嘘だらけの皇室ですからね。
雅子妃が皇后にならなかったら少し評価してもいいかなと思いますけどね。
最近はめっきりドラマの話を書かなくなっていますが、ちゃんと見てますよ。
とはいっても「今からあなたを脅迫します」と「民衆の敵」は挫折しました。
「今から・・・」はストーリーがつまらないのと武井咲のお腹が気になってしょうがなく。おディーン様は主役より脇で光るタイプなのでは?
「演技が下手」という評価もありますが、まあ、アメリカの西部劇に出てた頃から何となくそうは思っていたかなあ。日本語より中国語などの方が馴染んでいるのかも。
「民衆の敵」に関しては篠原涼子の役どころがひどすぎるでしょ。
あんなおバカさんで議員が出来る?「蹂躙」という言葉も知らないとか?
一般的な主婦ってあそこまで物を知らないと思われているのかな。
一番面白いのが意外と「アシガール」だったりするのが自分でも不思議です。
「若君ーー」と必死な女子高生と戦国の若君の恋が本当に素敵で。
結構「萌え」です。
「奥様は取り扱い注意」も非常に面白くて。夫たちのダメさがむかつくけどありがちだなあと。我が家の姫は「西島さん最高!」と叫んで見てます。
「コウノドリ」は毎回泣いてしまうけど、妊婦さん達の悩みや悲しみが、かつて経験した事ばかりでPTSDになってます(泣)
その度に姫に「今更思い出してもしょうがないでしょ」とか言われるけど、やっぱり辛かったマタニティ時代を思い出しては悔しくて泣くって感じです。
「先に生まれただけの僕」は公務員と民間人との違いを見せつけられているみたいで「だよなー成績が関係ないから意欲的にならないんだよね」と。
ちなみに職場の「男性版小和田雅子」は本当の事です。
3日休んで1日出る・・病院の領主書を切れば「病欠扱い」で有休が減らないんです。前日の朝に「39度の熱が出て」と休んだ割には翌日は元気・・みたいな。
最近では一日中マスクして病人アピールかな。上司が何か言えば「権利侵害」「パワハラ」になるので言えません。
さて、ドラマの話。
今季の「相棒」はなかなか苦戦してて、それを反町のせいにしているようですが、果たしてそうなんでしょうか?
確かに反町に及川光博程のボケセンスがあれば二人の会話はもう少し面白くなったろうとは思うんですけど・・・それにしたって今週の話はどうなの?と。
自転車にぶつかった事が原因でサヴァン症候群になるなんて事があるのかな?
しかも突如出て来た数学の難しい理論。空集合かあなんて思ってしまいましたけど。
「ドクターX」はソンタ君はいらないと思ってます。
西田敏行だけで十分面白いもの。
「監獄のお姫様」もなかなか・・・さすがクドカン。このワールドに入りきれない人をあっさり置き去りに。
最近、気になっているのが「言葉」で。
例えば「直虎」の先週の回のタイトルは「井伊谷のばら」で、これは「ベルサイユのばら」のパロディというのはわかるのですが、話の中にも「これは薔薇で長春という」というセリフが出てきます。
長春花というのは中国を原産とする薔薇の一種なんだそうですが、私が気になったのはこの時代に「薔薇」を「ばら」と呼んだかなと。
「薔薇」は「そうび」ではないのかな・・・戦国時代には「ばら」と呼んでいたの?調べようがなくて困ってます。いつから「薔薇」を「ばら」と呼ぶようになったのかと言われてもさっぱりね。でも気になるんですよーー
時代劇というのは作る時にセオリーがあり、一応、それを守らなくてはならないきまりになってます。最近ではこれを無視する傾向がありものすごく気になっているんですよね。
「わろてんか」の藤吉とてんが何度も「結婚してくれ」「結婚してあげます」というセリフをいうけど、明治時代に「結婚」という言葉があったろうか・・・
「夫婦になる」「娶る」「嫁ぐ」そういうセリフになるんじゃないか?と。
最初の方で気になったのはチョコレートが豊富にあった事で、仮にこれがあのドイツ人からもたらされたものだとしても、めちゃくちゃ高価でゆきずりの藤吉さんにわけてあげられるような代物ではなかったんじゃないか?と。
食べた藤吉の方も、やたら味になれている感じで(そりゃそうだよね)でも明治の庶民が初めてチョコレートを食べて果たして「おいしい」と感じるかどうか、そこらへんがものすごく気になるんです。
NHKの脚本家さんてそこらへんの時代考証をちゃんとやっているのか?
「清盛」の「王家」騒動もそうですけど、変なこだわりがあるんじゃないか?と。
そうそう、先日、韓国でトランプ大統領に出された「360年漬け込んだ醤油」というのも疑問。それって魚醤?日本の醤油ではないよね。
宮廷料理では醤油なんか使ってないし、そもそも味がないような料理です。
秀吉がもたらしたとうがらし文化が有難かったわけでしょ?
何でキムチを出さなかったんだろう・・・・?世界遺産にしたかったんじゃなかった?それが「醤油」だったのでかなり不思議でした。