大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
歌意: 大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、
また、母からの手紙も見ていません。
作者: 小式部内侍(こしきぶのないし)(1000?~1025)
橘道貞の娘。母は和泉式部(56番) 一条天皇の中宮彰子に仕える。若くして死去。
『金葉集』の詞書に、この歌の詠作事情が記されている。
母の和泉式部が夫とともに丹後国(京都府北部)へ赴いていたころ、作者が歌合に召されることになった。
そこへ藤原定頼(64番)がやってきて、
「歌はどうなさいます?代作してもらうために、丹後へ人をおやりになったでしょうか。
文を持った使者は帰ってきませんか?」などどからかった。
当時、世間では小式部の歌が優れているのは、母・和泉式部が代作しているからだという噂があった。
ここで、小式部は定頼を引き止めて、たちどころにこの歌を詠んで、
自分の歌才を証してみせた。
即興で詠んだにもかかわらず、母ゆかりの地・丹後国の歌枕や掛詞・縁語を駆使している。
小式部の優れた才気がうかがわれる一首である。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
今回のコラボ画像は「天橋立」
2006年8月に帰省した時、出石・豊岡・玄武洞を見て城之崎で一泊、翌日天橋立に行ってみました。
たしか、画像があるはずと、データを探してアップしてみました。
私はまだデジタル一眼レフは持っていなくて、CASIOのコンデジでした。
そして、一度やってみたかった「股のぞき」 ブログにアップしてありましたが、もう一度大きくして載せてみました。
夫はKodakのコンデジで撮りました。
現在は東京のケアハウスにいる母ですが、その当時はまだ岡山で一人暮らし。
もう、5年も前の写真ですが、痩せていて元気がありません。今の方がずっと顔色もよく元気になっています。
環境を変えると逆効果の場合もあるようですが、母の場合は東京に来てもらったことがよかったのだと思います。
今日で3月も終わります。 娘はまだ出産の兆候がなく・・・
この時期は一日違いで学年が変わってしまうので気をもんでいますが、どうやら私と同じ誕生月になりそうです。
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