よし坊のあっちこっち

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”群れ”る日本人。 いじめは無くならない。

2007年10月09日 | いろいろ
日本人はつくづく変わった国民性の民族だと思う。アメリカ人、欧州人、韓国人、中国人。皆、自己主張をしっかりする人々だ。しかし、日本人は違う。個を封印して「群れ」という集団の中で連帯主張をするのである。

日本人の特徴として、しばしば取り上げられる「チームワーク」は、幸運にも「群れ」文化の良い面として評価されてはいるのだが、実はこの「群れ」文化はちょっと厄介だ。むしろ、悪い面への影響の方が大きいと思うのである。

最近、神戸で陰湿なイジメによる高校生の自殺が有ったが、相変わらず後を絶たない。恐らく日本では、いかなる表面的な法的手段や、教育的手段をもってしても現状を変えることは困難だと思う。何故なら、「群れる」という特性と、俗に言う「島国根性」が見事に絡み合ってしまっているからである。この「島国根性」というやつは、別の言い方をすれば、「排他的」、即ち「よそ者」を排除する事を意味している。何となく仲良しクラブの集団を作り、気に食わない者、異質な者をたちどころにターゲットとして血祭りに上げる。それが終わると次なるターゲット探しを始める。日本人は何らかの「群れ」に属していないと不安で不安でしょうがない民族なのだ。そこから抜けたり、排除されたりしたら、二度と戻れない事を知っているから、細心の注意を払って繋がっていようとする。
学校という社会だけでなく、その後の実社会でも、この構造が基本となっているから、会社でも同じような「いじめ」があるはずだ。

「群れ」と「島国根性」の二点セットは強烈だ。壊そうにも簡単には壊れない。本当は、「教育」と言うな名の下に打破したいところだが、肝心の教育の場がイジメの加害者の立場になっている場合も多く、全く当てに出来ない。とすると、「個」を磨かせるガイド役は親なのだが、これとて、二点セットの内側にいるわけだから、出来ない相談だ。

アメリカや韓国、中国でも「集団」対「個」の形でのイジメは当然あるだろうが、「集団」より「個」が強いから、「集団」が続かない。「集団」の方が先に息切れしてしまう。

ユニークな国、と言えば聞こえがいいが、特異な国、と表現すると何となく得体の知れない印象を与えてしまう国ニッポン。イジメについての出口が見つからない。雪隠詰めか。