今公開されている、トミー・リー・ジョーンズの「In the Valley of Elah」を観た。原題を直訳すれば、「エラの谷で」となるが、旧約聖書に出てくる谷で、ダビデが巨人ゴリアトと戦って倒した谷らしく、映画のシチュエーションを暗示している。
あらためて、正義の戦争なんて有り得ない。そしてその後遺症は計り知れなく、やはりベトナム後の再来を危惧してしまう。
以前は毎日のようにイラクで何人の米兵が死んだのかを伝えていたテレビも、最近は殆どお目にかからない。この戦争が人々の意識の中で早くも風化しつつあるのだろう。
映画のあらすじは、イラクで軍役を終えてアメリカ本土の基地に戻った若者が、故郷の両親へ帰国連絡もせず、行方不明となり、後日死体で発見される。父親の執念で事実が次第に明らかになっていく。
この映画の下敷きは、2003年、ジョージアのFt.BenningというArmyの基地で実際に起こった悲劇を基にしている。Lanny Davisは、妻と共に息子Richard Davisが「今戻った」の連絡を待っていた。が、一向に連絡が無い。基地に問い合わせたら「帰ってきたのだが、行方が分からない」との返事。不安に思い、ジョージアに飛んだ父親は、軍が何も捜索していないことに愕然とし、直感で「何かがオカシイ」と感じ、自ら捜査していく。消された理由は、イラクで起きた出来事の隠蔽である。映画では子供をひき殺すのだが、実際はレイプのようだ。息子Richardは、何と帰国後24時間で仲間に殺されていたのである。
この出来事は、ブッシュJR.が進軍ラッパよろしく米軍をイラクに侵攻させた2003年3月20日からわずか数ヶ月後のことである。始ったばかりの戦争に不祥事は禁物だ。軍は捜索しないということでの隠蔽を図ったのだろう。
彼も含め、この戦争で命を落とした人達は犬死だ。怪我を負うた人達の人生は間違いなく狂っている。 戦争は狂気以外のなにものでもない。
イラク戦争がすっかり支持基盤を失った今、隠蔽されていた事がいろいろなメディアで出てくる。今年から来年はそういった類の告発的映画が続くのではないか。
巨大で不気味な軍を相手に、ダビデであるLanny Davisは、Elahの谷で敢然と戦って勝利した。
あらためて、正義の戦争なんて有り得ない。そしてその後遺症は計り知れなく、やはりベトナム後の再来を危惧してしまう。
以前は毎日のようにイラクで何人の米兵が死んだのかを伝えていたテレビも、最近は殆どお目にかからない。この戦争が人々の意識の中で早くも風化しつつあるのだろう。
映画のあらすじは、イラクで軍役を終えてアメリカ本土の基地に戻った若者が、故郷の両親へ帰国連絡もせず、行方不明となり、後日死体で発見される。父親の執念で事実が次第に明らかになっていく。
この映画の下敷きは、2003年、ジョージアのFt.BenningというArmyの基地で実際に起こった悲劇を基にしている。Lanny Davisは、妻と共に息子Richard Davisが「今戻った」の連絡を待っていた。が、一向に連絡が無い。基地に問い合わせたら「帰ってきたのだが、行方が分からない」との返事。不安に思い、ジョージアに飛んだ父親は、軍が何も捜索していないことに愕然とし、直感で「何かがオカシイ」と感じ、自ら捜査していく。消された理由は、イラクで起きた出来事の隠蔽である。映画では子供をひき殺すのだが、実際はレイプのようだ。息子Richardは、何と帰国後24時間で仲間に殺されていたのである。
この出来事は、ブッシュJR.が進軍ラッパよろしく米軍をイラクに侵攻させた2003年3月20日からわずか数ヶ月後のことである。始ったばかりの戦争に不祥事は禁物だ。軍は捜索しないということでの隠蔽を図ったのだろう。
彼も含め、この戦争で命を落とした人達は犬死だ。怪我を負うた人達の人生は間違いなく狂っている。 戦争は狂気以外のなにものでもない。
イラク戦争がすっかり支持基盤を失った今、隠蔽されていた事がいろいろなメディアで出てくる。今年から来年はそういった類の告発的映画が続くのではないか。
巨大で不気味な軍を相手に、ダビデであるLanny Davisは、Elahの谷で敢然と戦って勝利した。