よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

ディベート・ゲームを教育に取り入れよ

2014年04月04日 | ビジネス横丁こぼれ話
日本人が海外、とりわけ欧米に出て行った時最初に痛感するもののひとつに”気後れ“があるだろう。言葉が苦手だからと言う部分もあるにはあるが、仮に言葉が出来たとしても日本人はやはり気後れする傾向がある。

日本人は外交的か内向的かと問うなら、内向的だ。これに対し、我々は欧米人を外交的と思っている。その典型が、物怖じしない陽気なアメリカ人。逆に、日本人は口数少なく、時には舌っ足らず。静かに頷きながら、理解している素振りを見せても、これでは相手には一向に意思が伝わらない。日本人は大人しいを通り越して何を考えているか分からない日本人と簡単に誤解される。

日本人は意見や回答を求められた時、異論や議論になるような未熟(?)な意見を出すのは恥ずかしいと思い、議論になった時に相手と渡り合う準備が出来ていないので、それを避けようという気持ちが支配するのではないか。

アメリカ人はどうか。間違っていようが、的外れであろうが、まず自分の意見を吐くことに恥ずかしさなど微塵も感じない。相手と議論を進め、間違っていたと気が付けば軌道修正をしていくことに躊躇しない。議論の過程で“学んだ事”の方が重要だと考えるのだ。国際社会で相手と伍していくには、アメリカ人のようにドンドン“Speak out”出来る資質が欲しいところだが、今の日本社会の中でこの資質を磨くのはなかなか難しい。どうすればよいか。

ひとつの方法は教育だ。日本の一部の大学で行われているDebateというゲームがある。あるテーマを賛成派と反対派に分かれて、様々なデータを下にロジカルに意見を展開して相手をやっつけるゲームで英語で行われる。相手の論点を聞き弱点を見つけ論破していくというLogical Thinkingの養成に大いに役立つ。

一般的には英語で行われているこのゲーム、何も英語で行う必要は無い。日本語ディベートとして中学からカリキュラム導入したらどうか。中学が無理ならせめて高校生レベルからロジカルに話すことを学べば度胸と自信がつく。

国際社会では考え方に相違があってもロジカルであれば常にリスペクトされる、と言う事を日本人はもっと認識してもよいのではないか。