よし坊のあっちこっち

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味覚の慣れは恐ろしい

2014年09月19日 | アメリカ通信
日本人の主食であるコメ。いろいろな主食があるが、日本人はこのコメを食べると妙に落ち着き、満足感が体を覆う。

小さな頃の記憶に米穀通帳がある。コメが配給の時代だった頃だ。だから闇米が流通していた。戦後の日本は主食の生産とその安定確保に大変な時代だったことが分かる。当時のコメも水稲と陸稲があった。当然、水田で作った水稲のほうが美味しかったのを覚えている。外米というのもあった。あれはタイ米だったと思う。これは正直言って美味しくなかった。今時の子供に水稲だとか陸稲と言っても?????であろうが。

この配給制度があの大阪博万博の前年まで続いていたわけだから、いささかの驚きではある。東京オリンピックを成功させ、万博を呼び込んだ日本が、躍進する70年代80年代へ突入する”夜明け前”に差し掛かっていた時代なのだろう。そして飽食の時代へと一気に押進む。

面白いもので、その飽食と平和の世の中に、突然現れた、古米、古古米騒動。コメ不足でやたら古いコメが市場に放出され、それでも足りず、再び外米の配給となるとは。飽食になれた日本人の狂乱が始まった。

昔から、日本以外で美味しいコメはシンガポールとアメリカにあった。出張でシンガポールやアメリカに行けば美味しいコメにありつけたものだ。だから、伝手のある連中はそこに目を付け、現地からの出張者にコメを持ち込ませていたのを覚えている。しかし、この辺りからの日本のコメ作りには目を見張るものがある。ササニシキ、コシヒカリが広く流通し、今やコシヒカリ全盛になってしまった。

1995年、我が家は転勤でアメリカを目指すことになった。アメリカのカリフォルニア米はジャポニカ品種だから美味い。家族の反応も良好であったのは言うまでもない。それは今でも美味しいはずなのだが、2000年前後にアメリカにもコシヒカリブームが訪れ、あっという間にブランドが増えた。以来、我が家もコシヒカリ一辺倒になってしまった。結果として、従来のコメが”不味い”となってしまったのだ。

今回、ワイフが日本へ里帰りするので、留守中は従来のコメを食べてみようという事になり買い求めた。三週間毎日それを食べたのだが、決して不味くはない。

今のコメがなくなるまでは、ワイフは我慢のお付き合い。終われば再びコシヒカリがやって来る。慣れてしまうと周りが分からなくなるから、たまには原点に戻るのも必要だ。原点に戻れば今の有難さを実感する。慣れとはそれほどオソロシイ。