よし坊のあっちこっち

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ハイテクとローテクの狭間で - ロートル式のすすめ

2014年10月17日 | いろいろ
科学技術の進歩で、昔ならあっけなく死んでいた多くの病気が救われている一方で、深刻な病との闘いは今も続いている。そのひとつが認知症で、夫婦揃って60の還暦を通り越すと、何かにつけワイフとの会話の話題となる今日この頃だ。認知症になりたくないのはヤマヤマなれど、向こうからやってくるから致し方ないのだが、以前観たドキュメンタリーの内容は興味深いものだった。一言で言えば、ロートル式生活のススメ、である。ロートルと突然言われても、ハイテク時代を謳歌している今の若者達には分かるまい。今や死語、あるいはそれに近いのではなかろうか。

ハイテクは確かに人の生活を便利に、楽にする。より豊かな人生を送るひとつの道具としては、無いより有ったほうが良い。今回日本人にノーベル賞が与えられたLED技術はその代表といっていいだろう。しかし、”進歩”が全て良いものばかりを運んでくるとは限らない。物によっては使われる以前から、その功罪が問われ、結局使う人間がバランスよく使うことを推奨されるのがオチで、人間、そこまで賢いかといえば、残念ながら賢くない。結局はイージーな方向に流されて、頭や手足を段々使わなくなる。

以前から、認知症が増えたのはハイテク、別の言葉で言えば便利さ、が進むのと比例しているのではないか、と思っていたのだが、そのドキュメンタリーの内容は正にその点を突いていた。高齢でもハイテク文化から距離を保っている人達には発症の率が低いという結果であった。要するに便利さに過度に頼らず、頭と手足を一生懸命使うことが認知症予防になりそうだ。

定年を迎え、第二の人生で庭仕事を始める人が多いが、これは正解だろう。斯く言うよし坊もそのひとりだ。加えて、よし坊の場合、アメリカ暮らしだからやる事は多い。日本ではやることの無いちょっとした修理は自分でやる。頼めば2万3万する修理も部品を買ってきてやれば2~5千円程度で済む。庭が広い(自慢しているわけではなく、普通の家でも日本より広い、いや広すぎ)から、やることが多い。裏庭なんか、秋の落ち葉シーズンの一ヶ月は毎日のように枯れ葉集めであっという間に2時間くらい経ってしまう。これには相当体力も要る。

結局のところ、ハイテクの良さ、便利さは有るけれど、それを上手にコントロールする術を我々は持ち合わせていないのだろう。しからば、そこから出来るだけ離れるに限る。便利さの中には不要な機能もたくさん付いていて、それはコントロール以前の問題で、オタクでもない限り、普通の人には無用のものだ。物の費用対効果で言えば出来るだけ無駄な部分は外すべきだが、費用対効果を追求しようとすると、日本とアメリカでは正反対の状況にあり、日本では不必要な機能を外そうと思っても出来にくいのが実情だ。

費用対効果の日常的訓練は日本よりアメリカの方が良く出来ている。日本は車でも電化製品でも基本はオールインワン。普段使わない機能まで満載にして”いくら”で売る。買う方も、使わないのに機能満載にグラつき、思わず手を出す。かといって、不要な機能を外した安い商品が少ないか、無いのも事実。売り手側の思惑に翻弄され、選択の余地が無いのも問題だ。アメリカでは、オールインワンも無いわけではないが、主流はベーシックに必要な機能を付加して自分の納得する値段を決めていくやり方であり、コンセプトだ。必要なものだけを買い、頭手足を使って出来る部分を出来るだけ幅広く持っておく。ひとえに、身体能力の活性化と維持をどうを計るかの問題である。

ロートル生活、やや時代遅れの生活でおおいに結構。そう思って日々ワイフと馬鹿を言い合いながら、今日も二時間庭仕事に汗をした。