アンドリュー・クオモが11件のセクハラ告発を受けて輝かしいNY市長の座を降りた。高まる弾劾裁判の前に辞任することで、辛うじて裁判クロ判定による屈辱を回避した。しかしながら、セクハラ訴訟はこれからであり、茨の道が続く。
それにしても、コロナ対策で連日のようにTV画面に登場した獅子奮迅の姿は大いに市民の好感度を上げ、このまま行けば父親から引き継いだクオモ帝国の維持も安泰かに見えたが、その幕切れは実にあっけないものだった。
今更ながら、男の人格は臍を境にして上と下では違うことを痛感する。昔から「臍下三寸人格無し」と言われる如く、それだからこそ、男は理性でコントロールしていかなければならないし、女性は男性の”臍の下”には基本的に人格が無いことを肝に銘じておかなければならない。世間的にどんなに立派だと称される男でも、その評価は臍上の話で、臍下には要注意、ということである。
思い出す話がある。もう20年以上も前のことだが、TVのドキュメンタリーで東京の下町の産婦人科医の老先生が地域の人達に長年ユニークな性教育をやっている姿を取り上げていた。対象は小学生(男女)。しかも親同伴である。内容は男女の身体の違いと意味、子供が生まれる仕組み、生まれるための性行為を図解で説明する。すると、一人の子供がママに質問した。”ママもパパとこういうことをしてるの?”ママは”そうよ”とあっけらかんと答えた。こういう教育が既に親子3代に渡って行われているとのことであった。
老先生の説明の中で最も基本的で重要な発言があった。「男は”出したくなる”動物です。男の子はそれを自覚し、無暗やたらと行動してはいけない。逆に女の子はこのことを十分頭にいれて行動しなければいけない」と説いていた。男が思春期の過程で”夢精”を経験するのは、正に男の性(さが)の始まりなのである。これをいかにコントロールするかが死ぬまで男に課せられた使命でもある。
優れた経歴や輝かしい業績を高く評価することは、いわば”臍の上”の評価であって、それをもって”臍の下”人格も同等と考えてはいけないのである。かつてNY州司法長官として辣腕を振るい、NY州知事にもなったEliot Spitzerも高級売春組織の客だったことが暴露され、男の性(さが)の軍門に下った。
それにしても、コロナ対策で連日のようにTV画面に登場した獅子奮迅の姿は大いに市民の好感度を上げ、このまま行けば父親から引き継いだクオモ帝国の維持も安泰かに見えたが、その幕切れは実にあっけないものだった。
今更ながら、男の人格は臍を境にして上と下では違うことを痛感する。昔から「臍下三寸人格無し」と言われる如く、それだからこそ、男は理性でコントロールしていかなければならないし、女性は男性の”臍の下”には基本的に人格が無いことを肝に銘じておかなければならない。世間的にどんなに立派だと称される男でも、その評価は臍上の話で、臍下には要注意、ということである。
思い出す話がある。もう20年以上も前のことだが、TVのドキュメンタリーで東京の下町の産婦人科医の老先生が地域の人達に長年ユニークな性教育をやっている姿を取り上げていた。対象は小学生(男女)。しかも親同伴である。内容は男女の身体の違いと意味、子供が生まれる仕組み、生まれるための性行為を図解で説明する。すると、一人の子供がママに質問した。”ママもパパとこういうことをしてるの?”ママは”そうよ”とあっけらかんと答えた。こういう教育が既に親子3代に渡って行われているとのことであった。
老先生の説明の中で最も基本的で重要な発言があった。「男は”出したくなる”動物です。男の子はそれを自覚し、無暗やたらと行動してはいけない。逆に女の子はこのことを十分頭にいれて行動しなければいけない」と説いていた。男が思春期の過程で”夢精”を経験するのは、正に男の性(さが)の始まりなのである。これをいかにコントロールするかが死ぬまで男に課せられた使命でもある。
優れた経歴や輝かしい業績を高く評価することは、いわば”臍の上”の評価であって、それをもって”臍の下”人格も同等と考えてはいけないのである。かつてNY州司法長官として辣腕を振るい、NY州知事にもなったEliot Spitzerも高級売春組織の客だったことが暴露され、男の性(さが)の軍門に下った。