よし坊のあっちこっち

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アメリカの希望と日本のだらしなさ

2009年01月19日 | アメリカ通信
今日16日の月曜日、アメリカはマーチン・ルーサー・キング牧師を偲ぶ休日だ。と言っても、休みにしない民間企業はたくさんある。特に北部は、「何、それ」って感じだ。白人にしてみれば、ただの黒人牧師を偲んでの休日なんて、という思いが強い。それでも昔よりは休みにする度合いは増えたと聞く。人種を超えて、それがアメリカのひとつの重要な歴史と認識するからであろう。「I Have A Dream」。

そのキング牧師の言葉を引き継ぐように、明日、44代大統領が、アメリカ国民の希望を担って就任する。
今回の大統領選挙戦を通じて、2000年の時の大統領選と比べ、白人の意識が間違いなく変わったという空気を感じる。最も重要な事は、国を託すのに誰がふさわしいかを考えた時、そこにオバマがいた、そして、彼はたまたま黒人であった、それでいいじゃないか、という空気だ。前にも書いたが、2000年の時、コーリン・パウエルが立候補しようとした時は、まだ不穏な空気が強く、その為に彼は断念した背景があるが、今回はそんな空気を吹き飛ばす何ががあったのだろうし、明らかに時代が変わったのだろう。明日の大統領就任準備でワシントンDCはフィーバーしている。人々は人目見ようと遠方からバスに乗り、DCへ駆けつける。国中が経済混乱で大変な最中なのに、皆が躍動している感じだ。

その躍動感は、オバマに国を託すというメッセージにつながっているように見える。前回のブッシュが選ばれた時は、頭の悪いのが大統領になってしまったと、当の共和党支持者の間から伝わってきたくらい評価が低かった。あの時には、国を彼に託すという空気はあまり無かった。俺の評価は歴史が決める、と最後の演説をしたブッシュだが、既に評価は定まっているのは明らか。歴代ワースト3に入るだろう。オバマとてどういう評価になるか未知数だが、期待感は相当強い。

さて、日本はだらしないの一言か。政治がだらしないから、「国を託す総理大臣」なんていう感覚は国民の間には全くないだろう。そんな考えや希望が出てくるような激しい時代は明治維新で終わり、その後は去勢された文化とでも言えばよいだろうか。これからも1年から1年半の総理大臣がお勤めするという構図は100年経っても変わらないかもしれない。と言う事は恐ろしいくらい日本という国には希望が無いことになる。

アメリカと日本を一言で比べると、アメリカは何か事が有ると間違いなく「動く」。日本は「動かない」「動けない」「動きたくない」。





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