原発の風評被害が消えないという。知り合いの何人かも福島産の農産品は遠ざけているというから本当なのだろう。が、この事実による販売の不振を、風評による被害と言っていいのだろうか。
風評というのは、言ってみれば噂である。噂は古来から千里を走るという例えのように私たちの生活に覆い被さっている幻想である。ところが原発による噂というのは、根も葉もない幻想ではなく、特定のデータと結びついた受け取る側の確証だから、風評被害とは言えないはずである。
これは原発事故に対する解釈の問題で、放射能による影響があるかないかの判断、つまり思想の問題である。だから、福島の生産者も風評問題からの被害者という立場を、早く脱却した方がいいと思う。
話は飛ぶが、ネット上に次のような投稿がある。
……(ある人がどうのこうのと悪口を言われていることに対して)「デマを放置しておくと、「黙認した」と受け取られるのか、それを信じる人が他にも出てきて、まるでそのデマが既成事実であるかのように言い出す人まで出てきます。」と止めどなく拡散していくというのである。
こうした場合の対処の仕方はない。フランスに「オルレアンの噂」というドキュメントがある。思春期の少女が美容院に行くと行方不明になるという噂を追跡したものである。また日本では関東大震災時の社会事象を扱った、清水幾太郎「流言蜚語」という研究書がある。
口伝えが重要な伝達手段だった時代では、事実を隠さず開示することが流言を阻止するものとされたのだが、原発事故を巡る動きは、事実が十重二十重に重畳することもあって、ツイッターをはじめネット時代ではいっそう思惑が走るようになっている。情報の隠蔽などという問題ではないのである。
だから、核心は当事者の対応ということになろう。
福島県の人々が実際に原発事故にどう対処しているのか。報道によると福島の若い家族は率先して現地から避難しているという。放射能が怖いのである。そういう福島人の意識がある限り風評被害を都市の消費者に求めることは全く矛盾している。
原発に対処する方法は、外側でつべこべ言うべき問題ではなく、まず現地の人たちの判断に任せられるべきである。そして当事者たちが過度に国や行政に依存して善処を求めないほうがいいのは当然のことのように思う。【彬】
絵はシーダーローズと呼ばれるヒマラヤシーダーの松ぼっくりである。