僕は、この秋の読書リストの中に、二冊の高校参考書をいれた。物理、と、化学である。本当は教科書がいいのだが手に入らないので参考書になった。高校や大学などを卒業した後、自分なりの生活を送るようになってからも、高校の教科書を読むのがいいと思っている。今、世の中の様々な、話題、問題、に自分なりの考えで対応しなければならないことが多い。それに、自分の、好み、趣味、立場、だけで判断するのは大人げない。基本的な知識が欲しい。その基本中の基本は、高校時代に学んだ教科書の中にあると思う。
一般にいう、理系、文系、という区分だと、僕は文系にはいる。ずいぶん前から、世界史、日本史、政治経済、の教科書復刻版を読んでいる。数学は苦手なほうだが、なくてはならないものなので数年前から読んでいる。しばらく前から、どうも理系が足りないと思っていたが、この秋から、物理、と、化学、を加えた訳だ。
教科書を読むというのは、最初から最後まで通して読まなければならない。勉強ではなく、読書なのだ。化学、物理、などは、公式、法則、が多く出てくる。それを理解、納得したら先に進む。忘れてもいい。学生時代のように試験を怖がることはない。忘れたら読み返せばいい。つまり教科書内容全体の理解が大切なのだ。
世の中の仕組み、学校制度の在り方からいうと、高校を出たからこの程度の知識はある筈といわれるが、現実にはそうはいかない。卒業した後、今の自分に必要な、(専門)知識修得に力を取られているだろう。仮に、ある分野の全般知識を得たいとしたら、それなりの書物はたくさんある。だが、僕は、高校教科書が一番いいとおもっている。公平で、客観的にできている。
先日、世界史を勉強しようと、欧米で著名な学者の分厚い本をよんだが、自分の価値観に従って記述している。学者が自分の名前で出す本は世に対し、自分の意見を問うているのだ。
さて、この10月初めから読み始めた、物理、と、化学。先ずは、ざーと最後まで目を通してみた。大変おもしろそうだ、が、個別で細かいところは難しい。いざ試験を受けるとなると正解をだすのは難しいだろう。だが、いまは高校生でも受験生でもない。難しさをたのしむのだ。
絵は、化学の参考書の最初にでてくる、反射炉、と、現在の溶鉱炉。
2017年10月9日 岩下賢治