ナデシコ
2020東京オリンピックからマラソンの開催が札幌に移転されることになった。
マラソンをするには、東京の夏は暑すぎるからだという。暑さ対策に色々手を打ってきた東京都としては理解できない。小池知事は、憤懣やる方ない様子。ほとんどの人が同じような気持ちだろう。
私も同様だ。
ただ、ひとつ、思うことがある。
今後、オリンピックは一都市での開催が不可能になり、規模は縮小していくにちがいないだろうということ。
オリンピックは、当初の理念はアマチュアリズムだった。創始者クーベルタンの一種の貴族趣味だったと思う。そのためもあって、アマチュアという名を借りたステートアマと呼ばれるソ連、東ドイツなど社会主義国の全盛時代があった。その後ユベロス会長がロスアンゼルスの大会を契機に、テレビなどと組んで商業主義を導入、巨大な大会に発展し続けてきた。
来年2020年の東京オリンピックは、おそらくそうした拡大一途の大会のピークであり、そのターニングポイントになるのではないかと思うのだ。その象徴がマラソンであって、今回の会場の移転は暑さのためだけではない、と想像するのである。今や拡大したオリンピックは東京などメガロポリスでさえ、開催が不可能となっているのだと思う。
オリンピックは政治と離れたイベントである。だから国家が主催するのではなく、あくまで名目は都市が開催するものである。その都市での開催を趣旨としているオリンピックにとって、その商業主義が、逆に規模の拡大を招き、受け入れる都市がきわめて限定されてしまったのは、思わぬ転倒だったか。
オリンピックの拡大には以前から疑問視する考えがあった。JOCの理事だった猪谷千春さんはIOCの中でも規模の拡大に疑問視する声が多く出ていたと、以前、講演会などで紹介していたことを思い出す。
しかし選手や競技団体は、この機を逃すべからずで、次々と参加を申し込んで現在では300を超す種目がオリンピック競技となっている。競技団体としては、この機会に注目を浴び、収入を上げる絶好の機会なのである。
話は別になるが、今日、日本ではスポーツの花盛りである。先日終了したラグビーの世界選手権を始め、テニス、フィギアスケート、野球、バスケット、バレーボール、卓球、バトミントン、サッカー、などなど日々話題は尽きない。凋落の激しい日刊紙は、今やスポーツ紙になったかのようにスポーツ記事満載である。そして、それぞれに満員の観客を集め、大いに盛り上がっている。その意味では、もはやオリンピックを必要としていないのではないだろうか。
私たちは今、スポーツを満喫できる環境にある。そんな中、改めてオリンピックの意味を考え直してみたいものである。【彬】