ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

流行現象としてのコロナの波

2020年11月19日 | 日記

 落葉三葉

 コロナがついに第3波に突入したらしい。四月の第1波、八月の2波に続いての流行である。そしてこの第3波は、それまでに比べ、大きな波で、東京都内の場合、1日の感染者数が最大1000〜2000人にのぼるのではないか、と懸念されている。
 ところで、この《波》というもの、社会的な流行だとみなせば、例えばファッションとか、音楽、スポーツイベントとかにも見られ、人々の気持ちが波をうねるように高揚波及し、そして一定期間内で収束する。そして場合によっては、2番波、3番波と続くことがあるが、この連続的流行の場合には、流行の元にある核心部分になんらかの変容が起こって、消えたように見えながら再燃するという形をとる。ファッションだと、例えばスラックスの太さが次々に細くなりながら、限界に達すると変容し、生地が伸縮性のあるもに変わる、そして2番波が来るといったように。
 コロナの流行をこうした社会現象として見れば、ファッションと同じように、コロナ自体の変容を通して第2波、そしてその後の動きに至っていると類推することができよう。
 いうまでもなく第1波は物珍しく人々の注意を強く喚起する。今から振り返ると、第2、3波と比べると感染者は相当に少なかったのにもかかわらず、特措法の「発出」などという、行政上の強権が飛び出したことから明らかなように、コロナは単純に目に見えぬ悪魔であった。
 続いて、第2波は酷暑にもかかわらず、海水浴から避暑などの外出が制限された。
 こうした経緯の中で、つまり流行の波が収まりかけていたにもかかわらず、再度の波が押し寄せたのは、第1波の時のコロナの素が、何かの理由で変容したのではないか、と想定しなくてはその原因を説明できない。柳の下のどじょうで、同じものは二度と生起しないものなのだ。おそらく、巷間でも指摘されているように、コロナウイルスは収束するごとに「感染力を強化」=変容しきたのではないのか、と考えられる。そうでなければ第二波以降、感染者が多くなるはずはない。
 感染力の強め方の変化では、一つはコロナ自身が長生きするように変容したのではないかと考えられる。例えば第1波段階だと、タンパク質などの物質に取り付いて活動できる期間を3日だとすると、第2波の時には、5日になり、そして3波では7日間になるというように。その結果、感染者が多くなる。
 二つは細胞分裂が早くなったこと。初期のコロナに比べ、分裂が早くなった分、ウイルス数がぐんと増えるわけである。
 これら2つの変容によって、感染力は格段とアップしたと思われる。しかし反面、こうした変容はコロナ自体の弱毒化を促したと考えれれる。重篤な感染者が少なくなったのは、その反映である。もちろん医学的対応の結果だろうが、それだけでなくコロナの弱毒化が大きく作用していよう。
 つまり、コロナは初期の強力有害な細菌から、弱毒化しコロナ自体が長く生き残る自己変容が起こったのだろう。いわば適者生存である。
 とすれば、私たちはコロナに対しは、それほど恐れなくとも良いことになる。感染者が1万人とか10万人になろうとも、単なる変わった風邪だと処置すれば良いことになる。こうした判断は私の特殊の考えではなく、周辺や各種方面から聞こえてくる多数の意見となっているように思う。
 以上は、医学・細菌学ではなく社会論からみたコロナ問題である。【彬】

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