白粉花、です。
宮本常一に「塩の道」という名著がある。日本には地表に露出した岩塩が無いので、内陸部で生活していた人たちがいかに苦労して塩を手に入れたか、という民俗学レポートである。
今、塩というと、減塩とか、塩分のとりすぎだとか、そんな話になりがちだが、昔は塩は命を繋ぐ大切な食品であった。だから、ある時から塩は国家が統制する専売品=専売公社が管理することになった。そんな塩というのは、今みたいなサラサラした焼塩ではなく、俵に入って苦汁(にがり)を含み、俵から水気が滲み出るような相当に重いものだった。長野県などに保存されている塩街道での塩蔵を見れば、それがどのように運ばれ、どのように保存されていたかを知ることができる。
いわば人間は塩との闘いで生存してきたとも言えるのだ。
もっと具体的に言えば、大岡昇平の名作「野火」が思い出される。フィリピン戦線で敗残兵となった兵士がひとり野山を彷徨い、その果てに米兵と出くわす話だが、その兵の背嚢には塩が大切にしまってあって、その塩があることで生きる余力を得るのである。それほど塩は生きていく上で不可欠なものだった。
それもそのはずで、人間に限らず、あらゆる地球上の生命は海から誕生していて、その海水の塩分濃度をバランスよく保たないと生命を維持していくことができない仕組になっているからである。
日本の製塩法は海水を限りなく蒸発させて、土や木の枝に結晶したものをさらに煮出して作る。昔の教科書には、そんな塩田が雨の少ない瀬戸内海付近にたくさんあったと教えていた。しかしそうした方法は、最近のこと、いわば中世以後である。それ以前の、上代や弥生期の方法はどんなであったのだろうか。
万葉集の時代では、海水が付着した海藻を刈り取り、それを煮出して製塩していたことを示す歌がたくさんある。藻塩刈る、と読まれている風俗がそれで、そうして取った塩を内陸部に移送する苦労。おそらく物物交換、交易の元祖は塩の運搬ではなかったか、と思えるのである。
翻って人類の未来への道のり=たとえば宇宙空間への生活拡大も、この塩との戦い、処理の問題になるのではないか。また例えば、コロナの防疫はひょっとすると、海水から絞り出した苦汁を含んだ塩の摂取が相当に効果的では? などと勝手に想像してしまう。
塩について考えを巡らすのは、テレビの料理番組からである。調理は全て「塩加減」という。病気を含め生命の健全な保持は、全て塩加減というべきか。【彬】