この度、今年のノーベル文学賞を受賞した、Louise Gluck(グリュック)さんの作品、The Wild Iris(野生のアヤメ)を読みました。授賞理由の「個人の存在を、普遍的存在に高める、朴訥とした美しさをたたえる比類なき詩的表現。」がどうしても気になったのです。
63編の詩集で、それぞれの詩に、花の名前、季節、気候、などのタイトルが付けられ、一人称 I(私)で語られる。そして、その(私)は、擬人化されたアヤメということらしい。
舞台背景は、大きな庭。その擬人化されたアヤメが、庭という舞台の上で、人と植物等をからませ、様々な事柄を独特な詩的表現で語る。
容易な言葉を使っているが、僕にはこれらの詩を頭で読むのは難しい。感性、と、想像力で、読むものだろう。ちなみに、詩集の題名ともなっている、The Wild Iris は以下の詩です。日本語は僕の訳です。
The Wild Iris 野生のアヤメ
At the end of my suffering there was a door.
私の苦しみの終わりにはドアがありました。
Hear me out: that which you call death
I remember.
聞いてください:あなたが死とよぶもの。私は覚えていますよ。
Overhead、noise, branches of the pine shifting. Then nothing. The weak sun flickered over the dry surface.
頭の上は、騒めき、松の枝が揺れ動く。何もありません。弱い陽の光が乾いた地面で揺らめいていました。
It is terrible to survive as consciousness buried in the dark earth.
暗い地面に埋まったまま意識をもって生きていくのは辛いものです。
Then it was over: that which you fear, being a soul and unable to speak, ending abruptly, the stiff earth
bending a little. And whatItook to be birds darting in low shrubs.
それでも終わったのです:あなたが恐れているものは。魂はあるのですが話すことが出来ません。突然終わって、
固い地面が少し傾きました。それを、私は灌木のなかでの鳥打ちかと思いました。
You who do not remember passage from the other world I tell you I could speak again: whatever returns
from oblivion returns to find a voice:
あなたは、他の世界からの道を覚えていないのですね。申し上げますが、私は再び話すことが出来きたのですよ:
忘却の回復からの再び得たもの、それはなにはともあれ、声、を見つけたということです:
From the center of my life came a great fountain, deep blue shadows on azure seawater.
私の命の中心から、大きな噴水が沸き上がりました。深い青色の影を紺色の海の上に映して。
以上です。
グリュックさんは、社会から圧し潰されそうな弱き人たちに寄り添う優しさのある作品を発表してきたという。格差の広がるこの厳しいこの世界で、このような詩が必要なのかもしれない。グリュックさんの詩は難しいが心に引っかかるものがあり、この秋に何度も読みたいと思うのです。
2020年11月17日 岩下賢治