キンモクセイが花盛り
自民党の総裁選びが過熱している、ように見える。内部のことは私たちには見えないし、分からない。
ただ、漏れ伝わることでは、脱炭素化、再生エネルギーへの転換、が大きなテーマになっているようだ。石油や石炭などの化石燃料を使わないこと、これはヨーロッパから始まった社会的・政治的運動で、地球温暖化を止めるために2050年までにCO2の排出量を実質ゼロにするという。この運動、欧州連合の行政機関が一旦を担いでいるらしい。
私たち生活者にとっては、エネルギー源をどこに求めようと、電気として供給される分にはそれで満足だから、電源については積極的には関心を払わない。原発は事故が生じたら大変だ、くらいの認識だ。大騒ぎをしているのは一部政治家、世界企業、マスコミ界隈だけである。石油であろうが、石炭であろうが、原発であろうが、さては地熱だ、太陽光だ、風力だろうが、電気そのものには色がついていないのだから、消費者として積極的に関わることができない。原発の電気は使わないなどということはできないのだ。
私たちに問題なのは、どこにいても電気が〈安く〉〈自由に〉〈大量〉に利用できるかどうか、だけである。
CO2削減運動を受けてか、数年以内には、あらゆる種類の車輌が電動式になるようだ。いずれ蓄電能力が革命的に向上(不可能らしい)すれば、船や飛行機でさえ、電気で動くことになるだろう。地区のゴミ焼却炉も当然電気になる。また、エネルギーとして電気は、その他のエネルギー、例えば火力などに比べ、圧倒的に使い勝手が良いから、大量に安く使えるようになれば、それ以上のものはない。原子力潜水艦のような巨大な乗り物だって原発エネルギーによる電気で動いているのを見れば明らかである。
だから私はCO2削減ではなく、発電と送電、蓄電能力を圧倒的に向上させることこそ、快適な未来へ踏み込む本命だと考えている。ところが今は電気はガスより高いのだ。家庭内のガスコンロ、湯沸かし器など、全て電気になって欲しいものだ。
いっとき、ICパネル(集積器)を産業の米、とかといって尊重していたが、あらゆる部門の米となるのは電気である。電気こそ文明・文化の素である。環境に優しい再生可能エネルギーなどではなく、小スペースで、安価で大量の発電ができる装置こそ私は最も望んでいる。理想を言えば、宇宙空間に太陽光発電機を置き、地球に送電できるのが最も望ましいのだが。【彬】