ホウチャクソウ=宝鐸、お寺の軒に吊るしてある飾りだそうです。
久しぶりに小説を読んだ。標題の太宰の作品である。読みならがら思うことが次から次へと出てきた。順序を構わずに、いくつか列記したい。
まず、鶴岡八幡宮の表記について。作品では鶴岳宮となっている。現行の鶴岡ではない。「岡」と「岳」ではどう違うのだろうか。「岡」はこんもりした小高いところといった意味だが、「岳」というと、もっと大きい山岳という意味になる。八幡宮は鎌倉の裏山を背負って建てられいて、当時は「岳」のような感じだったのではないか。鎌倉の山は、今は天園といってハイキングコースになっているが、三浦半島を貫く山陵で、頂上付近からは相模湾を見渡せる。交通不便の時代、岳と呼んでも良さそうな地形である。作品の典拠となっている歴史書「吾妻鏡」でも、鶴岳となっていて、太宰はこれを尊重したものと思われる。岳を岡に変えたのはいつ、なぜなのか、気になるところである。作品の背景には岳と呼ぶ大きな山野があるように思える。
作品についてだが、出版されたのは昭和18年、戦争真っ最中である。そんな武の時代によくぞ書かれたものかと、思わずにはいられない。(当時、実朝が流行っていたらしい)
またその表現形式のユニークさ。実朝に仕えた若き女官が、後日、出来事の一部始終を物語るという源氏物語由来の日本固有の方法をとっていること。さらに歴史書である吾妻鏡を逐一引いて歴史小説の形をとっていること。終章も歴史書を引用して終えている。この作品は、太宰自身、相当に自信があった作だと思えたのか、「鉄面皮」と題する一文を書き、作品の一部を自ら引きながら解説している。
仮名遣いなど、現在の若者には読みづらいだろうが日本文学の一つの頂上のような作品である。
参考までに「鉄面皮」の最後の一文を添付しておく。本文の「実朝」とまったく同じ文章である。
その時将軍家は、私の気のせいか少し御不快の様に見受けられました。しばらくは何もおっしゃらず、例の如く少しお背中を丸くなさって伏目のまま、身動きもせず坐って居られましたが、やがてお顔を、もの憂そうにお挙げになり、
学問ハオ好キデスカ
と、ちょっと案外のお尋ねをなさいました。
「はい。」と尼御台さまは、かわってお答えになりました。「このごろは神妙のようでございます。」
無理カモシレマセヌガ
とまた、うつむいて、低く呟くようにおっしゃって、
ソレダケガ生キル道デス
(注・将軍家は実朝、尼御台は北条正子。尼御台に付き添われているのは、後年実朝を暗殺した幼い公暁)
実朝は数奇な人生を送ったことと同時に、稀みる歌人で、金槐和歌集を残しているが、日本の文学界の巨匠である小林秀雄、吉本隆明両氏とも実朝を論じている。太宰のこの作品は、それらの評論を凌ぐ名作だと言っていい。
今、NHKドラマで鎌倉が話題だが、実朝のこともぜひ掘り下げてほしいものだ。同時に源氏鎌倉三代も不思議な命運で、平安朝から続く王朝文化の末尾を彩る激しい流転と「アカルサハホロビノスガタ」でもあった。ついでに言えば、内藤湖南は日本の歴史を考える上で、室町以前は無視して良い、と言っている。鎌倉時代というのは現在に続く日本とは深く断絶する時代であったのである。【彬】